【後編】教育への投資が予想を超える未来を生み出す~新潟県三条市長・滝沢亮さん、市教育委員会特別指導主事・中村義則さん、マルト長谷川工作所社長・長谷川直哉さん~
前編では地域一体でものづくり産業の活性化が進められていった経緯をお聞きしました。
そして後編では、魅力がどんどんと高められている地場産業が、どのようにして子どもたちの学びに活かされているのか、また教育が地域経済の維持発展にとっていかに大切なのかをおうかがいしていきました。
皆さんのお話から感じられたのは、「教育は地域全体の未来への投資である」という強い意識でした。
あらゆる地域に通じる考え方ではありますが、職人の技術がまちの経済を支える三条市においては、その重要性がより色濃く浮かび上がってきました。
(前編はこちら)
「すごい!」という感動が学びを高める
千葉 この20年ほどで、ものづくり産業の盛り上げが官民連携で図られたことをお聞きしてきましたが、学校教育においても2000年代から地域学習が充実していったそうですね。
中村 以前から学校ごとに工場見学などの取り組みがなされていましたが、教育委員会主導の共通プログラムとして、体験型の「刃物・ものづくり教育」が始まったんです。内容としては、日本古来の釘である「和釘」づくりと、小刀の扱い方を学ぶ授業を小学校で行い、中学校では包丁研ぎと、ノコギリ・カンナを使った木工を体験するという4項目で、総合的な学習の時間などで行われています。
千葉 実際に授業に臨む子どもたちの様子はいかがですか?
中村 楽しみながらも職人の技術の高さや、産業の歴史の重みも感じ取ってくれていると思います。たとえば和釘は、2013年の伊勢神宮の式年遷宮に当たり、三条の職人が社殿のつくり変えに20万本も提供しているのですが、そうしたことを事前学習で伝えた上で、鍛冶道場の指導員が手本を見せると「すごい!」と感激してくれますね。
千葉 「すごい!」という実感を持てるのは、学びの上でとても大事なことですよね。知識と体験をセットにすることで、その実感がきちんと湧くんだと思います。しかも、三条市の場合は工場の祭典や、オープンファクトリー化が、「すごい!」という実感をより大きなものにしていると思います。一般的に地域住民の視点からは、地元の生産品が全国の消費者にいかに受け入れられているのか、という部分までは知ることが難しいものですが、このまちでは工場を訪れる人たちの姿から、ものづくり産業が多くの人を惹きつける魅力を持っているのだと感じられるわけですから。
長谷川 確かに、商品が消費者に受け入れられていることを知ると、生産現場を見るだけではわからなかった産業の価値に気付けます。これは私の実体験なのですが、学生時代に新潟県外のホームセンターに行った時、お客さまが当社の製品を買い物かごに入れる様子を目にしたんです。その時には格別の感慨がありましたね。
千葉 そうした経験を子どもたちにたくさん提供することが、地域への愛着を深めることになりますね。また他方では、自分たちの地域が広い世界とつながっているのだということも、生産現場と消費者との関係性を通して、子どもたちに伝えられているだろうと思います。
滝沢 広い世界といえば、マルトさんでは最近、台湾からの見学者が増えているそうですね。
長谷川 台湾の人気ユーチューバーさんに取材していただきまして、動画が公開されると驚くほどの反響がありました。三条市の工場の技術は、世界的なシェアを誇る海外製品にも活用されているので、もともと海を越えて技術視察に来られる例も少なくなかったのですが、今回は一般消費者の方々がたくさんいらっしゃっています。
千葉 それは「すごい!」ですね。地域への愛着とともに、世界の広さを感じることで、子どもたちの将来には、長谷川さんのようにイギリスで起業したり、そこからUターンしたりといった、多様な選択肢が増えていくのだと思います。
「ものづくり」と「ひとづくり」は両輪
千葉 ものづくり教育が20年ほど前に始まってから現在まで、実施方法で大きく変わった点はありますか?
中村 ものづくり教育というよりも、教育行政全体の話になりますが、三条市では2008年度から段階的に小中一貫教育を進め、現在では全市で体制移行しています。ものづくり教育でも小中一貫体制を活用して学習効果を高める工夫を行っていて、中学生が工場見学などを通じて学んだ内容をまとめ、小学生に向けて発表するといった機会も設けています。
千葉 年齢の違う子ども同士が、交流の中で、学びを深め合うことになりますね。私は子どもたちの学びを考える上で、多世代交流も大事な要素だと考えているのですが、体験授業は鍛冶道場の指導員や工場に勤める方々など、大人と関わる機会も多い印象です。
中村 おっしゃる通り、「もの」とともに「ひと」とふれあってもらうことは、ものづくり教育で目的に掲げているところでもあります。
滝沢 今は核家族化が進んで祖父母などと同居していない家庭も多いですから、年配の指導員の方が話す方言を聞くことひとつとっても、子どもにとっては地域についての新鮮な学びになっているのではないかと思います。
中村 家庭という点でいえば、子どもたちを介して保護者にも地場産業に理解を深めてもらえればと考えています。たとえば、包丁の研ぎ方を体験したら、砥石を持ち帰って家でも実践してみるように呼びかける、といった形です。
千葉 学校教育の中で、地域産業との接点を増やしていることについて、長谷川さんは工場側としてどのように受け止められていますか。
長谷川 もちろん、とてもありがたいと感じています。工場などに対して何かしらの思い入れを持っている人は、ものづくりに携わる人材として大切な視点が身に付きやすいんです。
千葉 学校でのものづくり教育の一方で、マルト長谷川工作所さんとしても、工作などの親子イベントを主催されていますよね。子どもの学びという点では、どのようなことを意識しながら催しを提供していますか?
