対極主義的おやつ 〜岡本太郎と私の意外な共通点〜
※この記事には、人の許容量を多く超える「過言」が含まれています。苦手な方は避けてください。
岡本太郎展に行ってきました。
なぜ、美術芸術に興味のなく、守銭奴として知られている私が1900円もの
大金を払って観覧しに行ったかというと岡本太郎は私にとって近所のおじさんのような存在だからだ。
全く失礼な話
近所のおじさんとは、偉大な芸術家に対して"近所のおじさん”とは全く失礼な話だ。そういうのにも理由がある。
私は、多摩霊園という公園墓地の近くで生まれ育った。小学2年生の時に学校のイベントで地元のランドマークを訪れるというイベントがあった。
その際に私が見学場所に行ったのが多摩霊園である。
小学生の身ながらも奇抜な墓標のデザインは心を打たれたのをよく覚えている、我ながらキモい小学生である。まぁ、そんなこんなで近所のおじさんの個展に行く感覚で岡本太郎展に行ってきた。
貧乏症に美術展は向かない
生粋の貧乏症であり、アートに一切も触れてこなかった私にとって絵画から得られる感想などクソの役にも立たない。そのため、大体の作品から受け取れた感想は「すげぇー」や「でけー」か「分厚い」であった。その感想を得るために1900円は正直割に合わない、Coco壱番屋であれば満足度を超えたトッピングができる金額だ。
私は、展覧会等に行くときは大抵、死ぬほどキャプションを読み込んでから作品を味わうようにしている。カレーに出なかったトッピングをキャプションに求めるのである。岡本太郎展においても例外ではない。
対極主義
彼の作風の代名詞といえば、対極主義である。対極主義とは、抽象絵画の合理主義とシュルレアリスムの非合理主義という、近代精神の裏表ともいえる二つの立場を、矛盾と対立を強調しながたぶつけることにアヴァンギャルド芸術家の使命があるのだという主張である。正直、この説明のみでアートに見識がない自分からするとちょっと何言っているかわからない。
しかし、私なりのざっくりした解釈をすると対立主義=反対の物を同時に共存させる事ということはわかった。
少年の思い出
対極主義という単語を聞いた時に私の中にとある思い出を思い出した。
少年時代、自分が最強と称していた買い食いの思い出である。私が中学生だった時、友人との買食いが流行っていた。食べ盛りだがお小遣いの少ない中学生は常に安くて満足できる買食いメニューを求めていた。そこで私たちが目をつけたのはコンビニおでんであった。当時のコンビニおでんは自分で好きな具材をとって容器に入れるスタイルであった。そのため 、好きなだけスープを入れることができた。当時確か大根1個70円で大量のスープがついてくると考えればかなりお得であった。そこにコンビニおにぎりをつければおよそ170円でかなりお腹が満たされるのである。
しばらく、私はおでんとコンビニおにぎりで過ごす日々であったがある時気がついたのである。コンビニおでんのスープはあまりにも熱くコンビニの前で立って食べるにはかなりの時間を要してしまう。そこで、その難点を突破するためにおでんの相方としてガリガリくんを導入した。最初は、おもしろ半分やっみたがなかなかどうして冷たくて甘く爽やかなガリガリ君はしょっぱくてあたたかいおでんのつゆによくあいこの二つならば無限に食せるという錯覚を覚えたほどである。私はこの奇妙な組み合わせの虜になってしまった。この奇妙な組み合わせはまさしく対極主義である。
つまり、中学時代の私のセンスは岡本太郎と同じ感覚的センスを持っていたと言っても過言ではない。