難しいけど大事な「改憲」の話④子どもの人権
学校と言う場は、子どもたちの健全な育ちを保障されなければならないと思う。
しかし、本当に子どもたちの健全な育ちが保障されているのか?と思うことがよくある。
その思いは年々大きくなっている。
憲法13条には、
「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及ぼ幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とある。
私たち国民は、個人として尊重される。
これはどういうことかと言うと、一人一人の個性や考え方の違いなどを尊重されるということ。
公共の福祉に反しないかぎりとは、「個人個人を尊重した結果、人々の権利が場合により制限される」ということ。つまり、他の個人に損害を及ぼさない範囲で、誰もが損失を被ることなく自分の幸せを追求できるということ。
あくまでも「個人」と「個人」についてのこと。
(そうだ憲法を知ろうというサイトを参照)
この3年、子どもたちは感染拡大を防ぐためという目的のために、マスクをさせられた。
当初は仕方がなかったのかもしれない。
でも、致死率も大したことがないウィルスだと分かって来て、マスクに拡大防止効果がほぼないことが分かっても、鼻さえ出すことも許されなかった。
息苦しさも我慢しろと言われた。
これって、子どもの人権を奪っているのではないだろうか?
ずっとそう思ってきた。
健全に育つ(生きる)権利を制限されたのだから。
常時マスクを着用することの弊害は様々な論文が出されている。
論文などなくても、素人考えでも、子どもたちがずっとマスクをし続けるって良くないと思うのだが。。。
最近、ある小学生からこんな話を聞いた。
「修学旅行中にホテルからお土産にもらったお菓子を、部屋の中で食べてしまった。そうしたら旅行から戻ってから先生に怒られて、5年生の前で謝らされた。全然納得できん」
<追記>
5年生と言っていたのは間違いで、6年生全員の前だそう。
ホテルの人は家族に持って帰るようにとお土産をくれたのだろう。
それを自分で食べてしまったということ。
小学生からの話だから詳細は分からない。5年生の前で謝ったのはなぜか?そこも分からない。来年のホテルに関係するからかな?
子どもが約束を守らずにお菓子を食べてしまった。
それは、5年生の前で謝るほどの重大なことなのか?
納得もしていないのに、みんなの前で謝らされたこの子の心にはどれほどの傷がついたことだろうか。
私は恐ろしいと思うのは、他の子どもたちに対して「先生のいうことをきかないとこういう目にあうぞ」と、脅しをかけたということ。
そういうことを平気でやってしまう教師集団。人権意識が無いのではないかと思う。
この子については、修学旅行前に「忘れ物をしたら修学旅行に連れて行かない」とも言われて、半分本気にして「修学旅行に行けんかもしれん」と心配もしていた。
忘れ物や宿題忘れをしないでほしいということかもしれないが、もし本当に忘れ物をし続けたとしても、連れて行かないなんてことはできることではない。
私たちは子どもに対して、「〇〇しなかったら、~~できないよ」などと言って、いうことを聞かせることがある。
私も孫に対して、「オムツを替えないと、散歩に行けないよ」と言ったりする。2歳児相手では、それが功を成すこともあれば、成さないこともある。
そういうレベルで小6を相手にして良いのだろうか?
子どもといえども、個人として尊重しなければならない。
最近話題になるブラック校則なども、子どもたちの人権を軽視していると思える。
私たちは、人権についてもっと知り、考えるべきだと思う。
無関心でいると、いつの間にか、自由に生きることすら制限されることになりかねない。
そんな思いで、「憲法勉強会」を立ち上げ、動画を撮っている。
第4回、第5回は人権について。
35分くらいの動画。聴き流しできるので、ぜひ耳を傾けてほしい。
学校で体罰が禁止されて久しい。
それは子どもたちの人権を守らないといけないということだったと思う。
体罰は身体的なものだけではない。
言葉による叱責も、場合によっては心を傷つけるわけで、それも体罰と言える。
今一度、人権について、考えたい。