こだわりがある人に憧れる
「アオボウシはこだわりがないなあ」
学生時代に友人に言われたことばだ。
確か、いっしょに行く旅行スケジュールを決めていたときだったと思う。別に否定的な意味ではなくて、その子はこだわりが強い人だったから、「え、いいの?わたしの思った通りにしちゃって」みたいな感じだったが、記憶に残っている。
「この店に来たら、絶対コレを食べることに決めてるの。他は食べない!」
「このグループの追っかけ、20年してる。何があってもツアーには行く!」
「絵を描くのが大好きで、ずっと描きためているんだ」
好きなものややりたいことが明確な人がまわりにもいて、しょっちゅうその良さについて熱く語り、時にはすすめられる。
こういう人は軸がしっかり定まっている気がして、スゴイなあと思っていた。これだけは譲れないという心意気が、カッコいいと思う。
わたしはその軸があいまいで右に左にずいぶん移動するから、守備範囲が広くなる。食べられないものもないし、好きな日本酒だって「このタイプのじゃなきゃダメ!」みたいなのはなくて、割に何でも受け入れられる。アーティストの追っかけなんかしたことないし、これがないと死んでしまう!というほどの趣味はない。
自分をどうウルか、みたいなことが声高に言われるようになって(以前から言われていたのか?)、自分の色を示す必要性に迫られるようになって、自分には色がないといっそう感じるようになった。
「ちょっといいと思ったことを、すぐにスキとか言うの気が引けるんだよね。いつ変わるかわからないし。」
わたしが友人に言うと、
「そこ、こだわるところ?好きだなと思ったことが、やっぱり興味なくなっちゃったってなってもいいんじゃないの」
そうなのか。わたしは、こだわりのあり方にこだわっていた?
こだわりがあるというのは、そのこだわりに対して首尾一貫していないといけないと思っていた。自分の軸として一本筋が通っていて、時間軸においてもそんなに変わらないものだと思っていた。
どこかのレストランに行ったら、わたしはその店のおすすめを食べる。蕎麦屋ではそばを食べ、うどん屋ではうどんを食べる。うどん屋でそばを出していても、よっぽどじゃない限りそばを食べることはない。(もしうどんが売り切れていたら、そばを食べる。ないのだから)。
外国に行ったらその地のものを食べる。パクチーだって激辛食だって、昆虫食だって食べる。朝食のビュッフェに10種類以上のチーズが並ぶ国では、少しずつ全部食べた。アレルギー検査をしても、数十ある項目のうち1つも数値を示さなかった(これは関係ないか)。
わたしはこれを、食にこだわりがないからだと思っていた。あと、貧乏性なせいもある。でも、こだわりがあってステキだと思っている友人に言わせると、これはこれで「そこで一番うまいものを食べる、経験する」というこだわりじゃないかと言う。
そうか。わたしも実は、こだわりのある人だった??
この記事を書くにあたって、「こだわる」の語意を調べてみた。
こだわ・る〔こだはる〕
[動ラ五(四)]
1 ちょっとしたことを必要以上に気にする。気持ちがとらわれる。拘泥(こうでい)する。「些細(ささい)なミスに―・る」「形式に―・る」
2 物事に妥協せず、とことん追求する。「素材に―・った逸品」
(デジタル大辞泉の解説より引用)
わたしが憧れている「こだわる」は2番目に書かれていた。
そして1番目に書かれているのは、ネガティブな意味の「こだわる」。皮肉なことに、こちらはわたしにぴたりと当てはまる。
うむ。やはりわたしは、こだわりのある人だった。憧れの対象にはなりえないけれど。