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【第2回】POPTRAKS!通信 / 映画『トノバン』から、日本のNew Wave ~Powerpopへと巡る想い。

◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta

 先日、5月31日から各地で公開されている加藤和彦さんのドキュメンタリー『トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代』を、映画館へ見に行ってきました。

 加藤さんを直接に知る数々の音楽関係者の方々の、このための新規撮影インタビュー映像による証言を軸に、貴重な過去の加藤さんのテレビ出演時の映像(初期サディスティック・ミカ・バンドの貴重な映像も!)なども時折交えた約2時間。ナレーションなどはなく、ひたすらに証言でストーリーを繋げてゆく、ある意味潔い作りのように感じました。

 おそらく本来、ここで語られている3つの大きな活動期(フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンド、ヨーロッパ3部作)のエピソードだけでも、それぞれ独立した映画が作れそうなくらい(実際、ミカ・バンドは2回目の再結成を軸としたドキュメンタリーが過去に作られています)、濃密だった加藤和彦さんの世界。2時間にまとめるのは、相当にご苦労があったのではと思います。

 実際、制作者インタビューを拝読すると、最初の編集の段階では6時間ぐらいの大作になってしまっていたそうですが、それをこれだけの尺にまで泣く泣く縮めたようです。

 ただ個人的になにより大事だな、と思ったのは、この作品がやはり“映像作品”だということ。

 加藤さんの全体像を語るヒストリーだけに、熱心な音楽ファンの目線からすれば、場面によって既出と感じられるエピソードなどもあるとは思いますが(そういった感想もあるようでした)。

 とはいえ、まずは“新撮影のインタビュー映像の数々”が、このようにまとめられたことには、意義があったのではと感じています。同じエピソードであっても、やはり、個人それぞれの“細かな表情”を伴う、“肉声”で語られる“動画”のインパクトというのは、どうしても文字以上に、大きいものだったりもしますから。

 一方で、文章における詳細なインタビュー、たとえば10万字インタビューなどのノリを映像で表現しようとしたら、それこそ何時間もかかってしまったりもするんじゃないかとも思いますし、そこは、映像と文章の、それぞれの利点ということだとも思います。

 映画の宣伝文句にもあったように、後世に過去の時代を語り継ぐという意味では、このような作品が作られ、映像が公式に残されたということは、やはり必要なことだったのかもとも、感じています。

 ただ、もちろん、2時間に縮めたということは、当然ながらここに漏れてしまった話題などもあるわけで。実際、パンフレットを読む限り、関係者へのインタビューは相当な時間が費やされていたようで、使われなかった素材はとても多かったようです。可能ならそうした素材も含めた続編というか、スピンオフのドキュメンタリーがさらに見たいな、とも思ったりしています。

 それにしてもこうした音楽ドキュメンタリー作品というのは、たとえばザ・ゴールデン・カップスを取り上げた『ワンモアタイム ONE MORE TIME』(2004年公開)など、この日本においても、まったく作られていないというわけではないのですが、それでも、その総数からすると、まだまだ少ない気もしています。特に、1960年代から1980年代においての音楽シーンについての証言は、いま、もっと映像として残されて行っていいのではないかという気がしています。

 今後、この『トノバン』のような作品が、自由に(過去映像の利用なども含めて。過去のテレビ等の映像利用に関する権利関係の複雑さなどの苦労も、パンフレットには綴られています)数多く作られることを、願いたいです。

 そんなわけで、映画館を出た後も、加藤さんの音楽について考えたりしていたわけなのですが。そんな中で、あらためて思ったのは、自分の好きな日本の音楽って、なにかしらで加藤和彦さんに繋がることが本当に多い、ということでした。

 まずひとつに思ったのが、1970年代~80年代の日本のNew Wave / Powerpop文脈との、加藤さんの関係、影響です。

 たとえば、POPTRAKSレーベルでリリースさせていただいた『スウィーター!ルーツ・オブ・ジャパニーズ・パワーポップ』ひとつを例にとってみても、ここに収録させていただいた〈リンドン〉

