正福寺 地蔵堂
何度も災害に襲われた都内には、国宝建造物が2つしかありません。
そのうちの1つは2009年に指定された「迎賓館赤坂離宮」です。
もう1つが、東村山市にある「正福寺 地蔵堂」。
戦前、1929年(昭和4年)に指定されていたというのですから驚きです。
正福寺は、1662(寛文2)年の大火で伽藍のほとんどを焼失しましたが、地蔵堂だけが焼け残りました。
地蔵堂の創建は室町初期の1407年(応永14年)。昭和8~9年にかけて、茅葺き屋根を本来の杮(こけら)葺きに改修した際に、墨書銘が見つかったことからわかっています。
杮葺きは、板葺の一種で、こけら(薄い木片)を重ねて敷き詰める方法です。
椹(さわら)を幅12cm、長さ45cm、厚さ4.5cmの薄い板にして、少しずつずらしながら重ね、竹釘で止めています。
金閣寺や桂離宮も杮葺きが使われています。
ちなみに果物の柿(かき)と、こけらの漢字のちがい。
PC上は同じかのように見えますが。
地蔵堂は、鎌倉円覚寺舎利殿(国宝)と様式が非常によく似ています。
円覚寺舎利殿と比較してみます。
1)入母屋造の屋根の強い反りと「扇垂木(おうぎたるき)」
屋根の軒下から出ている垂木が、扇子の骨のように、放射線状にひろがっています。
「規矩術」といわれる角度を正確に出す高水準の技法が使われているそうです。
<正福寺地蔵堂>
<円覚寺舎利殿>
2)波型欄間(なみがたらんま)
強い風や光をやわらげる効果があるそうです。
<正福寺地蔵堂>
<円覚寺舎利殿>
3)花頭窓(かとうまど)
江戸時代の花頭窓は、外枠が末広がりになっているのに対して、垂直です。
<正福寺地蔵堂>
<円覚寺舎利殿>
<彦根城(江戸時代の作例)>
これらの様式は、和様に対して「唐様(からよう)」と呼ばれていますが、唐(とう)時代との混乱を避けるためには「禅宗様」と呼ぶといいとか。
『ふるさと歴史館』には正福寺の模型(20分の1)が展示され、内部も俯瞰できるようになっていました。
正福寺地蔵堂は、またの名を「千体地蔵堂」と言い、地元では後者の呼び方が親しまれています。
祈願する人が一体を持ち帰り、願いが叶うと別の一体を添えて奉納していたそうですから、倍増していきますね。
奉納者は東村山市域はもちろん、所沢・国分寺・小金井、八王子までも及んでいました。
昭和9年の改修のときには、およそ1300体あったそうですが、昭和48年には855体しか確認されず、その後檀徒たちによって1000体に充たされたそうです。
地蔵堂本尊及び小地蔵尊像は、市指定文化財となっています。
公開日は、
6月第2日曜日(菖蒲祭り)
8月8日(一般公開日)
11月3日(地蔵祭り)
の3日のみなので、拝観することはできませんでしたが、一部、『ふるさと歴史館』に展示されていました。
20センチ〜30センチくらいの、可愛らしいお姿です。
<参考資料>
東村山市webサイト
https://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/tanoshimi/rekishi/furusato/bunkazai/fukikae.html
円覚寺webサイト
https://www.engakuji.or.jp/
「柿と柿のちがい」Jタウンネット
https://j-town.net/2018/10/26267187.html?p=all