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描くジャーナリング・書く自己対話

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まっしろなページに描き出す、わたしの心模様🌈✍🏻
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#自己表現

小さな願いを叶えて、わたしらしく生きる

今も昔も、わたしにとって大切なのは… 友だちと「ひとところ」に集って、 その時々のトピックスをシェアすることや お互いの「好き」を伝え合うこと。 それは、ささやかな憩いのひとときと、 小さなときめきを大事にすること… そうやって楽しくおしゃべりしたり、 作品を通して想いを伝い合えたり。 このnoteもこころ休まる大切な場所で* 自分の気持ちを表現すること、 自分の好きに触れ合うこと。 そのフローを体感クリエイトしながら、 心の底から「ほっ」とできる空間

声の余韻にひたる

ここ数年、好きで毎度視聴してきた旅番組があります。 そのナレーターの方の、明朗で芯の通った、それでいて華やかな雰囲気の声が好きで、すっかり常連?となってその世界にひたっていました。 今回の放送をみてみると、番組がリニューアルしたようで、別の方がナレーターを務めるようになっていました。 そうか、もうあの方のナレーションは聞けないのだな…と思うと、少しさびしくもあり、けれども心の奥底ではその方の声がまだ鳴り響いているような不思議な感覚を覚えました。 「へぇ〜〜〜!!」とか

感謝をまっすぐ伝えるために

あなたとわたしとで、円満になれますように… ご厚意による提案であっても 「今」のわたしには必要がなかったり、 かえって負担になるなんてケースは山ほどあって。 気持ちが波立って荒々しくなってしまったり、 ずーーん…と深く落ち込んでしまうなど、 何らかの症状や感情が湧き起こった後で そのように自覚されることが多いのだと思います。 受けとったあとで 「そんなつもりじゃ無かった」 なんて言葉が漏れ出てくるのは、 受けとった側も、提供した方も、 悲しいですよね…

ハートをひらいていたくて

自分のことを書かない、 自分のことを書けない。 そんな見えない壁が立ち塞がって、 行き止まってしまう時を重ねていても。 事実を口にすることで認めることができ、 それが占有していた領域と同じぶんだけ 受け容れるスペースが拡がってゆくのだと、 日記やnoteを書き続ける中で 実感できるようになりました。 ありのままの姿を さし出すことに 躊躇われる時も、 言葉に、線に、 託して、換えて… より純粋で、透き通る粒子となれば、 壁もすり抜けられて 命の道を拡張していく

描きながら(書きながら)良しとするプロセス

こんにちは、popoです☺︎ 先日、久々にスケッチをしました。 水族館で撮影した金魚の写真から着想を得て、 描き進めていったのですが、 共有すること前提で駆け出していくことができる力や、 感覚的に描くことと、 再び巡りあうような過程を体感しました。 段階を分けておくつもりが、 途中から線画(ラフ)をレイヤー分けするのを忘れていました。 (録画もできていれば良かったかなと) でも、上からどんどん塗り重ねていくプロセスも 改めて好きだと感じられました。 これを描こうとか、特

光と闇の狭間で

傍らにある闇も、自分の一部分として側目で見ていられるように… だから新しい視点や取り組みを、繰り返し取り入れるのだと 腑に落ちる感覚をおぼえました。 自ら発することでしか、認められない領域がある… そんな風に感じられています。 自分の性質が反転して表れている、 というように感じられていることは 本当は同じひとつの「わたし」であること… どこを見るのか、というのは (自分含めて)それぞれに任されることですが、 統合・調和した在り方を求める、創ることが ゴールでもあり、スタ

創作を続ける中で、生身の身体から発せられる声や、今のようすを そっと通してあげてみました。結果と過程を分断しないで、言葉を締め出してしまわないで、補い合う関係性を築いていけるといいのかもしれません。