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池上秀畝展

開催会場:練馬区立美術館
所在地:東京都練馬区貫井1−36−16
アクセス:西武池袋線中村橋駅徒歩3分
訪問日:2024年4月14日

池上秀畝を意識したのは、つきふね先輩とHimashun部長のnoteからでした。
なんかすごい画家がいる。
見たい。

4月14日まで待ったのは、学芸員によるギャラリートークがあったから。

はじめて来ました、練馬区立美術館。

出典:練馬区立美術館 X

想像していた以上の盛況で、展示会場は人だらけ。
学芸員さんはマイクを使っているので、声は聞こえますが、作品は背伸びしても見えません(背が低いから)。

学芸員さんはまず
「菱田春草を知っている人」と呼びかけました。
ほとんどの人が挙手。
「池上秀畝を知っていた人」
ぼちぼち。
学芸員さんは「そうでしょう。そうなんです」と我が意を得たりとばかりうなづき、そこからギャラリートークが始まったのでした。

長野県伊那市高遠町生まれ。
院展や文展に毎年出品し、名声を高めました。
菱田春草と比較されることが多いのは、同郷でありながら、「新派」「旧派」と対照的な道を歩んだから。

「新派」は1989年に開校したばかりの東京美術学校で、岡倉天心や橋本雅邦らのもと、朦朧体と呼ばれる没線彩画を試みるなど、アカデミックな教育を受けたメンバーのこと。横山大観、下村観山などがいます。

「旧派」は師に弟子入りして修行をする伝統的な学び方で、池上秀畝が師事したのは荒木寛畝でした。祖父・父とも、師弟制で絵を学んでいるため、それが当たり前だったのでしょう。

ただし京都画壇には新派も旧派もなかったそうです。
東京画壇だけのことだったとか。

そんなわけで、時代の趨勢は学校で学ぶことが主流になっていきますが、しかし「旧派」が衰退したわけではありません。
彼の尋常でない作品数を知れば、いかに人気画家だったかがわかります。
絵を発注すると、納品されるまで4年待ちだったとか。



まずは、フライヤーにもなっている青鸞から見てみます。
館内は写真撮影禁止ですので、他のサイトから拝借します。



『桃に青鸞図』 昭和3年(1928) オーストラリア大使館蔵

もともとは徳島藩蜂須賀家の邸宅(1927年築)にあった杉戸絵です。
オーストラリア政府が購入し、初代オーストラリア大使館として使わていました。

青鸞は、全長は2メートルにもおよび、インドネシアなどの東南アジアに生息している鳥です。
昭和2年に上野動物園に青鸞がきたので、それを見に行って写生したのではないかと学芸員さんは推測しているそうです。

蜂須賀家がこの絵を発注したとき、当主の子息は鳥類博士でした。
青鸞が鳳凰のモデルだという論文を書いて「鳥」という学会誌に発表しています。
そんなことから青鸞=吉鳥であり、モチーフに選ばれたのでしょうか。

出典:練馬区立美術館の公式webサイト

『松に白鷹』 

出典:練馬区立美術館の公式webサイト



『神風』 1943年 靖国神社蔵
亡くなる前年に69歳で描いた絵ですが、まったく衰えを感じさせない力強さです。
戦時中、太平洋戦争開戦の詔勅が出された 1941年12月8日にちなみ、毎月8日は大詔奉戴日とされていました。
戦勝を祈願して、元寇での勝利を題材に、揮毫した絵です。
荒れ狂う波、翻弄される元の船。
彩色された炎は、赤ではなく金、そこに神々しさを表現したのでしょうか。

出典:美術手帖

4曲2双の大画面で描かれ、圧倒的迫力です。

出典:美術手帖


池上秀畝の絵は大きなものが多く、本人がこのようにおっしゃっています。

大概の人はそんなに大きなものは描かない。だが私は大概六曲二双を描いた。(池上秀畝「口述控」1937年)

館内解説板



『四季花鳥図』 4幅のうち『夏』 
大正7年(1918)長野県立美術館蔵

出典:FASSHION PRESS公式Webサイト

大きさは人間と対比させるとこのくらい。
これだけ細密な絵をこの大きさで描くなんて、どれほどの集中力と体力と精力が必要だったでしょう。

出典:美術手帖



これら緻密で写実的な絵を描くためには、たゆまない写生の努力がありました。
池上秀畝素晴らしい! のその上で、個人的な嗜好を言えば、金や極彩色を駆使した絵よりもぼやぼやした墨絵が好きだし、スケッチを見るとほっとします。

出典:美術手帖
出典:美術手帖

このひと(鳥だけど)を主人公にしてお話をかきたくなるような風貌です。



出典:練馬区立美術館公式webサイト


今回の展覧会を企画するにあたり、京都大学人文科学研究所が所蔵する『秋日和』をはじめ、多くの作品が見つかったそうです。
特に『旧目黒雅叙園』の壁画が全部一括で(7百点以上)見つかったのは、驚きだったとか。
そして、この頃の日本画は海外へ多く流出しているため、今後も見つかる可能性は大。

さて、学芸員さんから宣伝です。

このあと『池上秀畝展』は長野県立美術館に巡回します。
そこでは、長野県立美術館でしか展示されない(練馬区立美術館には貸してくれなかった)『国之華』が見られるそうです。

「皇居三の丸尚蔵館」が所蔵している、昭和天皇婚礼のお祝いに献上された、大正13年(1924)の作品。
桜と菊がモチーフになっており、現在も皇族のイベントで使用される現役の屏風絵です。
これまで美術館で展示されたことがほとんどなく、皇族と結婚しないでもない限り、見られることはなかっただろうとの由。
八尺屏風という2メートル超える大作で、花の部分は糊粉がもりもりの豪華なものだそうです。

長野県在住つきふね先輩のレポートを待っています(^^)




<参考資料>

練馬区立美術館公式webサイト
https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=202312141702545620

美術手帖公式webサイト「生誕150年 池上秀畝—高精細画人—」(練馬区立美術館)レポート。徹底した写生と独自の空気感を味わう
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28698

FASSHION PRESS公式webサイト『近代を代表する日本画家・池上秀畝の展覧会が練馬区立美術館で - 華麗な花鳥画など、代表作が一堂に』
https://www.fashion-press.net/news/112947


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