読書録 2024年5月

ジョージ・オーウェル『動物農場 おとぎばなし』(川端康雄訳)

 動物達が農園から人間を追い出す「反乱」を成功させるも、知恵のある「ぶた」たちに支配される様子を描く小説。かなり露骨にソ連・共産党政府への非難が込められている。
 作り話だとわかっていても(ある意味作り話ではないのだが)、「ぶた」の「指導者」への憎しみと虐げられる動物たちを応援する気持ちとが沸々と湧き上がってくるのを実感しながら読んだ。フィクションが持つ力を実感できる小説だった。

小林泰三『時空争奪 小林泰三SF傑作選』

 小林泰三の短編集。小林泰三といえばホラー小説のイメージが強いので、おっかなびっくりしながら読んだ。不気味な雰囲気に満ちている作品が多く、湿度の高い恐怖を感じた。
 特に印象に残ったのは「C市」と表題作の「時空争奪」。クトゥルフ的な恐怖を日本人は理解し得ないとよく言われるが、そうした恐ろしさを、科学や歴史といった日本人でも普遍的と信じているものが覆されるという形で表現しているように感じた。

三島由紀夫『不道徳教育講座』

 三島が若者に語りかけるエッセイ集。数年ぶりに再読。タイトルのとおり「大いにウソをつくべし」「約束を守るなかれ」等、不道徳を旨としている。確かに一見不道徳ではあるのだが、内容を辿ると、若者に対して、「変に真面目すぎたり一つのことにこだわりすぎると爆発した時に大変だから力を抜きなさい」と説いているようで、わりと真面目な人生指南とも取れる。三島が戦後の浮薄さに寄せていた嫌悪感を考えると、三島も若者に対しては意外と優しいんだなと思った。

中村隆則『野蛮の言説 差別と排除の精神史』

 若い読者へ向けて講義調で書かれた〈野蛮の言説〉をめぐる書。人間社会に蔓延る排除や蔑視を伴い、他者を〈野蛮〉とする言説を、フーコー的なディスクールとして分析していく。人間たちがこれまで、他者を〈野蛮〉の側において差別することを繰り返してきたと説かれている。
 印象に残ったのは、ダーウィン『種の起源』や、そこから派生する社会進化論者達の言説が、いかに他者への暴力や排除、差別等を正当化していたか説くくだり。人間がいかに自己正当化のために事実を都合の良いように解釈しているのか、まざまざと見せられ、暗い気持ちになった。

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

 いま話題の本。自称読書家が自己弁護的に読む本だろうと邪推して購入したら、先行研究に依拠しながら読書史の論点を整理することで、現代の読書文化の位置付けを考えいく本だった。明治期の立身出世主義からはじまり、読書は常に自己啓発的な要請を受けており、その流れの延長線に現代があるとしつつ、90年代から労働によって自己実現を図る風潮の高まりと、新自由主義下で行動主義が加速することとを受け、実践的な知の収集が強く求められるようになり、「ノイズ」である読書が人々にとってハードルの高いものになったと主張されている。読書ができるかどうかは「階級」に左右されると繰り返し説かれていて、このタイトルを見て小馬鹿にしている層に突き刺さる内容だと思った。
 読書史に比べて、労働史の解像度が低いのは少し気になるところ。著者が目指す「半身で働く」という態度は、現代社会の労働に対する深い理解がなければ、上滑りな夢物語に終わってしまうのではないかと思う。

『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』

 作家・村上春樹と心理学者・河合隼雄の対談録。「物語」をめぐる対話の中に、時折政治的な発言が顔を覗かせている。戦後の平和の裏にある人間が抱える暴力性への自覚の薄さに関する議論が印象に残った。
 村上の「自己治療」として小説を書くスタイルに、河合の「箱庭療法」がシンクロしていて、同時代のセカイ系の流行に思いを馳せた。自分もある種の自己治療として読書録をつけたり遊戯王で遊んだりしているんじゃないかとも思った。時代の寵児二人の対談なので、平成史の一段面を垣間見たような気がする。

谷崎潤一郎『台所太平記』

 千倉家に奉公する女中たちの物語。多様性に富んだ女中たちの個性が読んでいて楽しい。作者が彼女たちに向ける穏やかな視線が優しくて、その楽しさを加速させている。変わり者の「駒」の言動まで、あんなことがあったなぁと笑いながら回顧しているような調子で、温かい気持ちになる。
 鰹漁師の妻の悲哀や、女遊び・賭け事等の悪癖が抜けない男に振り回される「銀」の様が挿入されていることで、終盤の大団円に見られるささやかな幸福が本当に尊いものだと思えた。
 途中、当時70代の作者が「銀」から50代に見えると言われたくだりがあって、谷崎もちゃんとじじぃじゃん、思った。

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