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羽村郷土博物館(2)

所在地:東京都羽村市羽741
アクセス:JR羽村駅西口徒歩20分
訪問日:2024年1月27日


羽村と言えば羽村堰。
羽村なくして玉川上水は語れません。
「羽村郷土博物館」でも、半分を玉川上水関連の展示が占めていました。

筆者撮影

玉川開削

天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入府。
江戸は、掘れば海水が出てしまうため、飲料水の確保がまちづくりの重要な課題でした。
小石川上水から神田上水、と整備しましたが、3代将軍家光のときに参勤交代が確立すると、江戸の人口はますます増えて、水不足になりました。

承応元年(1652)、第4代将軍家綱のとき、多摩川の水を引き込む計画を立てます。
翌年、着工し、わずか8ヶ月で、羽村取水口から四谷大木戸までの水路が完成したのです。
全長43キロメートル。
何がすごいって、標高差がわずか92メートルしかないのです。
100メートルで20センチ。
こんなゆるい斜面を利用して、自然流下法による水路を作ったのです。

出典:国土交通省

この偉大な事業を行ったのは、庄右衛門、清右衛門という兄弟(出自ははっきりしない)でした。
子孫の記録によると、高井戸付近(現杉並区)で幕府からの資金が足りなくなり、屋敷を売った私財を当てて工事を続けたそうです。
玉川上水完成の褒賞として「玉川」という姓を承り、のちに玉川兄弟と言われるようになりました。


出典:東京都水道局

この工事に関しては記録が残っていないため、不明瞭な点が多いそうです。
公費の工事なので、企画書や設計図や見積や明細があってもよさそうですよね。
一般的には、2度の失敗があり、3回目に安松金右衛門という人が計画を練り直して完成したと言われ、そのため玉川兄弟より安松金右衛門の功績だ、という見方もあります。
勾配の計算には和算(三角函数=関数)が使われ、夜、提灯や線香を持った人が、工事予定地に並び、その灯を見て、高さと距離を測量した、という話が伝わっています。

ガラスに背景が映り込みわかりづらくてすみません。
筆者撮影

作業員の人数がどれほどだったかも、記録がありません。
労働力不足だったことが、秋川上流の檜原村の伝承『鬼の源兵衛伝説』から読み取ることができます。
以下に抜粋します。

玉川上水の工事が始まる頃、羽村堰の工事に多くの人手が必要だったため、羽村近辺の村々に多くの作業員を差し出すよう命が下りました。しかしちょうどその頃、村では山仕事が忙しくなる頃だったので、源兵衛が村を代表市てひとり工事に参加しました。(中略)
源兵衛はひとりで大きな石を投げ飛ばすほどの大変な怪力の持ち主で、あっという間に9人分の仕事をやってのけたので、それを見ていた役人は肝を抜かれました。

出典:国土交通省「多摩川の見どころ」


羽村取水堰

新東京百景に選ばれた(1982年)羽村取水堰。

出典:公益社団法人 土木学会

羽村取水堰は「投渡堰」と「固定堰」の2つで構成されています。
全長約380mの投渡堰では、支柱の間に丸太を渡して、水を堰き止めています。
増水するとこの丸太を外して水に流してしまい、水を逃がすことで、堰の決壊を防ぎます。
この工法は現在も350年前のまま使われており、「投渡堰」の技法を継承する全国唯一の作例として、2014年に「土木遺産」に認定されました。

増水時(堰を払った状態)

出典:公益社団法人 土木学会

再び堰を作る。

出典:公益社団法人 土木学会

堰が自然素材でできている、なんてエコロジー。

水番人

筆者撮影

羽村、砂川村(現立川市)、代田村(現世田谷区)、四谷大木戸(現新宿区)の4箇所に、陣屋が置かれ、「水番人」が配置されました
水番人の仕事は以下の通りです
・お互いに連絡をとりあって、水質や水量の調節する。
・見回りをして壊れているところがあれば直ちに修理する。
・大水のあと、流した投渡堰を作り直す。
・人々が水遊びをしたり、水に汚物を流さないように監視する。
水路の要所には、奉行名での高札が立てられ、「この上水道で魚を取り水をあび、塵芥を捨てたりしたものは厳罰に処す」と書かれていたとか。

陣屋跡(門だけが残っています)

出典:羽村市観光協会


近代的水道へ

江戸時代、羽村取水堰は「羽衣の堰」「時雨の堰」と呼ばれ、その景観の美しさで人目を楽しませました。
多摩川の水をそのまま使っていたので、ときには井戸の中で魚が泳いでいることもあったと伝わっています。


しかし、幕末になると手入れが行き届かなくなったため水質が落ち、そのうえ明治政府が通船を認めたので、汚染はますます進みました。
明治19年 (1886)、東京でコレラが流行し、水質管理が急務になります。
そこで東京府は西洋の技術を導入し、浄水場で原水を沈殿、濾過し、鉄管を使用して加圧給水する近代水道を整備しました。

筆者撮影


羽村取水堰は、平成15年に開削350周年を迎え、国の史跡に指定されました。現在でも水道原水の導水路として機能しており、小平水衛所から東村山浄水所へ送水して、都民の飲料水に使われています。


カバー写真:公益社団法人 土木学会

<参考資料>

恩田政行著『上水記考』 青山第一出版 2003年

国土交通省「多摩川の見どころ」
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000099133.pdf

東京都水道局
https://www.waterworks.metro.tokyo.lg.jp/kouhou/meisho/tamagawa.html

西多摩経済新聞 2014年11月27日「羽村取水堰、選奨土木遺産に認定ー江戸の発展支えた歴史的価値評価」
https://nishitama.keizai.biz/headline/566/

「関東の土木遺産」土木学会関東支部
https://www.jsce.or.jp/branch/kanto/04_isan/h26/h26_2.html

一般社団法人羽村市観光協会公式webサイト
http://hamura-kankou.org/study/

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