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【第3回】POPTRAKS!通信 / 続・映画『トノバン』。日本のPowerpop、そしてガロ。

◎文:高木龍太 / TAKAGI, ryuta

 前回に引き続き、加藤和彦さんのドキュメンタリー映画『トノバン』に関連して、頭に巡ったことを少し、ランダムになりますが、綴り残してみたいと思います。



東芝EMIの邦楽制作陣


 加藤和彦さんが〈ザ・フォーク・クルセダーズ〉でメジャー・デビューした1967年から、ソロ~〈サディスティック・ミカ・バンド〉~再度のソロと、70年代末に至るまでの約10年間に在籍していたレコード会社が《東芝EMI(1973年以前の社名は東芝音楽工業)》だったことから、この映画には、元・東芝EMIのスタッフの方々が何人か、その当時の加藤さんを直に知る証言者として、ご出演されています。

 加藤和彦さんのそれまでにない自由な音楽制作の背景には、当然、それを支えたスタッフの方々の熱意や、尽力もあったことも、見逃せません。

 幾たびも話題に出して恐縮ですが、2015年に発売したPOPTRAKSレーベルの第一弾CD『スウィーター!ルーツ・オブ・ジャパニーズ・パワーポップ』(DIRP1001、現在品切れ)というのは、すべて1970年代から1980年代にかけての、東芝原盤の音源ばかりをコンパイルしたものでした。

 これはCDライナーの序文にも記した通り、基本的に日本では海外のように複数レーベルの音源を自由に選曲してコンピレーションを出すことが難しく、一社の音源でCD一枚を作らなければならなかったという事情があり、そんな中で<パワーポップ>と呼べる国内アーティスト、楽曲が集中して多かったのが、東芝だったということがあったのですが、結果として、当時の同社で作られたこれらのサウンドのクオリティは高いものばかりで、コンピレーションとして、充実した内容になったと感じています。

 そんな東芝になぜ、日本のパワーポップ系のアーティスト、楽曲が特に集中していたのか。これについて、ライナー序文では<当時の東芝がビートルズはもちろん、バッドフィンガーやラズベリーズ、パイロットから、ザ・ナックあたりまで、パワーポップの文脈で語られる海外アーティストの日本での発売元だったことも関係していたのかも>・・・、と書いたのですが。

 今回、『トノバン』を観て、ひょっとするとそれに加えて、当時の東芝の邦楽制作セクションの、なんというか、自由で、チャレンジ精神にあふれた気風というのも、影響していたのかもしれないな・・・、と、そんな風にも、あらためて思ったりしています。なんといっても、70年代当時に限っても、サディスティック・ミカ・バンドや、ほかにもウォッカ・コリンズなど、当時の数多くのロック作品とは異なる、カラフルでファッショナブルで、ポップなレコードを世に送り出した会社でもあったわけですから。

 実際、『スウィーター!~』収録楽曲には、同時期に加藤和彦さんの音楽制作にも携わられていたスタッフの方々が関与されたものが、かなりの数、収録されていたりもします。

 そして、映画『トノバン』にも、そんなスタッフの方々から、おふたりが証言者として、ご出演されていたりもするんです。

 おひとりは、新田和長さん。70年代当時、東芝にてディレクターを務められ、チューリップ、RCサクセション、オフコースなど、数々のビッグ・アーティストのデビューにも携わられた方。そしてのちには独立し、ファンハウス、ドリーミュージックというふたつのレコード会社を設立された方です。

 その大きな足跡は、簡単にひとことでは語り切れませんが、『スウィーター!』にも新田さんが同時期に担当されていたアーティストが含まれており、〈リンドン〉の1作目、2作目のシングルや、〈ザ・バッド・ボーイズ〉の作品(収録曲はシングル2作目ですが、これについては実際の現場でのプロデュースは別。後述)が、新田さんのディレクションによるものでした。

 そして、『トノバン』にご出演されている中で、最も『スウィーター!~』に関わりが深い方というのが、当時、東芝で若手のスタッフとして音楽制作の現場に携わり始めていた、重実博さんです。

 元々、ご自身のバンド活動を経て、オフコースやBUZZのレコーディングでも活躍されていたというミュージシャンでしたが、加藤さんの誘いからサディスティック・ミカ・バンドのマネージャーとなり、その縁から、70年代半ばには、ミカ・バンドの所属レコード会社である、東芝EMIにて、音楽プロデュース活動を開始。のちには稲垣潤一さん、小林明子さんなどを手掛け、大ヒット曲を生み出されます。

 ライナーノーツにも書きましたが、じつは『スウィーター!~』には、その重実さんがそのキャリア初期にサウンド・プロデュースを手掛けられていた作品が多数、あるんです(ライナーには、重実さんご自身へのインタビューをもとに、様々なエピソードをご紹介させていただいています)。

 たとえばリンドンの3作目のシングルと、バッド・ボーイズの2作目のシングル(当時のレコードにはノン・クレジット)。そして、東芝に正式に入社後に担当された〈ロッキーズ〉のシングル曲「夏のラブ・ソング」や、〈ベイ・シティ・フェローズ〉の「ウェルカムR-O-L-L-E-R-S」(これもノン・クレジット)・・・。いずれの楽曲も、ミュージシャンご出身で、洋楽ロック、ポップスに裏打ちされた重実さんの、それまでの一般的な邦楽制作とは異なる志が背景に感じられるような作品ばかりです。

