市民が撃たれる町『シリアの戦争で、友だちが死んだ』 無料公開④ 戦場ジャーナリスト・桜木武史× 『ペリリュー 楽園のゲルニカ』・武田一義
好評発売中の戦場ノンフィクション『シリアの戦争で、友だちが死んだ』を、第一章から第六章まで公開いたします。毎週土曜日20時に、一章ずつの公開予定です。 公開済みの第一章~第三章はこちらから👇
優しい市民が、一瞬で打ち抜かれるという現実。見て見ぬふりは出来ない、と桜木さんが決意を新たにする第四章。この本を読むことで、あなたの戦争に対する考え方も変わっていくかもしれません。ぜひ、コメント欄やTwitterで感想を教えてください。
■第四章 市民が撃たれる町
反体制派の町ドゥーマ
2012年4月、ぼくはシリアの首都ダマスカスを離れ、ドゥーマという町に移った。そこは当時、ダマスカス周辺では唯一、政府の力がおよばない町として有名だった。数百人という少ない数でありながらも、「自由シリア軍」と呼ばれる武器をもった市民によって町は守られていた。ドゥーマでは反政府デモが堂々と行われ、市民の自由な発言が許されていた。秘密警察に逮捕される心配もない。
しかし、政府に批判的な住民や自由シリア軍をだまって見過ごすほどアサド政権は甘くなかった。政府軍は町を包囲し、ときに戦車や装甲車で市内に乗りこみ、自由シリア軍とはげしい戦闘をくり広げていた。
住みはじめて間もない頃、ぼくはこの町の仕組み、ルールを理解していなかった。ある日、買い物に出かけるために外出すると、不思議な光景を目にした。大きな通りにさしかかると、大人から子どもまで全速力でかけ抜けるのである。幅10メートルほどの道路を必死で走る姿にぼくは目を丸くした。
「ここをわたるときは走った方がいい。そうでないと、スナイパーに撃たれる危険性があるから」
近くにいたおじさんがぼくに注意した。ちなみに、スナイパーはアラビア語で「カンナース」という。当時、アラビア語がまったくできなかったぼくも、「カンナース」だけはすぐに覚えた。それほど日常的によく耳にしたのだ。スナイパーはこの町では恐怖の対象だった。
町を包囲した政府軍は突然、通りをわたる住民を撃った。スナイパーは、銃のスコープをのぞきこみ、数百メートル先の標的を撃ちぬく。映画やゲームなどで一度は見たことがあるのではないだろうか。撃たれる側は、まさか遠くからねらわれているとは思わない。
なぜ、住民まで撃つのか。それは、政府にとってドゥーマで暮らす住民全員がアサド大統領に従わない「テロリスト」だからである。つまり、ぼくもこの町にいる限り、アサド政権から見ればテロリストと同じあつかいなのである。
男性も女性も、お年寄りも子どももねらわれた。カバンをせおった小学生も、買い物袋をぶら下げた主婦も撃ち殺された。
そして、スナイパーがいる通りは時々変わった。もちろん政府軍から知らせがあるわけでもなく、誰かが撃たれて初めて「この通りにはスナイパーがいる」と分かるのである。犠牲になる市民がドゥーマではあとを絶たなかった。ここは大丈夫だろうと思って油断をすれば、撃たれてしまう。たった一時の気のゆるみが生死を分ける。
自由に反政府デモができるとはいえ、住民にとっては買い物に行くだけでも命がけなのだ。そんな生活がドゥーマでは何か月も続いていた。
市内では白い布にくるまれた遺体を担ぎ、墓地に向かう大勢の人々を見かけた。大半が政府軍のスナイパーに撃たれて殺された一般市民だった。ぼくもそのひとりになるのかもしれない。そんな恐怖をいつも感じていた。
「住民に恐怖を植えつけるために、殺しているのさ。一般の子どもや女性が武器を持っているわけなんてないのに、政府を批判すればどうなるのか、そのことを分からせるために見せしめとして殺すんだ」
ドゥーマで知りあった若者のひとりは怒りに震えていた。
もしかれの言葉を、ネットやテレビのニュースなどで間接的に耳にしていたのなら、ぼくは信じられなかったかもしれない。町中を歩いているだけで殺されるなんてありえないでしょ、と感じてしまう。でも、ぼくはこの若者と直接言葉を交わし、かれと同じ場所にいるのだ。本当に見せしめで市民が殺されている。罪のない人々が多く殺されているのを自分の目で見た。
若者の怒りはアサド政権に対してだけではなかった。それは、こんなにひどい状況でも手を差し伸べようとしない国際社会にも向けられていた。
「誰も助けてくれないさ。世界は見て見ぬふりだ。おれたちで何とかするしかない」
優しいドゥーマの人たち
ぼくはドゥーマで、アパートを借りて過ごした。入居した翌日、とりあえず食料の買い出しのため、ぼくは外出することにした。しかし、ドアを開けた瞬間、銃声を耳にした。
「何だろう?」そう思いながら、もう一歩足をふみ出したところ、腹にずっしりとひびくような重低音が建物をゆらした。反射的にぼくは部屋に戻り、隅の方で息を殺した。外に出ないほうが良さそうだと直感した。
1時間経っても銃声は鳴りやむ気配がなかった。どうやら政府軍と、反体制派の自由シリア軍がたがいに銃を撃ちあっていることは想像がついた。こんな状況では買い物にも行けるはずがない。もちろん、引っ越したばかりで知りあいは誰もいない。冷蔵庫も空っぽである。「おなかが空いたなあ」と部屋でひとりうずくまるしかなかった。
トン! トン! トン!
