時代は忙しないが, 自分は自分のペースで生きる. #振り返りnote 7月22日〜28日
毎週土曜日恒例の #振り返りnote の企画です。今週は、7月22日〜28日のあいだに投稿した過去記事をまとめました。
ちょうど1〜4年前の今の時期に自分がなにを考えて、なにを行動していたのか。そんなことを振り返るための時間が少しくらいあってもいいと思う。
2022年7月22日 “creative”
このエッセーに登場するオーストラリアの友人とは今でも仲良くしてもらっている。先日は急な頼みごとをしてしまった。僕はだいたい外国にルーツがある人(日本語を母語としない人)と話すときには翻訳調で話すようにしている。そのほうが相手が理解しやすいからだ。そして、翻訳調の日本語というのは、パロールというよりエクリチュールに近い。ふだん、書くためにつかっている言語の様式だから、翻訳調で喋ることは僕にとっても易しい。むしろ、パロールとしての日本語を扱うほうが僕にとっては不得手なのかもしれない。
2021年7月23日 〔小説〕東京テロリズム
自分なりにはあまりよくできた小説だと思っていないのだが、念のために振り返っておく。この物語で念頭に置かれているのはやはり東京五輪だった。開催間近の東京五輪を前にして僕がみた「夢」を下敷きにして書いたものだ。物語の舞台である居酒屋は、僕がふだん勤務している小店がモチーフになっている(と思う)し、このモチーフは2022年の初めに書いていた中編『斗起夫』の初稿にも登場している。
2022年7月24日 遅刻の話
電車を乗り過ごしたり、反対方向の電車に乗ってしまったりするたびに、自分専用の電車があればいいのにと考えるのだが、よくよく考えればそれはタクシーだ。タクシーなら乗り過ごす心配もないし、目的地と反対の方向へ運ばれる心配もないだろう。けれども、東京でタクシーに乗るとすると、渋滞もそれなりにするだろうし、到着時間も読めない。そして料金は高い。と、考えるとやっぱり電車が最適解なのか。自転車ではそんなに遠くまでいけないし。
2022年7月25日 新しいチャレンジ
これもちゃんと振り返っておくべき記事だと思う。しかしこのチャレンジが日の目を見ることはなかった。なぜだろう。自分がやりたいことというよりは、時代が要求していることに乗っかっていたからだと思う。時代は忙しないが、自分は自分のペースで生きるべきだ。きっとそうだろう。
2022年7月26日 対話と効率
対話の本質は聞くことにある、と書いてある。これは、2022年8月から23年1月にかけて実施予定の『たまたま』というプロジェクトのキーワードでもある。きっとこの記事を書いた頃には『たまたま』の構想を練り始めていたのだ。こんなふうに日記(note)を読み返すと、時間の感覚が更新される。時間はやっぱり直線のかたちではなくて円環のかたちをしていると思う。そして出来事と出来事は因果というよりも因縁でつながりあっていると思えてくる。すべての出来事はリゾームだ。
2020年7月27日 「信仰、未知と差異のデマゴーグ」 #第1回呆然戯曲賞自由
第1回呆然戯曲賞の自由部門受賞作です。ふだん戯曲を読み慣れていない人でも楽しめるような形式になっていると思います。質感としては、「詩と戯曲と小説のちょうど狭間にあるもの」という感じです。僕もひさしぶりに読み返して、刺激を受け取りました。
2019年7月28日 いいことがあったときほど用心しなきゃならない
20代前半の世間知らずだった頃にはよく一喜一憂をしていた。それでたくさんの失敗をした。今は、どんなに嬉しいことがあっても、我を忘れることはないようにと努めている。こと、創作に関しては。日常生活では、できるなら一喜一憂して、たまには我を忘れるくらい笑ったり泣いたりしてみてもいいんじゃないかなと思う。そしてたまに失敗してもいい。失敗を一緒に笑ってくれない人とはそれまでの関係だったのだと思うしかない。