「東京都美術館」✕「東京藝術大学」『とびらプロジェクト』フォーラム
地元図書館で見つけたこのリーフレット。
昨年の競争率は10.5倍とか。
ボランティア活動の場をもっと広げたいと思っていたので、応募を前提に行ってきました。
トークセッションのタイトルは、
ミュージアムと偶察力 ー共創をうみだすまなざしー
ビジネス界隈ではよく使われるそうですが、私にはあまり聞き慣れない言葉、「偶察力(セレンディピティ)」。
MCの小牟田悠介さんは、こんなふうに説明してくれました。
セレンディピティとは「偶然がもたらす思わぬ発見」という意味。
謂れは『セレンディップの3人の王子たち』という寓話です。
セレンディップ王国は、5世紀頃のスリランカの呼び方で、イギリス統治時代にはセイロンと呼ばれていたところです。
「偶然がもたらす」と言っても、「濡れ手に粟」ではありません。
本人の叡智や機転があってこそ、予想していなかった発見がある、という意味です。
たとえばニュートン。
りんごの木からりんごを落ちるのを見て重力を発見したのは、ニュートンがそれだけの知識と想像力、そして日頃の積み重ねがあったからです。
「とびらプロジェクト」の3つの柱は、
こども
認知症
障害者
です。
それぞれ独自の文化を持っています。
Q1 : それぞれ独自の文化を持つ人たちと、一緒に鑑賞やものづくりをしたら、どんな発見が生まれるだろうか。
とびラーさんの体験談から、例を1つ挙げます。
ある御夫婦と一緒に美術鑑賞をしました。
女性は認知症で、ご主人のことが大好きです。
ご主人は絵を鑑賞していますが、女性はずっとご主人だけを目で追っています。
最後に「どの絵が一番好きですか?」と尋ねると「主人の好きな絵」とお答えになったそうです。
こんな美術鑑賞方法があるんですね!
Q2 : 藝術は福祉と携えられるのか。
東京藝術大学の試みを1つご紹介します。
東京藝術大学はいくつかの他大学と連携しており、そのうちの1つが医科歯科大学です。
病院には、医師、看護師、患者、身内や見舞客、の4層があり、ヒエラルキーのようになっています。
このヒエラルキーをなくして、全員が「村びと」になることが、患者にとって一番過ごしやすいのではないか。
そんな革命を起こそうとしているんですね。
Q3 : アートに目的はあるのか。
東京藝術大学学長・日比野克彦さんの答えです。
よくアートは自由だ、わかる人にわかればいい、といいますが、本当にそうだろうか。
そうではない、アートには動機もあるし目的もある。
動機があるからアクションがある。
イメージがあるから掴もうとする。
わかる人にわかればいい、というような独りよがりなものではない。
さすがにクリエイターらしい考えだなと思いました。
トークセッションが終わると、いきなり、
「隣に座っている人同士、3人で一組になり、今までの話から思ったことを話し合ってください」
と言われました。
はあ、やっぱり普通のフォーラムとは違うわ。
コミュニケーション能力がいきなり試されるんですね。
4時間という長丁場でしたが、みなさんの熱意をぎゅっと絞り出した果汁のような、栄養たっぷり時間でした。
しかし、残念ながら。
私が希望していたプロジェクトは月曜日(美術館の休館日)に活動している由、仕事があるため時間を確保できそうにありません。
そうでなくても、この活動は濃厚で、今所属している地域の文化財ボランティアとの両立は難しそう。
そんなわけで、応募は断念。
でも行ってよかった。