読書録 2024年1月

諫山創『進撃の巨人』全34巻(漫画)

 高校生の頃に獣の巨人登場くらい?まで読んだ状態からスタート。中盤くらいまでは楽しみつつもある種の陰謀論的想像力に危うさを感じていたのだけれど、後半以降に突きつけられる憎しみの連鎖のリアリティに打ちのめされた。サシャの無駄死が残酷で象徴的。終わらない歴史を生きる現代の我々にとって、真に迫るような作品だと感じた。
 一見平凡に見える、身近な人への愛に生きる価値を見出すエンディングも、ここまで描かれてきた壁や海、あるいは時を隔てた顔の見えない他者に対して堆積する憎悪との対比を考えた時、輝きを放っているように思える。エレンを失ったミカサが家族を作り、老いて死んでいく数コマが、これまでの巨人をめぐる戦争、そして新たな戦禍の前では一人間の生など矮小であることを示しつつも、そこに確かな幸福が宿っているのだと雄弁に語っているようで、良かった。

竹内洋『立身出世主義 近代日本のロマンと欲望』

 近代に身分制が解体されたことにより登場した「立身出世主義」を、その終焉まで追う一冊。「立身出世」を軸に広い射程で思想史・社会史を論じている印象。明治20年代以降、「受験立身」「試験立身」が立身出世と深く結びついたとする著者は、自身の専門である学生論に多くの誌面を割いている。
 特に前半部の、受験熱や苦学熱が雑誌メディアを通じて盛り上がっていくことや、近代日本の学歴エリートが表面上は教養主義にコミットしながらも実際は「予期社会化」して進路選択や学習をしていたという指摘は面白かった。細かいところでは、大正期には既に子供の中学校受験に熱を上げる「受験家族」が存在したのだということに驚いた。

羽田圭介『滅私』

 ミニマリストのコミュニティを描く小説。人間、捨てたくても捨てられないものは残るし、ミニマルな生活を目指しても無個性になるだけだというテーゼが示されている。ミニマリストというテーマ、「坂口安吾」という固有名詞、主人公の過去の三要素が作品内で統一感を欠いているように感じた。
 羽田圭介って一心不乱になにかをしている人間が好きだよなあと思った。

フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(浅倉久志訳)

 SFの超有名作品。アンドロイド狩りで賞金稼ぎをする主人公を軸に、人間とアンドロイドとの差異に思い悩む人間を描く。多くのSF作品の原典を辿っている様で面白かったし、一作品としても古びていないように感じた。核戦争で多くの動物が絶滅した世界で、動物愛護精神が熱を帯び、愛玩動物の人気が高まる中で電気動物が取引されるようになるという設定が面白かった。

與那覇潤『知性は死なない 平成の鬱をこえて』

 與那覇が躁うつ病(双極性障害II型)を発症し立ち直る経験と共に、発病を機に「知性」に関する思考の歩みを記した本。タンス預金型=地頭型やライフハック型の知性を批判し、言語=理性と非言語=身体の調和による自己や社会の見つめ直しが提起されている。
 特に網野善彦を引きながらcommunismを「共存主義」と訳し直し、闘病の体験も活かして『共産党宣言』を平成的な能力主義批判として再解釈し、個人の能力の共有の要を説く終章は、大学で学ぶ知性と在野の知性の融合という感じで面白かった。『嫌われる勇気』や『ビリギャル』等の話題作から大学の権威失墜を読み解いていく様も斬新で面白かった。『嫌われる勇気』が作られた事情や売れた理由まで推測していてすごい。
 私自身大学を卒業して久しいので、学生時代に著者に感じていた、アカデミア批判の高まりの危なっかしさみたいなものはあまり感じないようになった。

米澤穂信『春季限定いちごタルト事件』

 〈小市民〉シリーズアニメ化を祝して再読。小賢しさを捨てたい小鳩と、執念深さを捨てたい小佐内の二人が「小市民」を目指しつつも自我を捨てられずに推理譚へ引き摺り込まれていくシリーズ。
 小佐内ってこんなに萌えキャラだったっけ...?というのが一番の驚き。小鳩が駅前の大型書店を腐していたり、ブラックコーヒーを常飲したり、米澤穂信の趣味が良く表れていて楽しい。小鳩が小市民に成りきれない自身をして、「精進が足りない」とどこか気楽に構えている感じが青春小説の軽さを象徴していて、気楽に楽しめる。

米澤穂信『夏季限定トロピカルパフェ事件』

 〈小市民〉シリーズ第二作。夏季は初読。小佐内に纏わる大きな事件と、二人の破局を描く。二人の関係の有意義性を突き詰めるというのが、いかにも米澤らしくて好き。小佐内が犯した反則についてのくだりは著者の許せる範囲を越えているような気もするけれど、次作以降ではどう折り合いをつけるんだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?