怒りの対処法
私は感情の起伏が少なく、とても穏やかな人間
長いことそう思って生きてきました
けれど、2回にわたって記事にした選択理論を知ることにより、(本当にそうなのだろうか?)と思うようになりました
そこでここ数日、じっくり自分の感情の移り変わりを観察してみました
すると、「キーッ」とか「許せない!」なんていう激しい怒りはないにしても、「ムッ」とか「は?」くらいのプチ怒り感情は案外あるな、ということに気が付きました
実は私、選択理論の自分を知るワークの結果で、「自由への欲求」に継いで多かったのが「力・価値に対する欲求」だったんです
自分に力や価値があると思いたい欲求です
私、もしかしたら案外外的コントロールに陥りやすいタイプかもしれません
外的コントロールとは、「人は自分の思う通り変えることができる」という考え方を基に、文句を言ったり脅したり責めたりして、相手を自分の意のままに動かそうとする行為です
そして、その外的コントロールの行為の殆どが、怒りに根ざした行動なのです
この怒りへの対処法を知ることが、「本当の意味で選択理論を完成させることになるはず」と思い、怒りについて書いてみようと思いました
今回参考にさせていただいたのは、種市勝覺著「怒らない習慣力」です
怒らない人はいない
そうなんです
怒りを感じない人はいないんです
なぜなら「怒りとは、私たちが先天的に持っている唯一の感情」だからです
赤ん坊が「おしめが濡れた」「お腹がすいた」といって泣き叫ぶ行為も怒りの表現方法だと言います
それ以外の感情は、全て後天的に身につけたものなんですね
では、私たちは一体どんな時に怒りを感じるのでしょう
選択理論では、①自分のして欲しいことを相手がしてくれない時 ②自分がしたくないことを相手がさせようとしている時 だと言います
片や「怒らない習慣力」では、「自分の予想や期待、経験の範囲を超えた出来事が起こった時」 と言っています
この「自分の予想や期待、経験の範囲」とは、言い方を変えると自分の器の大きさのことです
そしてこの器とは、自分の信じていることであり、私たちはここから外れたものに対して怒りを感じるようにできているのだそうです
確かに堪忍袋の緒の長さは人によって違いますよね
実は、これを読んで思い出したことがありました
数年前のことですが、友人の主催するピアノ教室の旅行に便乗させてもらった時のことです
わたしにとって彼女以外全員初めましての方々ばかりの旅行でした
その中にお一人とても時間にルーズな方がいらして、ひどい時には20分くらい待ち合わせの時間に遅れてくるんです
さすがに20分待たされた時は(一体どういう人なんだ〜)とイライラしてしまったんですが、友人はというと、そんなこと当たり前と言わんばかりに他の人たちと楽しげに談笑しているのです
遅刻魔さんがやってきても、「どうして遅れたの?」の一言もありません
そんな彼女を見て
(大人物・・)
思わず心の中でつぶやいてしまいました
今思えば、あれは彼女の器の大きさだったんだと思います
一方私には、「時間は守るべき」「人を待たせてはいけない」という自分の信念があって、その限界が20分ということだったように思います
そして怒りの対処法の一つにも、「人に期待しない」ということがあるんです
「これくらいはやってくれるはず」「こうするべき」という思いは、それらが裏切られた時のガッカリが、いつしか怒りに変わっていくものだからです
こんな時は、「こうあるべき」ではなく「なんでもあり」
そんな風に考えれば、器は広がっていくそうです
怒りの対処法
さて、「相手に期待しない」以外の対処法で、私が「これは!」と思ったものを書きます
一つ目は、「怒っている時の自分を俯瞰で眺め、観察する」です
「感情」と「自分本人」は別ものです
怒りが湧いた時は、なるべく自分を客観視し、怒りという荒波にのみ込まれないようにすることが大切です
と本にはあったのですが、実際問題かーーっときている時、冷静に自分を眺めるなんて難しいですよね
こんな時の一番の対処法は、「その場に留まらない」ってことなんじゃないかと思います
瞬間的に感じる怒りには、取り敢えずその場を立ち去るのが効果的でしょう
逆にジワジワくる怒りには、自分を俯瞰して見るのは効き目がありそうです
ジワジワ系には、他に「楽しいことや自分へのご褒美などに、心のフォーカスを切り替える」も良さそうです
ちょっとゴマカシっぽいですけどね
また、「腹の立つ内容を文字や絵にしてみる」のも、自分の深層心理を知ることが出来たり、どういう時に腹が立つのか、パターンを見つけることの役にも立ちそうです
また、これは本の中にはなかったことですが、経験上、「相手をやり込めない」ことも大切だと思います
特に近しい関係の相手だと、つい言い過ぎてしまいますよね
口喧嘩の時は、気づけば自分の主張ばかりになって相手の言い分に耳を貸す余裕がなくなります
やはりどこかに客観的な自分を置いて、冷静さを失わないことが大切なんだと思います
それでもどうしてもお互いの意見のすり合わせが上手くいかず、だからといって相手と関係を切ることのできない場合がありますよね
そんな時の対処法は、その人のことを個人として見ず、立場として見るようにすると良いようです
そうすることによって共通のゴールや目的が見えてきて関係が良くなることもあるそうです
また怒りの根底には余裕のなさもあります
これはまた後日書きますが、SNSなどで誹謗中傷に走る人は、この余裕のなさが原因のようです
私のビジネスのメンター松田豊さんも、この誹謗中傷する人を何よりも嫌っています
何故なら、こういう行為こそが最も成功とかけ離れた事柄だからです
もう一つ、この本の中で一番心に残ったことを書きます
それは「腹の立つ相手を悪人として見ない」ということです
私たちが(嫌だな)と感じているところは、実はその人のほんの一部分です
嫌な部分=嫌な奴に相手を位置づけないように、色眼鏡を外して、なるべくその人の全体像、または良い部分を見つけるようにすると、怒りも鎮まってくるそうです
最後に、私の編み出した対処法を書きますね
実は昔、どうしても腹が立っておさまらない相手がいたんです
でも、いつまでも腹を立てたまま嫌な気分でいたくないじゃないですか?
それで、その相手の笑っているところをイメージすることにしたんです
苦肉の策です
もちろん、せせら笑っているんではなく、屈託なく笑っている姿です
それを繰り返していたら、不思議と相手を許せてしまったんですね
怒りの程度にもよりますけれど、これ効きますよ
お試しあれ
読んでいただき、ありがとうございました
きみどり
お心遣いありがとうございます! これからの励みにします!