青鳥特支ベースボール部を追いかけて ~編集後記的なつぶやき~
「障がいがあるということも、ひとつにあるかもしれないが――」
取材のなかで、心に残っている言葉です。
練習が終わったある日のグラウンド。会話のなかで、不意に出てきたこの言葉に、わたしははっとしました。それは、自分が見ていたものと、先生や部員たちが見ているものとのあいだに、決定的な違いがあったことに気づかされた瞬間でした。
一年前にスタートした本づくり
ベースボール部のことを取材し、書籍として出版したい。
青鳥特支で硬式野球の指導をはじめた久保田浩司先生に書籍化の相談を持ちかけたのは、昨年の夏の大会の直前の6月のこと。「知的障がいのある高校生たちが通う青鳥特別支援学校が、特別支援学校としては初めて、東京都の高野連に加盟が認められた」。そのニュースを見たわたしは、彼らの挑戦を追って本にしたく、思いを同じくした著者の日比野さんとともに、本づくりをスタートさせました。
一年後、彼らがどんな成長をとげているのか、チームとしてどんな姿になっているのか。彼らのこれまでやこれからを描くことで、同じように障がいのある子どもや、何かに挑戦したい子どもの後押しにしたい。この企画にこめる思いは、そこにありました。
実際に取材が開始し、子どもたちと関わる中で感じたのは、彼らが“とてもいいやつたち”だということ。野球に楽しそうに取り組む姿は、健常者の子どもたちと、何ら変わることはありませんでした。彼らも、大谷翔平にあこがれ、スマホの野球ゲームに興じるような高校生なのです。多少の人見知りはあるものの、気さくに質問に答えてくれたり、自分たちのことを話してくれたりする彼らと接していると、自分自身も高校時代にもどったような感覚になることもありました。
一方で、インタビューを通して本人や保護者の方たちから語られる言葉からは、障がいや病気があることで、これまでに多くの困難を経てきたことがうかがえました。なかでも印象に残ったのは、障がいを理由に挑戦することから何度も遠ざけられ、本人たちも、無意識のうちにあきらめることに慣れているように、わたしには思えたことでした。
そんな彼らの前に現れたのが、青鳥特支ベースボール部であり、顧問である久保田先生です。
障がいがあっても、硬式野球はできる。なにかに「挑戦する」という、ほかの高校生たちにとっては日常にあることを手にした彼らは、とても生き生きとしているように見えました。
突きつけられた言葉
初陣となった夏の大会。新チームとなって挑む秋の大会。冬を越え、大きく成長して臨んだ春の大会。一年を終えて、新しい年度が訪れるころ、チームは新たな局面を迎えていました。
複数の新入生の入部に目途が立ち、いよいよ単独チームで夏の大会に挑むことが現実的になっていたのです。はっきりとは言葉にしないまでも、関係者みんながそのことを明確に意識しはじめていたころのこと。著者とともに学校に取材に訪れていたとき、練習後のグラウンドで久保田先生と話すなかで出てきたのが、冒頭の言葉でした。
「自分たちが、ほかのチームと勝負するには、まだまだたくさんの課題がある。部員数が少ないということもあるし、高校から野球を始めた初心者が多いこともある。障がいがあるということも、ひとつにあるかもしれないが――」
青鳥特支ベースボール部が注目される背景には、「障がいがあるのに、硬式野球に取り組んでいる」「特別支援学校なのに、普通高校と同じ舞台に立っている」という前提があります。この本の企画の発端もまさにそこです。 しかし、久保田先生は違っていました。
「障がいがあるのに」「特別支援学校なのに」という「のに」ではなく、「障がいがある」ということも、「部員が少ない」「初心者が多い」ということと、あくまで並列に語られるものでしかなかったのです。
「うちは弱小だから」
これも先生からたびたび聞かれる言葉ですが、障がい者の枠のなかだけで考えてはいないからこその言葉。青鳥特支が成し遂げたことは、多くの人たちに勇気や感動をあたえました。けれども本当に実現すべきことは、障がいがあることで注目されることではなく、障がいのある選手たちが当たり前のように自分たちの好きなことに挑戦できる世界なのだと感じました。
この本の出版は、そこに大きな矛盾をはらんでいるのかもしれない。そう思うとやや複雑な気持ちにもなるのでした。
メディアでも報じられているように、青鳥特支の挑戦は、66-0の大敗に終わりました。しかしこの「弱小」チームには、まだまだ大きな伸びしろがあります。彼らの挑戦はまだはじまったばかり。来夏には、もっと進化した姿をわたしたちに見せてくれることでしょう。
それが今から、楽しみでしかたありません。