やってみました!止まらずに進んでみたら、みえたものとは -
順風万風から、青天の霹靂。
このまま朽ちていられないなら、行動してみませんか。
うだうだと時間を止めてたら「そのまま」です。
はじまり
青い空、太陽の下の乾杯は、いつでも最高です。
ホノルル空港に着いて、いつものように入国審査へと歩いていました。
上司がお出迎えとは、あら、珍しいと思いきや「ハワイ州知事の指示により、急遽、ロックダウンすることになりました。本社は、ホノルル便を本日以降、当分の間キャンセルすると決定。この便が、ホノルルから日本への最後の便だから、コレに乗って、このまま戻って」と。
ハワイに入国することなく、その足でまた、成田へ飛びました。
ま、そのうち元の生活になるのでしょうと、思いがけずいただいたおやすみをラッキー! と、のほほんと過ごしていました。
フライトが再開される日が気になっていたので、会社からのメールは、毎朝必ず、チェックをしていました。ある日、CEOから「強制退職です」と、短いメールが届いていました。
仕事がなくなりました。
同僚同士、気が狂ったように「クビってなに?」「死んだりしないでよ!」「また、あえるよね?」と、連絡を取り合いましたが、解決するようなことでもなく。
とはいえ、ロックダウン、緊急事態宣言など、想像もしていないことが起きていたわけですから、ま、そのうちなんとかなるでしょと思い込むしか、耐える方法がなかったです。
違う場所で働くことなど、思いつきもしなかったですし、むしろ、働きたくもなかったです。
あれが、最後のフライトだったの?
心の準備も、仲間たちに「ありがとう」をいうこともなく。
青天の霹靂でした。
違う場所で働くことなど、思いつきもしなかったですし、むしろ、働きたくもなかったです。
お金が減っていくのを眺めながら、なにか変、職業婦人として生きていたからか、オンオフがはっきりしていない時間をもどかしく感じていました。
「働けばいいのか」と気づき、転職エージェントに連絡することに。
ありきたりな挨拶のあと「エクセルは、お使いになれますか、なにかスキルはございますか」エージェントの冷たい声。
「ワインや野菜ソムリエの資格、民間の資格をいろいろ持っています」と、強気に出てみました。
「このご時世、エクセル、ワードかパワーポイント、どれかひとつでいいので使えるようにしてから、ご連絡いただけますか」
最低限必要なことができず、50代半ばでスキルゼロと言われてしまいました。
50半ばで、この経験、必要?
よく付き合ってくれる友人がいてくれたとおもう。
あの頃のペイペイの履歴をみると、呆れる量。
現実を受け止められず、お昼間から毎日、ワインで友人たちと乾杯。
空を見上げては、涙をながしているおバカさんでした。
自己投資と言い訳をし、ワインスクールには、熱心に通っていました。
美味しいシャンパーニュや、ワインがいただけるし、自分はなにも変わっていないと信じたかったからです。
これから、無職か。
無職で、さまよっていた20代を思い出し、いまですかと愕然。
スキルがないの?50年以上も生きてきて?
ブラインドタッチと言われても、エクセルと言われても、興味もなければ、必要なものでもなかったし。ネットサーフィンするのに、ブラインドタッチとかいらないし。
やりたいこと、好きで仕方がないこともない、これまで、お仕事がすべてだったから。
残高がゼロに近づき、気がつきました。
なにかしなきゃ!
手っ取り早く、取れそうな資格を取り、リモートで働いてみましたが、自分の時間を提供する価値を感じず退職。次は、自分がやってきたことを活かそうと、飲食業に応募。
意外にもすんなりと次の就職先が決定したのですが、そこでは時間が止まっていました。
30年以上前となにも変わらない給与、人手不足で社員は残業必須。
「みこみ残業手当」にドン引きしてしまいました。
それでも、ワインはあるし、リアルにお客様に接するのはめちゃめちゃ楽しい。
でも、気づいてしまいました。好きな場所でないと「嘘」になってしまうことに。
日本は30年間、なにをしていたのでしょうか。外資系で働いていた自分は、どうしても、このタイムマシンでもどってきたような世界に納得がいかないし、イラついていました。
人を大切にしない企業で働くのは、二度と御免でした。
いずれにしても、つまらない仕事をするなら、外に出よう。
常夏の国に住んで、お仕事後にプールでのんびりできる国へ。
なんとか就職先が決まり、楽しかった接客業を辞め、鹿島立ち。
キャリアにならない仕事ですが、残業がないことがいい。
考える余裕と時間ができたら「このままでいいの? 」と、心の声。
ソムリエとして、働きたいとチャレンジもしましたが、ビザの関係上できないことが判明。
YouTubeで「Kindleでノーコンテンツブックを売ってみよう」とか、
オンラインコースで、なにか新しいスキルを身に着けようと張り切るも、なにか物足りないし、うまくいかない。
結局、オンラインコースでも、ワインのクラスばかり勉強していました。ワインスクールに、また、通いたいとおもっていました。
数少ないワインのイベントに行き、知らないワインを探し続けていました。
ある日、以前より気になっていた文章のプロから、メールマガが届きました。「1度習得してしまえば、80歳になってもつかえる、一生モノのスキルです」そして「スマホ(パソコン)ひとつあれば、世界中どこでもできる」と書いてありました。
「コレって、サイン?」
なんだか、とても興奮し、その場で申し込もうとしたら、満員御礼。
すごく悔しくなって、次の講座には絶対申し込むと決めました。
もっと、広い世界へ
文章の書き方を習うものだと思い込んでいましたので、
まずは、「強み」をみつけることから始まったことが、ものすごく困りました。
「強み」がないから、講座に入ったのに、ここでもグサリとやられる自分。
1番、時間とお金をかけたものが「強み」だと言われても、納得できませんでした。
毎日ブレインダンプをしている作家さんもいらっしゃるとうかがい、
では、自分もと続けてみました。
見返すことなど必要ないほど、同じことばかり書いていました。
「好きな場所で、好きなことして、生きていく」
「シャンパーニュ、ワインで乾杯」
課題は、必ず提出すると決めました。
もうできない、やりたくないとおもってしまっても、お金の無駄になるだけで誰も困らないのが、大人の習い事です。
そして、課題をすべて提出するということは、調子に乗ってKindle出版をするということです。
自分は女優、作家の役になりきると思い込んで挑むことにしました。文章書いて、お金出して読んでいただくなんて、ずうずうしいにもほどがあるとおもっていたからです。
いろいろな方に助けられて、出版することができ、「Amazonランキング」3部門1位を獲得することができました。
まったく、オファーなどきたことがなかったUPWORKでも、オファーがくるようになりました。
なにより「文章を書くチカラ」は、どこにいても、なにをしようとしても必要なスキルであり、一生継続できるチカラだと気づくことができました。
そして「自分はできる」という自信がつきました。
いままで「モノ」を欲しがっていた自分が残念でなりません。
いろいろなひとに、そして、たくさんのワインにも出逢いました。
自分の中のどこかに、それらのなにかがちゃんと残っていることに乾杯。
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