ニアミス有名人・そう言えば ①
☆楠木正成の末裔
今だったら大変!ブラック校則とモラハラの嵐の女子校時代の友人。埼玉在の1人っ子、楠木姓の後に古風な名前がついているが本人は大嫌い。ニコニコしながら「海ふみみって名で私を呼んでくれる?」ポッチャリ可愛い見かけによらず、アングラ劇が好きで知らない世界を(勉強はそっちのけで)私達に教えてくれた。厳しい親と頭の固い学校の特別許可を取って年賀状の仕分けバイトに行ってた「一眼レフカメラが欲しいんだ」
☆森英恵
有名なデザイナーの事務所に入ったばかり、1番下っ端の雑用ばかりやっていた頃、小さなビルの上で展覧会があり(小さなエレベーター1つだけ)階下で荷物を持っていると、あの当時1番忙しくしていた(Parisと NYにも出店)森英恵さんが秘書達と前から歩いて来て、エレベーターに乗ると思いきや、安いセーターとペタンコ靴のバイトみたいな私達3人に「あら、ウチのスタッフ達がお世話になっていますでしょう。いつもありがとうございます」丁寧に挨拶してくれビックリ!後で先輩に興奮して話すと「ご自身で家庭を持ちながら、世界を飛び回ってお仕事されてる人。並じゃないの、器が違うのよ。」今でもあの人はすごいと思ってる。
☆ピーター・フォーク
NYの貧乏なアートスクールで一緒のクラスだった。上半身裸になって(そんな人、他にいません)珈琲を飲みながら気さくに話し、人物デッサンに日々励んでいた。
☆丹下健三(建築家)の妻
義父が居合道の個人レッスンしていた。代々木オリンピック競技場や都庁など生前とにかく忙しくしていた丹下健三が、居合の練習にそそくさ出かける妻にちょっとヤキモチを妬いたそうで、その話はなんだか可笑しかった(笑)年末に銀座和光の商品券をいただいて「和光になんて(高級)入った事もないし、緊張して何買っていいかわかんなくて困ったよ」義父は照れつつ笑ってましたっけ。
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