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ここ数年、好きで毎度視聴してきた旅番組があります。 そのナレーターの方の、明朗で芯の通った、それでいて華やかな雰囲気の声が好きで、すっかり常連?となってその世界にひたっていました。 今回の放送をみてみると、番組がリニューアルしたようで、別の方がナレーターを務めるようになっていました。 そうか、もうあの方のナレーションは聞けないのだな…と思うと、少しさびしくもあり、けれども心の奥底ではその方の声がまだ鳴り響いているような不思議な感覚を覚えました。 「へぇ〜〜〜!!」とか
あなたとわたしとで、円満になれますように… ご厚意による提案であっても 「今」のわたしには必要がなかったり、 かえって負担になるなんてケースは山ほどあって。 気持ちが波立って荒々しくなってしまったり、 ずーーん…と深く落ち込んでしまうなど、 何らかの症状や感情が湧き起こった後で そのように自覚されることが多いのだと思います。 受けとったあとで 「そんなつもりじゃ無かった」 なんて言葉が漏れ出てくるのは、 受けとった側も、提供した方も、 悲しいですよね…
自分のことを書かない、 自分のことを書けない。 そんな見えない壁が立ち塞がって、 行き止まってしまう時を重ねていても。 事実を口にすることで認めることができ、 それが占有していた領域と同じぶんだけ 受け容れるスペースが拡がってゆくのだと、 日記やnoteを書き続ける中で 実感できるようになりました。 ありのままの姿を さし出すことに 躊躇われる時も、 言葉に、線に、 託して、換えて… より純粋で、透き通る粒子となれば、 壁もすり抜けられて 命の道を拡張していく
流れゆく日々のなかで、 「こうしてあげたかった」と 感じることは、しょっちゅうで。 そのモヤモヤとした感覚は、 その場を離れても身体に溜まり続けるものなのだと感じられます。 消化するまで、残る想いに… 意気が沈みそうになることも。 きっと何か強い願いがあって、 それを成就させられない ふがいない自分を責めている… のだと思います。 けれど、その事実を認めた先で。 より良い形で、いっしょに進める道が 開かれてゆくはずだから… その後悔や失敗の先には、 「こうしてあげた
こんにちは、popoです。 今朝は整理の時を待っていた 本棚に目を向けて、 その内の一冊を手に取り 貼ってあったいくつかの付箋を そっとはがしたら、 今度は別の箇所にしるしを貼って 送り出す準備をして… これまでお世話になったその一冊に いま一度の深い感謝が込み上げ、 もう一度の支援が生まれゆくことを しずかに感じられて、嬉しく思いました。 手元にあったものが そうして繋がっていくこと、 それもダイレクトに届けられることは 幸運なことなのかもしれません。 受けと