紡いだことばを感じる
日本語のクラスでスピーチをするために、フランスの学習者と原稿チェックをしていたときのこと(わたしは日本語教師をしている)。
フランスの食文化を紹介するということで、食前酒を飲む習慣についても書いていた。フランス語ではアペリティフといって、フランス人の食事には欠かせない習慣だという。
しかし、その由来についての記載がなかったので
「どんな意味があるんですか」
と聞くと、その人はしばらく考える素振りを見せてからこう言った。
「たぶん、物語があると思いますが、わたしははっきりわかりません」
物語。
そのことばを聞いて、なんとも言えずいいなあと思った。
物事にはきっと起源や由来や意味があるに違いないと思って、その中でも学習者に最もわかりやすい「意味」という言葉で尋ねた。ことばはツール。伝わらなければそれこそ意味がない。
でも、なるほど「物語」の方がその人の言いたいことにはぴったりな気がした。最近はよく、「ストーリー」とか「ストーリー化」ということばも聞くが、ここでは合わない気がする。
調べると、フランス語では物語を意味することばがいくつかあって、その中の一つのhistoire(イストワール)は「歴史」も意味するらしい。その人の表したいことはイストワールだったのだろうか。
でも、それを「歴史」や「ヒストリー」と言ったら、またニュアンスが違う。わたしは年表や国の盛衰をイメージしてしまうし、少しかたい。やはりここは、「物語」だ。
数多あることばの中からどのことばを掬いとるかで、語り手が何を表現したいかや受け手がどう受け止めるかが変わってくる。
最近、「彼のことばが胸に刺さった」とか「心に刺さる文章の書き方」とか、ポジティブな意味での刺さるという表現を目にする。けれども、ここでは似合わない。
「心に響く」とか「心で感じる」とか、昔ながらの表現がいい気がする。丁寧に紡がれたことばを、心で感じる。
あともう一つ、フランス語の癖のある少しくぐもったような「物語」の発音も、なんだかステキな効果をもたらしていた。これは、文字では表せないことでもあるなあと思う。