ゲーム業界から絵本の世界へ! 累計170万部・大ヒット絵探し本『冒険!発見!大迷路』作者の意外な経歴!
迷路×さがし絵の絵本という独自ジャンルを切り拓いた『冒険!発見!大迷路』(以下「大迷路」)シリーズ。2008年にスタート以来、17冊のシリーズで累計170万部を越えている大ヒット絵本です。
子どもが絵本から目を離さない、その秘密とは?
最新作『ベストセレクション 大迷路 竜の巻』の刊行を記念して、作者の原裕朗さんのアトリエに伺いお話しを伺ったところ…驚愕の事実が続々と明らかに!
今回は原さんの意外なご経歴と、作品へ込めた思いについて、ライター・柿本礼子さんが迫ります!
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出版社の営業から編集、そしてめくるめく版権ビジネスの世界へ
――前編で絵本のお話を伺っていた中で「ゲームもカードゲームも作っていた」というお話がありましたが、改めて原さんのキャリアについて伺ってもよろしいでしょうか? あの凄いジオラマを拝見して、原さんはきっと美術大学で彫刻科とか、そういうところに在籍していたのだろうと思っていたのですが。
(原)いや、僕は大学には行ってないです。美術学校も行ってなくて、これはもう独学。
――そうなんですね! どんなお仕事がスタートですか?
(原)20代の前半で、最初は出版社です。切り抜き絵本とかを作っているところで、自社で作家を抱えて作っているのがいいなと、描き溜めた作品を持って売り込みに行ったんです。すぐに採用が決まったんだけど、最初は営業をやらされて。担当書店を100店舗くらい任されたんです。新刊の売り込みだったりとか、書店に顔を出して平台に本を置かせてもらったり、必要であればPOPを作ったりとかしていました。以降の仕事にも、この時の営業の経験がすごく生きています。
――当初は作家か編集者を希望されていたんですね。
(原)はい、編集ってかっこよく僕には見えてて。 だから最初は、ちょっと腐りながらも営業の仕事をしてましたね。でも、最終的に本は書店で売られているんだから、結局は売り場を知らなきゃだめだし、実際に書店を回って関係を作る、足を使わないとダメだなって思いましたね。
そんな時に、上野動物園にお土産のペーパークラフト企画を売り込みたいっていう話を聞いて、担当の編集者が何度か行ったんだけどダメだと言ってるわけ。だったら見本みたいなのがあった方がいいんじゃないですかねっていうことで、僕が自宅でライオンとかシマウマのペーパークラフトを作って持って行ったら、いいですねって気に入ってもらえて、企画が通っちゃった。
――それはすごいです! そこから編集部に入ったと。
(原)編集者というより作家みたいな感じで、図面を描かなきゃいけないからホテルに缶詰になったりとか、させてもらいました。
面白い出版社で、なんかビシっと背広着込んだ社員がドクターバッグに分厚い洋書をいっぱい詰めて予約販売してた。なんかあるじゃない、書斎の本棚に詰まってる、絶対読まなさそうなやつ(笑)。
ちょっと怪しげな感じもありつつ、みんなすごく紳士で優しくて、楽しく3年くらい仕事していたんですが、そこから縁あって「セキグチ クリエイティブ ハウス」に転職しました。
――ぬいぐるみの「モンチッチ」がメガヒットしていた時代ですね。
(原)ものすごい売れ方をしていて、しかもお菓子とかタオルとか、他のメーカーがモンチッチのキャラクターを使って商品を作っていたんです。要するに大きなライセンスビジネスがそこにあって、ここで僕は初めてライセンス契約とかマーチャンダイジングを知ったんだよね。
入社した直後に「ライセンシー会議」があって、大きなホテルにメーカーさんが何十社もきて、商談するわけです。こんな世界があるのかとビックリしました。
そのうち、オリジナルのキャラクターも生もうよと、企画を色々とやらせてくれて。
――80年代の勢いを感じますね。
(原)ライセンサーの立場っていうか、楽しさをそこで味わってね。で、30才のタイミングで独立して、東京・乃木坂に自分の会社「バースデイ」を作りました。会社も、自分が生み出したキャラクターの「もぐら組」を独立祝いに持たせてくれて。時代はテレビゲームの興隆期になっていました。
ファミコンゲーム『貝獣物語』から『大迷路』へ?!