 このほかにも、加藤和彦さんがプロデュースされた〈ルージュ〉のアシスタント・プロデュースにも、重実さんのお名前が見受けられます。

 優れた音楽が良質の記録として残るためには、ディレクター、プロデューサーに留まらず、エンジニアの方など、背景にこうしたスタッフの方々の存在が大きかったりもします。特に、当時の東芝音源はそれがひしひしと感じられたりします。

 こうした話題は、ひょっとするとマニアックな話のように聞こえるかもしれないのですが、でも、こんな風に“音楽の背景”にも目を向けつつ音楽を耳にしてみると、色々とまた見えてくるものがあったりして。興味深いことなんじゃないか・・・と、そんな風に自分は思っています。


加藤和彦さん周辺と、ガロの接点


 現在《GARO ARCHIVES》を展開中の『POPTRAKS!magazine』ですが、加藤和彦さんは生前のインタビューにおいて、そのガロとも<(70年代当時)仲が良かった。体質が似ていた>というような意味合いのことを語ってらしたことがあります。

 ガロと加藤和彦さんの交流というのは、残念ながらお互いの具体的なコラボレーション作品などがなかったことから、話題になることも少なく、あまり知られていないことかもしれませんが、コンサートでの共演はかなりの数がありましたし、大野真澄さん個人は加藤さん、また福井ミカさんとも、のちのちまで親交などを持たれていたり、接点は色々とあったようです。

 もちろん、ガロのバッキングを務めていた小原礼さん、高橋幸宏さんが、その後、サディスティック・ミカ・バンドに参加されることも、よく知られた、大きな接点ですが。

 しかし、なによりも、すでにヒストリー記事『How They Became GARO』でご紹介して来ている通り、加藤和彦さんが設立されたあのP.A.会社《ギンガム》の創立メンバーが、元〈エンジェルス〉(堀内護さん在籍)~元〈ミルク〉(日高富明さん在籍)の鳥羽清さんほか、ガロのメンバーとゆかりの深い方々だったことは、特筆すべき重要な接点だと、自分は考えています。このあたりの話題については、今後の『How They Became GARO』の連載テキストなどでも、さらに触れます。

 ギンガムといえば、前段で触れさせていただいたサディスティック・ミカ・バンドのマネージャーでいらした重実博さんも、ガロとは古くからのゆかりのある方でした。

 じつは、重実さんは日高富明さんとは、ご自身の学生時代のバンド時代、日高さんが在籍した〈ミルク〉と共演して以来の、親しいご友人だったからなんです(『スウィーター!』制作時のインタビューにて伺ったお話)。

 その後の音楽プロデューサーとしてのお仕事の中でも、重実さんは日高さんにご自身の担当アーティストへの楽曲提供を依頼されていたことがあり、まさに『スウィーター!~』に収録したロッキーズ「夏のラブ・ソング」(1978年)という曲も、日高さんの作曲によるものでした。

 日高さんはその後、1980年代に入って稲垣潤一さんのアルバムに「風のアフロディーテ」(1982年『Shylights』収録)、そして「Mr.Blue」(1985年『No Strings』収録)という2曲を提供されていますが、これも重実博さんがプロデュースを手掛けられていた縁が結んだものです。

 どちらも派手さはありませんが、心にジンとくるようなメロディを持つ、すてきなバラード作品。洋楽フィーリング豊かな稲垣さんの歌声と、サウンド・プロダクションで、優れたAOR~City Popに仕上がっています。

 特に日高さんの得意とした60年代的なロッカ・バラードの雰囲気をモダンに仕上げた「Mr,Blue」は、1986年に早逝された日高さんにとって、最後の公式楽曲になった曲でもあるだけに、個人的にはよりその切なさが、胸に沁みるようです。

 City Popが多くの方々に聴かれるようになった昨今、この2曲も、サブスクで聴取可能になるなど、現在では、どなたにも非常に耳にしやすい状況となっています。

 重実さんと日高さんのコラボレーションでもあったこの2曲。アルバム収録曲という存在ではありますが、今後より多くの方の耳に触れ、日高さんの後期の楽曲という点からも、あらためて注目されるといいなと思います。

 ちょっと、まとまりない文章になってしまったのですが。でも、(前回の結びと少し重複しますが)こんな風に、音楽というのは、なんらかの、同種の“薫り”を軸に、どんどん繋がって行く。“地図”を広げて行くことができる。それが、自分には本当に、心惹かれることで。

 そんな、音楽の「繋がり」。POPTRAKS!magazineでも、そんな風に、音楽について触れて行けたなら、記して行けたなら。こう思っています。

 ガロと加藤和彦さんとの接点についてや重実博さんのお仕事についても、ここでは駆け足となりましたが、そのあたりについても今後、あらためて、詳しくご紹介して行くことができたなら・・・、そんなことも、思ったりしています。

©POPTRAKS! magazine / 高木龍太

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