必要な言葉、学ぶ順序
その日本語のクラスには、台湾、香港、韓国、フランスなどの学習者のほかに日本人の帰国子女もいた。日本国籍の彼女はご両親が関西出身とのことで、関西弁まじりの日本語を話す。
ある日のクラスでの会話。
彼女「わたしの好きな料理は肉じゃがです。肉じゃがっていうのは、おいも
さんと玉ねぎと、ほんまは牛肉で作らなあかんねんけど、わたしのう
ちはかしわです」
クラスメート 「???」
日本語学校で半年前から学んでいる、ある意味ちゃんと?勉強したクラスメートと彼女は、お互いどうして会話が通じないのかがわからなくて、「え、何?」「もう一度言ってください」、「え、なんでわからんの?」と顔を見合わせ、思いがけず標準語と方言の交流の場となった。
彼女はこのとき「~しなあかん」が「~しなければならない」だということを初めて知り、クラスメートも「彼女はペラペラ話すから言っていることがわからないと思っていたけど、そうじゃなかったんだ!」ということに気づくことになった。
一般的に留学生が学ぶ日本語はいわゆる標準語で、テキストによって多少違いはあるが語彙や表現も汎用性の高いものから学ぶ。対象は子どもではないから、最初は「です、ます」表現を学んでからくだけた表現を学ぶのが一般的だ。
一方で、件の彼女は家庭生活の中で学んだ日本語でおまけに関西弁。日常のことはペラペラ話せるので日本語に問題ないかと思いきや、「書類」「経済」などの漢語や標準語の表現がお手上げだったりする。
そういえば、ずいぶん前、幼少期におばあさんと生活していたヨーロッパからの帰国子女の20代の女性が、スプーンを「お匙」と言っていた。「すみません。お匙を忘れてきたので、貸していただけませんか」と言われたときは、驚くのと同時になんとも言えずほんわかした気持ちになった。匙なんて、わたしは「大さじ小さじ」か「匙を投げる」ぐらいでしか使ったことがない。(さじ加減、もありますね)。
必要な言葉、学ぶ順序。外国語として学ぶ日本語、家庭での日本語、社会での日本語。立場や環境や状況、地域によってさまざまな言葉が交錯する。それはとても豊かなことで、細やかなニュアンスを逃さない日本語はすてきだなと思う。
反面、外国語として学ぶのはなかなかに大変なことだなとも思うのだ。