――任天堂が家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ(以下、ファミコンと略)」を発売したのが1983年。「スーパーマリオブラザーズ」が大ヒットしたのが1985年でした。
(原)僕は版権ビジネスの世界からゲームの世界に参入しました。5000円の商品が仮に100万個売れたら、ロイヤリティーがとんでもないことになるな、と。
最初はタカラと一緒に作った『トランスフォーマー コンボイの謎』。トランスフォーマーという変形ロボットおもちゃをキャラクターにしたアクションゲームで、それまで僕はゲームってあまりやったことなかったんですが「面白そう、やろうぜ」って引き受けて。それまでのゲームって、画面の流れ方が横スクロールか縦スクロールのどっちかだったんだけど、縦と横、混ぜてみようって作りました。それが結構売れてね。
面白いじゃん、次はオリジナルやろうよって作ったのが、ナムコの『貝獣物語』(1988)です。
――ファミコンのカセットのほか…おおっ! 地図が出てきました。そしてフィギュアが4つ、「涙の密書」という分厚い封書も。なんだかすでに『大迷路』のエッセンスを感じます。
(原)このゲームのコンセプトっていうのは、主人公の少年が、背中に貝を背負った貝獣3人と力を合わせてシェルドラドっていう世界に舞い降りて、力を合わせて魔王ファットバジャーを倒すっていうもの。主人公4人は別々の場所からスタートするんだ。画面では一部しか見えていないから、それぞれの現在地をこの地図にフィギュアを置いて確認しながら攻め入っていくんです。
――「涙の密書」の存在も気になります。封書の表書きには、隠れ島の老人に会うまでは決して開けてはならぬ! との旨が書いてありますね。こう書かれると余計開けたくなります(笑)
(原)大体の子どもたちは箱を開封した時に密書も開けたでしょうね~! 中に入っているのはラストダンジョンの地図です。ダンジョンは2層建ての構造になっているんだけど、その一部が描かれています。
(原)作った側としてこだわったのは、モンスターと戦う時のシーン。まずはモンスターが負ける時、やられたーっていうポーズを作った。敵がやられた絵を作ったのは本作が初めてだったんじゃないかな。あとは戦う時の構図。
ファイナルファンタジーは敵と味方が左右で戦うでしょう。ドラクエは敵キャラが正面にいて、マイキャラは映り込んでない。でも僕はマイキャラを手前に置いて、その奥に敵キャラを置きたかった。これを当時の容量の中でプログラミングするのが大変で。海面の波を動かしたいとか、二層になっている世界の上と下をつなげたいというのも容量が足りなくて苦労しました。
――そのほかにも色々作っていますね。UFOキャッチャーのF1カーシリーズとか、カードゲームとか。
(原)元々ゲームではなくて、ライセンス出身だから。ぬいぐるみもやったり、お菓子の世界もやったり。UFOキャッチャーは別会社を作ろうかなと勘違いするくらい儲かったこともありました(笑)。『大貝獣物語 ザ・ミラクルオブザ・ゾーン』っていうカードゲームも作りましたね。
子どもの30時間を豊かな時間に
――テレビゲームから絵本の製作へとスライドしていったことには、どんな理由があったのでしょうか?
(原)う〜ん…。キャラを生かしたい、動かしたいという気持ちが強いんだろうな、多分。今、自分が『大迷路』を作っているのも動機は同じで、絵本だと全部自分で作れるのがいいんですよね。ゲームはやっぱり、プログラミングを含めて大きなプロジェクトになって、多くの人が関わるから、なかなか自分の思い通りの動きはできないけれど。
先にも少し話したけれど、この絵本でも、子どもたちは1見開きで2時間くらいかかるんですよね。それが12画面だから一冊で30時間くらいかかる。これってファミコンのゲームを攻略するのにかかる平均時間とほぼ同じくらいの長さなんです。
子どもたちの大切な時間を30時間も使ってもらうって考えた時、それに見合うくらいのパワーを『大迷路』に注ぎ込みたいと思っています。
――『大迷路』の密度の高さの秘密が分かったような気がします。1度目では迷路や絵さがしで楽しんで、2度3度と繰り返すうちにストーリー展開の面白さだったり、特典の楽しさだったり、それぞれのキャラクターのサブストーリーも楽しめる、豊かな作品ですね。今日はありがとうございました!
(文・柿本礼子)
★「冒険!発見!大迷路」シリーズ(記事中で紹介した作品)
最新作
9巻
15巻
16巻
★他にも、忍者、宇宙などなど、いろんな「大迷路」シリーズが出ています。好きテーマからぜひ選んでみてください!
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