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【短編小説】数多ある読書の方法のうちのある1つの方法について

昔——とは言っても2、3年くらい前の話だけど——ある帰り道に、

「今はどんな本を読んでいますか?」

と訊かれた思い出がある。

僕は一気に数冊の本を同時並行で読むので、この場でならどの本をあげたら、会話が弾むだろう……なんて卑しい考えかたをしようと試みたが、そういった思考は自分には似合わないし、そんなふうに器用に会話を展開させることは自分にはできないのですぐにやめた。

もしかしたら、正直に言えば良かったのかもしれない。僕は一気に数冊の本を同時並行で読むんだよ……と。しかし、たぶん、望まれている答えはそんなことではなくて、単純に書名を1つあげろ、と言われているのだということは十分に感じ取っていた。だから僕は、ニーチェだ、と答えた。

あのときどうしてニーチェが選ばれたのかはわからない。きっと脳内でくじ引きがおこなわれて、偶然に、同時並行で読み進めている何冊かの本のなかからニーチェが選ばれた。それだけのことなんだけれど、ほかの書籍は誰でも知っているような著者のものではなかったので、ここでニーチェ(という多くの人が知っている著者名)をあげることができたのは良かった、と当時を振り返る現在の僕は思う。

「ニーチェ。難しくないですか。ニーチェのなにを読んでいるんですか?」

「『善悪の彼岸』です」と僕は答えた。「ニーチェを初めて読んだのは『ツァラトゥストラ』でした。でも、難しくて挫折しました」

「今は、難しいとは思わない?」

「いや、今も難しいとは思います。でも、以前みたいに難しく読むこともできるし、難しく読まないようにする(ただ読む)っていう読書のモードを新しく手に入れたんです。それで、難しい本もなんとなく読めるようになりました」

「それはどういう(ことですか)?」

「詩だと思って読むんです。あぁ、ニーチェは詩を書いているのだと、思って読むんです。ただ読むんです。ニーチェが言っていることを読み解こうとはしない。ニーチェの言葉の響きや、単語の選びかた、つなげかたをただただ味わうんです。それが詩だと思って読む、という読書の方法です。このモードを活用すれば、どんなに難しい本であっても大抵読めてしまいます」

そして僕たちは駅のホームで別れた。僕は上り電車に乗って、かれは下り電車に乗った。


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