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災害時の鉄則

地面が傾いた。揺れはなかった。

驚いて家から飛び出そうとする。私は実家に居た。

おそらく年末年始だった。便所で用を足し終えたところだった、私はもっとも玄関に近いところに位置していたので、家族に避難を呼び掛けて一目散に靴を履いて外へ出た。

家族がちゃんと避難できるかどうか、心配ではあったが、とりあえず家からは出ないといけない。平坦だった地面がどんどん斜面になっていく、それにつれて家がみしみしと音を立てていたから。


ひとりで一目散に家を飛び出してしまったことに罪悪感がないこともなかった。家族を誘導してあげるべきだったのではないか? しかし、こういうときには、自分の身を守ることをいちばんに考えなくてはならない。川や海で溺れ死んだり、さまざまな災害の犠牲になった人々のエピソードを聞くと、まずは自分の身をいちばんに守らないといけないのだと、やはり思うので、冷酷に見えかねない自分の行動は正しかったのだと自身に言い聞かせる。


幸いなことに家族は家から脱出して、家の北側で私たちは落ちあった。

父は居間にいたので、その大きな窓から外へ出たんだよ、それよりも斜面を上って、お前がいる家の北側まで行くほうが大変だった、と労苦を訴えてきた。

台所にいたはずの母はいつの間に私の隣にいた。

母はどうやって家を脱し、ここまで来たのだろう? 訊きたかったけれど、恐怖で喋れそうになかった。

妹はアルバイトに出ていたので不在だった。

アルバイト先の建物は頑丈だから、おそらく無事だろう、と彼は言い聞かせるように口にした。でも、そもそもこの現象——平坦だった地面の斜面化——はどこまで広範囲にわたって起きているのかは知れない。

情報を収集しようと、スマートフォンをポケットから取り出そうとしたところで、便所に置き忘れて来たことを知る。取りに戻ろうかと一瞬迷って、斜面を一歩下りかけたところで家が押し潰れた。

そうだ、これも鉄則だった。

忘れ物をしても取りに戻らない。こういった災害時のルールを忠実に実践している自分に問い掛けた。死ぬのがそんなにこわいのか?

いつ死んだっていい、とお前は言っていたはずだ、あれは恰好つけだったのか?

押し潰れていく家、潰れてぺしゃんこになってゴミの山になり果てた家を眺めながら、彼は心中でで応えた。あの家といっしょに亡くなるのは厭だったのだと。



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宮澤大和
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。 これからもていねいに書きますので、 またあそびに来てくださいね。

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