 CD制作時の取材で元メンバーの伊藤薫さん(のちチューリップ、オールウェイズに参加)に伺った話では、リンドンはアマチュア時代から、ミカ・バンドの曲はよくカヴァーしていたのだそうです。

 特に「ダンス・ハ・スンダ」(ミカ・バンドの1st収録曲)。リンドンがプロ・デビューして以降もこの曲はライヴ・レパートリーとして継続して披露されていたようで、実際、観客によるライヴ録音も残されています。リンドンのあの、強烈なビートの効いたサウンドの原点には、ミカ・バンドの存在も大きかった?のかもしれません(ミカ・バンドからのリンドンへの影響は、両者の楽曲を色々聴き込んでくると、気付くものもあります)。

 ほかにも1970年代~80年代の日本のNew Wave / Powerpop文脈を眺めてみると、加藤さんに繋がるアーティストが結構、思い浮かびます。

 たとえば、和製グラムといえば必ず名の上がる〈ルージュ〉(『スウィーター!』にも一曲収録)は、ミカ・バンド期の加藤和彦さんが主宰したプライヴェート・レーベル《ドーナツ》からのデビューでした(75年デビュー)。

 そのルージュ解散後、ベースの堀井隆之さんが参加した〈ピンナップス〉は加藤さんはタッチされていませんが、日本のPowerpop文脈では決して欠くことのできない、最高のバンドです(81年デビュー)。

また、同じく元ルージュのギターの逆井オサムさんは、元ミカ・バンド~サディスティックスのキーボーディスト、今井裕さんが結成したNew Waveバンド〈イミテーション〉に加わっています(80年デビュー)。彼らのデビュー作はプロデュースもまさに加藤さんが手掛けたものでした。

 さらに加藤さんが《ドーナツ》のあと、あの内田裕也さんと共に設立に参画したのがポリドール傘下の《カメリア・レコード》で、そこから81年に加藤さんプロデュースでデビューしたのが〈EX(エックス)〉でした。梅林茂+羽山伸也を中心としたこのユニットも、60’s的なエッセンスが感じられるNew Waveサウンドを持った方々でした(リンドンと同じく、博多出身でもあります。世代的にも、田中信昭さんとほぼ同世代)。

 EXは他アーティストとのコラボレーションも素晴らしく、たとえば梅林茂さんが作・編曲を手掛けた中島はるみさんの「シャンプー」の甘酸っぱいガール・サウンドとか、EXの面々がバッキングした村松邦男さんの「サンライズ・ツイスト」とか、ポップで見逃せない作品が多いです。

 そしてこうした加藤さんとの直接の関わりのあったアーティスト以外でも、色々な後続世代への影響というのはあるように思います。

 たとえば80年代の東京モッズ・シーンの中でひと際ポップな楽曲を紡がれていたと自分が思うバンド〈ハイスタイル〉のマンジさん(Majima “manji” Masanori、近年では並行して、スクーターズのギタリストとしての活動も)も、ご自身の少年時代の好きなバンドの大きな柱としてミカ・バンドがあったことを、以前、何かの際にお話させていただいていた時、その会話の中で仰っていたように思います。

 ちなみにマンジさんは当時、リンドンやバッド・ボーイズなども大好きで、ライヴを幾度か観ていらっしゃったそうです(というより、リンドンが「ダンス・ハ・スンダ」をカヴァーしていたことを、自分にいち早く教えてくださったのが、じつはマンジさんでした)。

 まだまだ考察は足りませんし、説明も十分でなく申し訳ないのですが、でも、こうしていくつかの例を拾ってみても、加藤さんの活動、特にミカ・バンド期のポップで洒脱な音楽、“センス”が直接的、間接的にNew Wave以降の音楽シーンに与えて行った影響。あるいは、なんらかの”薫り”が引き寄せた人脈的な繋がり。

 なんというか、ある種の“流れ”があったんじゃないかな?・・・と、あらためて、ふと考えたりしているわけなのです。

※引き続き第3回でも『トノバン』について触れます→第3回を見る


©POPTRAKS! magazine / 高木龍太

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