なつかしさはどこからでも
なぞりと連打
一昔前までケータイで文字を打つのには同じボタンを連打しないとあ行から離れられなかった。
「お」や「え」の列であれば戻るボタンを押した方が早かったりして、さながらキーボードのように両手を使って文字を打ち込む。
今となってはスマホのフリック入力になり、既に板についた感があり、入力しやすい。
今さら入力方法を元の方法に戻そうなんてことも思わない。
しかし、我が家ののテレビやレコーダーのリモコンは未だに番組検索をしたいときとかにはそれを強いてくる。
しっくりこないナンバーキーに指を添えると、そこには少しでも早く打ってやろうという自分がいることに最近気が付いた。
無駄に手元を見ないでやってみたり、そこまで頻度も高くないのにボタンの配置を覚えてみようとしている。
これは昔取った杵柄的なムーブなのか、なつかしさからくる高揚なのか、さてなんだろう。
雪の降らない平らな土地で
気づけばもう師走であるが、北国育ちの心持としては雪があっての冬。
今いる平らな土地ではめったに雪は降らないし、なんなら厄介者扱いをされている。
それでもやはり恋しいものは恋しくて、冷えた長い夜を思い出す。
テレビっ子だったこともあってかきっかけはシチューのCM。あとはあまり見ないがスタッドレスタイヤのCM。
これが流れているのを観ると、当時住んでいたアパートから見えた景色、降り積もった雪を街灯が照らしている光景が思い出される。
何とも言えないなつかしさがこみ上げてくる。
雪国の夜は明るい。雪が光を反射してくれる。
街灯だらけの明るい夜はそんなに好きじゃない。
そんなことを思って書いていたら、帰りたくなったから、そのうち帰ろう。