遊民的中国レポート【6】日本人留学生の友人との出会いと、外国人のクラスメイトたち
前回レポート
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オリエンテーション後に一人で廊下を歩いていると、日本人の女の子に話しかけれた。
それがYさんと私の出会いだった。
「突然ごめんなさい。なんとなく日本人だろうなと思って。さっきの説明、わかりましたか?あなた、日本人グループに入らずに参加されてたみたいですが。中国歴長いとか?」
Yさんは首都圏の大学生で、私より2歳年下だが、すでに上海で1年の留学を経験しており、中国語のレベルはかなりのものだった。この秋から正式にこちらで政府奨学金を取り、この大学にきたのだという。
彼女は日本人グループに混じらない私を不思議に思ったようだ。
「いやぁ、英語聞きながら漢字みて、なんとなく予測して、正味理解できてるのは6割くらいやと思います。中国語はニーハオくらいしか分からないレベルと言っても過言じゃないですね…」
「なんで日本人と一緒に聞かなかったんですか?」
「何でやろ…そもそも日本人の知り合いとかあまりいないし、文脈である程度わかるかなーと…」
「…実は、上海で群れる日本人が苦手だったんですが、あなたとなら仲良くなれそうかと思って声かけました。よかったらまたお話ししませんか?私はYって言います。」
なんとも心強い申し出で、私は素直に「よろしく」と伝えた。
彼女とは寮の部屋が隣だったこともあり、私達は親交を深めることとなった。
少し気難しい人ではあったし、私の発音は彼女にフルボッコに批判され、恥をかくこともあったが、お陰でかなりできるようになったと思う。「遊民さんは発音が悪いから何言ってもダメなんですよ」と辛辣な言葉をぶつけながら、発音矯正にも付き合ってくれたので、今でも感謝している。
彼女がいうに、大都市圏では日本人の留学生はかたまりがちで、日本人同士で遊んでしまうため、ほとんど言葉を覚えずに帰ることになる人もいるのだそうだ。
上海には酒場やクラブが山ほどある。お金のある学生は、そういうところに集うようになるだろうし、その中で自分の意思で真面目に勉強するというのはなかなかの器用さが必要なのだろう。
その話を聞きながら、わたしは改めて、少しずらした場所を留学先として選んで良かったと感じた。
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オリエンテーションが終わったあとは、各種手続きをする。
些細な手続きはいいとして、居住登録は留学生自身が公安局に行って自力でやらねばならず、少し骨が折れる。
国内で一人暮らしすらしたことがない私にとっては、この手の手続きは無論初めてだし、公安局ももちろん行ったことがない。
幸いなことに、Yさんが助けてくれることになった。
当時、私のいた都市の道路はあちこち掘り返していた。朝から工事の音で目が覚め、それは延々と続く。
手をつけっぱなしで片付けもせず長らく放置されている工事箇所もあれば、皆が驚くようなスピードで建設される高層建物もある。
街中のアスファルトはめくれ、穴ぼこや土がその辺りに無造作に放置されており、歩行者路はとても歩きにくかった。
後々、韓国からサバティカルできている40代男性大学教授と、中国の道路事情の悪さについて話す機会があった。
彼曰く、このようにあちこちを掘り返して工事多いのは、国がインフラを整えている〈途中の国〉にはよくあることらしい。
韓国も、先生が若い頃は全く似たような状態だったそうだ。
私が知らないだけで、日本もこのように、毎日のように道路工事を行っていた時代があるのだろう。
そこそこ都会だと思った私が選んだ都市も、まだまだ開発の途中であった。
工事の影響で足もとの悪い道路、大きなクラクションを鳴らしてくる車、音もなく近づいてくる電気バイクに悪戦苦闘しながら公安局に着く。
すでに大量の申請者が並んでおり、ゲンナリしたが、待ち時間にYさんと話をできたので退屈はしなかった。
中国の車は市街地では(どうせ混んでいることもあり)スピードをそれほど出さないので、手で止まれのポーズをしてれば歩行者を通すために更にノロノロ走ってくれる。
そんなことも、彼女から教えてもらったのであった。
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オリエンテーションや居住申請手続き含む諸手続きが終わってからは、授業が始まって1週間以内に自分の所属クラスを決めなければならない。
高級の上クラス、下クラス
中級の上クラス、下クラス
初級の上クラス、中クラス、下クラス
など、レベルごとにクラスが設定されている。
既に相当レベルの中国語能力を備えたYさんは「高級」クラスに行くという。
他国からの留学生は皆テストの結果を元にクラス振り分けが行われるのだが、日本人は漢字が読めるから、勝手に自分の所属するクラスを決めて良いということになっていた。
(今思うとめっちゃ適当やな…)
色々授業を見学した後、私は基本的に「初級クラス」(中)に行くことにした。
当初のクラスメイトは、
ギリシア人
メキシコ人
インドネシア人
ベトナム系オーストラリア人
オーストラリア人
イタリア人
フランス人
パキスタン人
それから自分と同じ歳くらいの、ルームメイト含め韓国人女性3人、韓国人男性2人
他に、日本人留学生が一人いたが、彼はあまり授業に来なかった。
このクラスの人たちとは非常に活発に意見交換をしたから、今でもよく覚えている。
私にとっては初めて「アウェイ」で授業を受けた経験だったが、皆と議論するのが本当に楽しかった。
特に、30代の女性が多いから、当時年少だった私はとても可愛がってもらえたのだ。
駐在で中国にいたベトナム系オーストラリア人女性やインドネシア人女性には親切にしてもらった。
彼女らの夫はスウェーデンやドイツの出身で、世界的な自動車メーカーで働いており、仕事のため中国に来ているようだ。
留学生とはまた違った理由で中国語を学ぶ彼女らは、心にも少し余裕があったのかもしれない。
授業で困ったとき、分からない中国語があったとき、色々教えてくれたし、休憩時間には私でも分かるレベルの英語と中国語で色んな話をしてくれた。
国際結婚の夫とどこで出会っただとか、
中国に来た感想だとか、
自分の国とはどう違うかだとか。
ベトナムもオーストラリアもインドネシアも、私にとっては全然知らない国だが、彼女らがとても良くしてくれたから、それらの国にもとても「親しみ」を感じるようになった。
改めて思い返してみても、クラスメイトたちは社交的でよく話す人たちで、私は割とすぐに「受け入れられた」ような気持ちになれたのだと思う。
みんな、私にとっては良い意味で「大人」だった。逆にいうと、私一人が「子供」だったのかもしれない。
(このあたりは、また思い出した時に個別のエピソードを書いていきたいと思う。)
当時の私の日記
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つづく
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