長谷川 ものづくりで手を動かすと、脳の言語中枢も鍛えられるそうなんです。確かに刃物職人さんは、切れ味を表現するにも「ぬるっと」とか「まったり」とか、語彙をたくさん持っているんですよ。あとは、親子で作品づくりをする時には、試行錯誤をしながらコミュニケーションが生まれるという効果もあります。どんどん生活にバーチャルな要素が増えている世の中だからこそ、手触り感のあるものづくりがもたらす、こうした経験を大事にしてもらおうと心がけています。
産業人材を育む理数教育の拡充
千葉 三条市では総合的な学習以外にも、ものづくりと関係が深い理数教育に力を入れられています。工学部のみの単科大学として三条市立大学が2021年に開学し、翌年には科学教育センターの機能も備えた複合施設「まちやま」がオープンするなど、特にここ最近は大きなトピックが続いていますね。
滝沢 はい。いずれもものづくり産業の活性化を中心に発想されたもので、市立大学ではマルトさんをはじめとする約140の企業とのパートナーシップのもと、実践的な知識を学ぶ産学連携実習などをカリキュラム化しています。まちやまは科学教育センターだけではなく、ものづくり産業の歴史を学べる「鍛冶ミュージアム」と公共図書館の機能を備えた施設です。市民の皆さんが憩える空間でもあり、オープン9カ月目の今年4月には累計来館者数が50万人を突破しています。
千葉 このインタビューの前にまちやまを訪れてみて、市内企業が手掛けた工具を貸し出す図書館サービスなどを興味深く拝見したのですが、科学教育センターはどのように理数教育に活用されているのでしょうか。
中村 学校には備えられないような大型の実験機材などを使って、理科の面白さを体感してもらう機会を提供しています。学校教育の中では、小学3年生から中学3年生までの全児童生徒が年に一度、科学教育センターを訪れて授業を受ける「まちやま理科学習」を行っています。
千葉 なるほど。まちやま理科学習はカリキュラムの中に組み込まれているんですね。授業ではどのような内容を扱うのですか?
中村 内容は実施時期の各学校・学級の学習進度によって変えています。たとえば、「台風の接近と自由研究」をテーマとした小学5年生向けの授業では、竜巻実験装置を使ったサイエンスショーなどを行いました。
千葉 ものづくり教育の体験授業と同じく、まちやま理科学習も「すごい!」という実感が、子どもたちの関心を高めてくれそうです。
中村 実際に児童からは、「まちやまを訪れた後は、理科の授業が以前よりも面白くなった」などの嬉しい声が聞かれていますよ。授業以外でも、主に中学生を対象とした講演会や、小学生の希望者向け科学工作などを「科学教育推進事業」として実施していますし、プラネタリウム上映や展示といった市民などに向けたイベントには、子どもたちに限らず幅広い世代の方々が訪れてくれています。
狭い視野では教育の意義を測れない
千葉 滝沢市長は昨年、近隣自治体の首長などとともに、三条高校への理数科設置要望を県に提出されていますよね。これが実現すれば、小中一貫校から市立大学まで理数教育の軸が通りますね。
滝沢 要望に対してはこのほど、2025年度に理数科を設置するとの発表を県からいただきました。小中学校と大学は市立、高校は県立という管轄の違いがありますが、それを埋める教育体制を築いてこそ、真に学びの軸が通ると考えています。
千葉 その軸を強固にすると同時に、ものづくり教育に関連するさまざまな地域資源を面的に活用していくことが、地場産業に携わる人材を育む上で必要になりそうですね。
滝沢 それは外部から人を呼び込んでいく上でも、充実を図るべきだと認識しています。たとえば、まちやまと鍛冶道場の敷地は、細い道路を挟んでいるだけでほぼ隣接していますが、ソフト面で連携する仕組みはまだ構築できていない。ただ、言い換えれば子どもたちへのものづくり教育も、外部へのアピール力にもまだまだ伸びしろがあるということです。
千葉 滝沢市長は校舎の改修を進めたり、先生方が働きやすい環境を重視したりと、教育に対して積極的な姿勢を取られています。そこで改めて、首長として根底にある想いをお聞かせください。
滝沢 人を育むということに関しては、投資と結果の明確な因果関係を示しづらい上に、取り組みの効果が表れるまでに時間がかかる場合も少なくありませんが、だからといって「やらないでいい」ということは絶対にない。ひとつの取り組みが予想もしない成果を生み出し、後になって大きな意味があったのだと気付くことだって多々あるからこそ、教育は広く長い視野を持って臨まなければいけないものだと思っています。どれほどAIなどのテクノロジーが進歩しても、実際に工場や行政のかじ取りをするのは人。未来の三条市を支えてくれる子どもたちのために、これからも投資を続けていきます。
千葉 皆さんの抱くような人材育成への想いの強さは、人の手によるものづくり産業で発展してきた地域ゆえの部分もあるかもしれませんが、未来の地域への投資として教育に力を注ぐという考え方は普遍的なものです。私自身がその考えを揺らがず抱いていくためにも、予想を超えた変化を重ねていく三条市の姿を、これからも追い続けていきたいと思います。