被災地に建てられている防潮堤について思うこと
※防潮堤に関する批判的な文章が一部含まれております
2011年3月11日、当時自分は高校生だった
その時学校の駐輪所にいた、
14時46分、そのときに地震が発生した
家に帰ることなく、すぐにグラウンドに向かった。
その2時間後に家の近くにあったガスタンクが爆発した。
家の近くにある国道16号はこれまでにないほど、静かだった
それが自分の周りで起きた3.11であった。
それから7年後に、福島の海沿いに行くことになった。
訪れた場所はは南相馬市だった
周りは平原、あるいはソーラーパネルだろうか
何もない荒地、ほとんど建物がない。
地平線には一本の白い筋があった。
被災地の周辺で建てられている防潮堤だ。
その防潮堤の姿は、なだらかな形で、壁というよりは白い丘であるとを再認識することになり、私の中で想像していたそびえ立つ大きな壁という認識を覆すこととなった。(地域によっては壁のような防潮堤もある)
しかし、この防潮堤は今後この地に住む者にとって長く対峙することになる。
「俺たちは海とともに生きてきた、だから海が見えなくなるのは悲しい」
福島で出会ったタクシードライバーの言葉である。
海と共に生きてきた人たちから海がひき離れようとしている。
海からまちを守るための防潮堤が海とまちを離そうとしている。
できたばかりの防潮堤は白く、美しいと感じた。ときには通学路や散歩道にもなり、もちろん津波からも守ってくれる。
しかし、海が見えなくなることを代償にしてまで作る必要があるのかという問題は、現在でも議論されている。
見慣れた風景が見えなくなるということはどういうことなのだろうか?
「防潮堤を作ることは悪いことではないが、自然とともにできる防災策を作るべきだ」
宮城県の語り部の一人が語っていた。
防潮堤の建設は、周辺住民たちと自治体などと常に争いが続いている。
この防潮堤の存在意義が問われ始めている。
また後日このテーマで作品展をやろうと思います。
しばしお待ちください