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創作と腐れ縁

書けない人へのお悩み相談に回答させていただく機会がこれまでに何度となくありました。ぼくは技術者として働きながら演劇作家をやっています。技術者としてのキャリアはまだ駆け出しで、これからどうなっていくのかもわかりません。同期入社した人たちは「開発」に強い憧れを抱いているみたいだったけれど、ぼくはもともとその分野に対して憧れを抱くことができませんでした。どうしてでしょう? たぶん、ぼくは何かをつくるのだとしたら演劇だと心に決まってしまっているのかもしれません。

「心に決まってしまっている」。変な書きかたですよね。でも、これがいちばん正確な表現なのです。ぼくは、これだと心に決めて演劇をやっているわけではないのだと思います。何度も演劇をやめようとしたことがあるし、今でもなにかの拍子でもうこれで最後だと思うことがあります。けれどもやめないでかれこれ10年が経ちました。やめない、というより、やめられない。なんなのだろう、この腐れ縁のような関係は。

はじめの頃は脚本を書くことにものすごい労苦と時間を費やしました。けれどもそれがとても楽しかったのです。自分が書いたりつくったりした世界が人を笑わせたり感動させたりしているという事実、そしてその事実を眼の前でリアルタイムに立ち会えるということに、充実を感じていました。

それからぼくはもっと良質なものを書くことを志して、アートを学び始めました。並行して哲学や思想に関する書籍も読み始めました。これまで小説しか読んでこなかったぼくが背伸びをして絵画理論やフランス現代思想等に関する書籍を読み始めたのです。当初は読むのに多大な時間がかかりました。ノートブックにメモをとりながら丁寧に概念をインプットしていきました。その頃のノートブックの頁をぱらぱら繰ると懐かしい気持ちになります。

ノートブックにはぼくの精いっぱいの真剣さ、真面目さ、そして神経質さが詰まっています。そうやって、ぼくは新たな知識をインプットして、進化するのと同時に退化したのでしょう。世のなかではなにかを学ぶのはそれだけで良いこととされていますけれども、実際は手放しに「良い」とは言えないのだということを知ったのは最近のことです。つまり、なにかを学ぶということはなにかを捨てること、犠牲にすることだということをぼくは「アンラーニング/unlearning」という言葉を通して知りました。

なにを学び取り(learning)、なにを犠牲に(unlearning)したのでしょう?

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好きなものを好きなように書くために、noteを書いています。だから、このマガジンは僕の「スキ」で溢れてるんだと思います。

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今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。