西方見聞録_day1_アテネ
建築を勉強すればするほど、今の日本にとって「近代」がどれだけ重要だったのかを感じることが多くなってきました。
町に駅ができ、電気が通り、道が舗装されてゆき、建物それ自体もインフラの整備や戦災の影響、経済発展に伴い旧来の家屋から、欧風化した家や鉄筋コンクリート造の建物で街並みが構成されるようになりました。
この駅や電気、道路、そして建築、また法律に至るまで、近代と共に西洋から日本に輸入された様式が、その輸入元となる西洋では今現在どのように扱われているのか。あるいはそれはどのような文化・文脈の下で生まれ、発展し、今に至るのか。
文字情報としてはなんとなくわかるのだけれど、自分の感覚としてそこがぷつんと切れてしまっているような気がずっとしていました。だからこそ知るためにはやはり自分の目で見て感じないといけないと強く思っていました。
今回幸いにも、この1カ月弱まとまった時間をとることができたので、思い切って西洋の建築や街並みを一人で見て回ってみようと思います。
建築史の教科書に従うように、古代ギリシャを訪れることから始め、イタリアの古代・中世・近世の計画都市/自己組織的都市を巡り、コルビジェが活躍したフランス、同じく世界大戦で街が破壊されたドイツの順に、ヨーロッパを巡ることにしました。
旅それ自体と、その時感じたことを中心に記録していきたいと思います。
ここまでの写真で改めて見返してやはり思うのですが、ギリシャは白と黒のコントラストがとても強いです。街についた瞬間「白っ!!」と思わず言ってしまいましたし、サングラスがないととても目を開けられないくらいです。
町のあらゆる要素が、白い石で作られていることは地域性であるとともにおそらくギリシャの人の価値観にも大きく影響を与えているのではないでしょうか。
パルテノン神殿や古代アゴラがなぜ今この現代の西洋建築史のスタートとして語られるのか。もちろん、当時に民主主義の源流があるというような歴史的背景もあるとは思いますが、遺跡を巡る中で、「あれ、この感覚は日本でも結構感じるよな」ということがあり、そこから、空間的にもそれらを説明する仮説が自分の中でできました。
今日における図書館や美術館、駅、オフィスに至るまでそれらのいわゆる「公共」建築物はある程度の規模や大きさを持つとともに、鉄筋コンクリート造のほぼ石ともとれる物質から構成されることがほとんどです。
当時は宗教も人々が集まる共通の場所として、ある意味で「公共」であったように思います。
つまり、そういった「公共」的な概念のもとに建築はいかにつくられてきたか。そしてそれは石の文脈であるということが西洋では建築の歴史を語るうえで大事なことのように思います。
日本では、戦後あたりでそういった鉄筋コンクリートで公共建築を作るという文化が急速に入り込んできたため感覚としてそういった古代から現代にいたるまでの歴史の連続感が薄いように思います。
西洋ではそれらが連続しているからこそ、古代のパルテノン神殿やアゴラが源流として語られ、実際私がアゴラの中を歩いていると、その復元された列柱が現在のRC柱の均等な間隔で並ぶ建築のそれと、感覚が重なったのだと思います。
もう一つ印象的だったのは、アテネの外部空間は緑が多いとともに観光客じゃない人も談笑しているような雰囲気が多かったです。
とても勉強になりました。