見出し画像

建長寺

6月29日(土)
投稿順序がだいぶ前後してしまいました。
円覚寺、北鎌倉古民家ミュージアムのあと、建長寺へ行きました。

所在地:神奈川県鎌倉市山ノ内8
アクセス:JR横須賀線「北鎌倉」駅より徒歩15分
指定:梵鐘 昭和28年11月14日 国宝
指定:山門 平成17年7月22日 国重要文化財
指定:仏殿 大正11年4月13日 国重要文化財
指定:法堂 平成17年7月22日 国重要文化財
訪問日:2024年6月29日

建長寺は、鎌倉五山の第一です。
1253年、北条時頼によって発願され、中国の禅僧・蘭渓道隆らんけいどうりゅうが開きました。

北条時頼は、並み居るライバルを倒して、執権としての力を強めた人です。
その力は甚大で日蓮聖人から「国主」と呼ばれるほどでした。
それまで鎌倉幕府は、武士の精神の寄りどころとして禅宗を信仰していたものの、天皇に遠慮して、天台宗や真言宗を併設していたのです。
そんな中ではじめて建てられた禅宗専門の寺院が建長寺。
北条時頼による、武家勢力の独立宣言と言えるものでした。



総門 重要文化財 

『巨福山』という名前は、建長寺の前にある坂「巨福呂坂」が由来です。
ここはかつては地獄谷と呼ばれる処刑場でした。


梵鐘 国宝 
門を入るとすぐ右手に梵鐘があります。
建長寺創建から2年後の、1255年に建てられました。
創建当時のままの姿を、境内にとどめています。

正岡子規の「柿食えば 鐘が鳴るなり法隆寺」は、夏目漱石が同年に詠んだ「鐘つけば 銀杏ちるなり 建長寺」を参考にしたとか。
銀杏(いちょう)と建長(けんちょう)で韻を踏んでいる、夏目漱石さすが。
漱石の句は、明治28年9月、海南新聞(現在の愛媛新聞)に掲載され、その2ヶ月後の同じ新聞に、正岡子規の句が掲載されたそうです。

筆者撮影


総門ー山門ー仏殿ー法堂が、一直線に並んでいる伽藍配置を禅宗様式といい、中国から導入したこの様式が、現在でも日本の禅寺の基本になっているそうです。


山門 (三門、解脱門) 重要文化財 

筆者撮影

楼上には釈迦如来、十六羅漢、五百羅漢が安置されているらしい(拝観不可)。

出典:鎌倉手帳 yoritomo-japan.com
https://www.yoritomo-japan.com/kentyoji-sanmon-rakan.html


蘭渓道隆が植えた木。
幹の周囲が6.5メートル。


仏殿 国重要文化財
度重なる災害により、4代目の仏殿は、浄土宗式の建物です。
1647年、徳川家の菩提寺である江戸・増上寺の建物を移築しました。


禅宗様とどこが違うのかしら?
あ、天井が格子天井になっています。

ご本尊は地蔵菩薩坐像です。
おおおーーー、すごおおい。

室町時代の作と考えられています。
高さは371cmで東日本一の大きさ。
お地蔵さんがご本尊なんて珍しいですね。
禅宗のご本尊は、本来、釈迦如来なのに。

かつてここが処刑場であったとき、心平寺※1というお寺で、地蔵菩薩をご本尊にしていました。
地蔵菩薩は、”六道で苦しむ人を救う”というミッションをお釈迦様から授かっています。
受刑者はまさに六道の「地獄」で苦しむ人だったので、救済のために地蔵菩薩を祀ったのですね。
建長寺は、その意思を受け継いでいるようです。

なんていいいお顔。慈悲深い。
瞳に水晶を嵌めこんだ「玉眼」が、伏せたまぶたの下から覗いています。

筆写撮影

室町時代や南北朝時代の「法衣垂下(ほうえすいか)」
衣が台座の下まで垂れ下がっているのがおわかりですか?
お風呂にザ ッパーンと入って、溢れたお湯みたいに。

筆写撮影

むかって右奥には千体地蔵。
かつて処刑された人々の魂を弔うために祀られていたものだそうです。

筆写撮影

※1心平寺
 横浜の「三渓園」に、心平寺の地蔵堂があるそうです(国重要文化財)

出典:鎌倉手帳 yoritomo-japan,.com
https://www.yoritomo-japan.com/tera-kentyo-sinpeijijizodo.htm


法堂 国重要文化財
もともとは僧侶が住持(住職)の説法を聞く場所でした。
現在は、法要・公演などに使われています。


天井の「雲龍図」は小泉淳作によって描かれました。
小泉淳作は京都の建仁寺の雲龍図も描いています。
開祖である蘭渓道隆は建仁寺の住職をしていたので、そのゆかりでしょうか。
龍の爪の数は、中国は5本、朝鮮半島は4本、日本は3本、描かれるのだそうです。
ここは5本ですね、禅宗が中国とゆかりの深いことを表しています。
創建するとき、中国語が飛び交っていたことが、何かの書物に書かれているらしいです(書名を調べたけれどわかりませんでした)。

法堂のご本尊、千手観音菩薩。
お花持ってるー。


釈迦苦行僧。
台座にもありがたそうなリリーフが。

廊下から窓越しに見た境内



方丈(龍王殿)
もともとは住持(住職)の居間でした。
現在は法要・座禅・研修の場として使われています。
関東大震災のあとに京都の般舟三昧院・本堂から移築されました。


唐門 国重要文化財
江戸時代に増上寺から移築されました。
飾り金具で華美に装飾されており、明らかに禅宗様式ではありません。
移築ばっかり。再建する財力がなかったのかしら?
それとも由緒ある建物を移築することで、中央との繋がりを誇示しているのでしょうか。

徳川家の紋といえば三つ葉葵ですが、裏紋といわれる六葉葵です。


心字池 国指定名勝
方丈の裏側には「心」という文字をかたどった池があります。
どう見ると「心」なんだろう。
蘭渓道隆の設計で、禅宗庭園の原型になりました。



さて、建長寺と言えば、けんちん汁でしょう?

建長寺では700年以上も前から食されている。精進料理であるため、動物性の食品は使わず、だしも昆布やしいたけからとる。多くの野菜が使われるのは、他の精進料理で余った野菜くずを無駄なく用いて作ったからである。
豆腐をくずして入れのは、建長寺の初代住職が、修行僧が落としてしまった豆腐を拾い集めて洗い、汁の中に入れたことからという逸話が残っている。

農林水産省ホームページより抜粋


出典:農林水産省ホームページ


けんちん汁を食べに行こうかと思ったのですが、誘惑に負けてチーズケーキを食べてしまいました。


長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。


<参考資料>
建長寺ホームページ


農林水産省ホームページ


いいなと思ったら応援しよう!