銃撃戦がはげしさを増している中で、突然、扉をたたく音が聞こえた。政府軍の兵士だろうか、自由シリア軍の兵士だろうか。物音ひとつ立てないようにぼくは注意をはらった。この町に外国人がいれば目立つのは当たり前である。昨日入居したばかりだが、早くも何らかの疑いをかけられ、部屋に誰かが押しかけて来たのだろうか。そう思うと、嫌な汗がにじんできた。
トン! トン! トン!
しつこくドアをノックする音。それでも何も応えず沈黙を続けていると、何やらぼくに話しかけるような大きな声が聞こえた。アラビア語なので、ぼくには聞き取れない。どんな恐ろしいことを言っているのだろうかと想像してしまう。
しかし、このまま居留守を使っても、ドアを蹴破られるか、相手が銃を持ってれば鍵穴を撃ちぬくことも考えられた。ぼくは覚悟を決めて、そっとドアを開けた。
すると、昨日軽くあいさつを交わした、同じアパートで暮らす50代ほどのおじさんが、にっこりと笑って立っていた。悪いことばかりを考えていただけに、予期せぬおじさんの登場に、ホッとして胸をなでおろした。それと同時に、全身の力がぬけて床にすわりこんだ。
おじさんは手に抱えた紙袋をわたしてくれた。中を見ると、シリアではよく食べられるホブズ(パン)とチーズが入っている。戦闘のまっただ中にもかかわらず、おじさんはこの町に来たばかりのぼくを心配して、食料を届けてくれたのだった。
紙袋からホブズを取り出し、チーズをのせてほおばった。ぼくは無心で食べつづけた。気がつくと、いつのまにか涙を流していた。戦闘で外にも出られない、おなかを空かしているんじゃないだろうか、と心配してパンとチーズを分けてくれたのだろう。
本当のことを言うと、チーズは硬かった気もするし、塩辛くて、ちょっとだけ食べづらかった。でも、ただただ感謝の気持ちがこみあげて、涙が止まらなかった。このときに受けた優しさは不思議と忘れられず、いつまでも心に残った。
また、別の日にはこんなこともあった。
その日は買い出しに向かう途中、自由シリア軍と政府軍との戦闘が突然に始まった。めずらしいことではなかったけれど、外出していることもあり、ぼくはあわてふためいた。にげ場を探さなくてはいけないが、まだ土地勘がない。
銃声は次第にはげしくなり、武装した自由シリア軍がぞろぞろとぼくの横を通りすぎていく。早くにげなければと思っても、へたに動けば戦闘に巻きこまれてしまうかもしれない。
すると、若者が数人駆けより、ぼくの手を引っぱり始めた。かれらはどうやらぼくを安全な場所に連れていきたいようだった。だが、右手に若者がふたり、左手に若者が3人、それぞれが「この日本人はおれたちが助けるんだ」とぼくの手をつな引きのように強く引っぱった。
その間にも戦車の砲撃のような重いひびきが地面をゆらした。戦闘はすぐ目の前で起きている。それでも、たがいにぼくの手を離そうとしなかった。最初は笑っていたぼくも、さすがにこのままでは戦闘に巻きこまれるのでは、とあせってきた。
そこに自由シリア軍の車が急停車し、戦闘員のひとりが大声を張りあげた。たぶん「お前ら、こんなところでふざけてないで、さっさと避難しろ!」などと怒鳴りつけたようだ。その一言で、ようやくぼくは一方の手をにぎっていた若者に連れられて、かれらの自宅ににげこむことになった。
案内された民家に入っても、外のはげしい銃声と砲声がずっと聞こえていた。もし今、政府軍がこの民家に押し入ってきたらどうなるのだろうか。ぼくは政府軍の兵士に捕まり、「お前はこんな場所で何をしてるんだ?」とあやしまれるにちがいない。最悪、殺されることも十分に考えられる。
ぼくはおびえながら、まわりの若者たちと一緒に息をひそめていた。しばらくして戦闘が終わったのか、辺りは静けさに包まれた。ぼくが自分のアパートに戻ろうと腰を上げると、かくまってくれていた家のおじさんが優しく言った。
「まだ外は危険だから、ここでゆっくりしていきなさい」
そして、お茶とビスケットをふるまってくれた。アラブ人が客人を手厚くもてなす習慣は知っていたが、それは平和なときも、そうでないときも、同じだった。むしろ戦争をしているときにこそ、かれらは外から来た人間を、より守ろうとしてくれた。その優しさにふれると、先ほどまでの恐怖心はやわらぎ、不思議と消えてなくなった。
何かあっても、ここにいる人たちが助けてくれる。ドゥーマでの1か月の暮らしの中で、悲しいことや恐しいことはたくさんあったけれど、それを癒してくれるほどのたくさんの優しさがあった。シリアの取材を続けていこう。そうぼくは心に決めた。
第五章に続く・・・
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©Takeshi Sakuragi, Kazuyoshi Takeda 2021