父の躁鬱(双極性障害)に追い討ち。
こんにちは✨
Selenaです😌
今回は父(躁鬱)の症状〜から当時の周りの環境をお話しします。
双極性障害は気分が高まったり落ち込んだり、
躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気です。
躁状態では、気分が高ぶって誰かれかまわず話しかけたり、
まったく眠らずに動き回ったりと、活動的になります。
ギャンブルに全財産をつぎ込んだり、高額のローンを組んで買い物をしたり、
上司と大ゲンカして辞表を叩きつけたりするような社会的信用や財産、
職を失ったりする激しい状態になることもあります。
一方、いつもよりも妙に活動的で周りの人から「何だかあの人らしくない」「元気すぎる」と思われるような軽い状態は、軽躁状態と呼ばれます。
うつ状態では、一日中ゆううつな気分で、眠れなくなったり、または逆に眠りすぎたりします。大好きだった趣味やテレビ番組にも関心がなくなったり、食欲が低下し、
おっくうで身体を動かすことができないといった症状もみられます。
第三者からみると、凄く怒ってたり、ハイになってるなーと思えば
次の瞬間凄く落ち込んでいたり、気分の起伏の差が激しく
まるで別人になり、2人の人格が入ってるかのような錯覚になります。
又、春先になると症状が悪化しやすい傾向があります。
働いたお金は全部ブランドものに注ぎ込み、家には全くお金をいれてません。
なので私の家庭は父は遊んでいるものの、母、姉、私に関しては貧乏です。
仕事も見つかったと思えば3ヶ月後にはクビになるの繰り返しでした。
これが父です。
父の場合もともとお酒は全く飲めない人でした。
ですが、父の兄の自殺により躁鬱になり、
ビール500mlを2〜3ケース分を一晩で飲み切ってました。
その結果酒癖も悪くなり、普通であれば怒らないところで怒ったり、
善悪の境目が無く、手を出すようになったり、してました。
その時はハイになっている状態です。
誰彼構わず喧嘩をふっかけるようにもなっておりますが、
次の瞬間血の気が引くのか睡眠に入ります。
そして起きて気分が落ち込み、いきなり泣き出したり、
前日の記憶が無いので抑えが効かない自分に震え、前日の自分の言動確認から泣きながら謝る毎日です。
父の場合はADHDも入っております。
一言で表すと"中二病"みたいな感覚でそこで精神年齢が止まっております。
お酒は入っていないのですが、いきなり人を睨みつけたり、喧嘩を売ったり、いきなりボクシングのシャドーを始めたり、警察にいきなり文句言ったり、
車の運転中は相手の車高をわざわざ止めて文句言ったり輩です。
会話も自分の事をずっっと永遠に話し、
人が話している時も平気で割り込み、
人の話しを聞けず一方的で言葉のキャッチボールが出来ません。
そして父に関しては武勇伝だったり、まわりのや○ざの方々達の話しをいきなりしだしたり、
40なって今でも喧嘩が強いのが誇り。
ヤンキーがカッコいい。
人を見る基準がナメてる、ナメてない。そこの判断です。
本当に大きい中学生を見ている感じです。
なのでこれに躁鬱が加わりより酷くなり、
ハイになってる時は喧嘩モードなんです。
仕事が短期間でクビになるのも、そこの会社の上司がナメてる。そこから喧嘩、そしてクビ。
元々根は素直なのですが、私が友達を家に連れて行った時も
睨みを聴かせてわざと威圧的な態度を取り、
口も悪い+私もいきなり殴られるので
友達からは『Selenaのお父さん怖い。
Selenaのお父さんいるなら行きたくない。』
と、誰も寄り付かない程でした。笑
ADHDの人は元々凄く頭の中で物事を考える傾向にあります。
躁鬱も同じように一度に物事を5〜6個考える傾向があります。
その上お酒はその火消し役となり自分のキャパはとっくに超えているのに飲み過ぎる傾向があります。
父の場合は両方入っているのでビール1杯と約束してても泊まらず次々飲んでるんですね。
だからブレーキは誰もできない状態でした。
私自身母から父が鬱病だと聞いたのが小学校に上がってすぐの時でした。
そして父の双子の兄が17で亡くなっていたのも知らず、
ましてや私が3歳の時に父のお兄さん亡くなったのも病気でと聞かされており、自殺していたとも知りませんでした。
鬱病と聞かされたと同時にその事実を知ったのですが
人の死がどう人に関わってくるかなど全く理解してませんでした。
なので頭がおかしい父親に振り回されている家族としか認識がなく
いつも父を小馬鹿にしてました。
何か怒られると『鬱病うるさい!』などと小さいながら暴言を吐いてたりもしました。
今思うととても酷い事をしていたなーと複雑な気持ちです。
母に関しては病気に対する理解はあったとしても、
結婚前と結婚後では明らかに父の人格が違う為に
相当苦労したと思います。
その時の話は今では笑い話になるものの
当時は笑顔なんて消えており、罵声と暴力の家庭でした。
そんななかでも離婚せず支えてきた母は
子供には父親が必要だからとずっと浮気もせず、離婚せずに今まで育ててくれました。
母はどんなに暴言を吐かれて、
殴られて怪我をしても、
根はいい人だから、父は本当はいい人だから、と
辛そうに言って許していたのを覚えています。
正直それは依存愛なのでは?と思う事もありましたが立派な母です。
姉に関しては私よりは父親に対し、理解はあったように思います。
父親が当時寝るのが怖いと泣いてる夜があれば
黙って父に寄り添い、添い寝しておりました。
父は当時の事を『姉がいたから俺は救われてた』と語ります。
姉は母をずっと庇っていましたが、
だんだんどうすれば父が怒らないか、
どうすれば許してくれるかを冷静に判断し、
宥めていたのは姉でした。
母方の両親に関しては父親を一方的に責めることもせず、
離婚を強要することもなく、
私達が落ち着くまで寝泊まりさせてくれてました。
父方の両親はいつも申し訳なさそうに
母に謝っておりましたが、みんな耐える。
逃げだすこともせず、離れることもせず、
ただひたすら環境に耐える。
解決法は無く、ひたすら耐える事をみんなで頑張りました。
ただこれが正解だとは思いません。
どれが正解だった、間違いだったとも分かりません。
ですが、躁鬱というのは本当に大変な病気です。
100人に1人の確率でなり得る、立派な病気です。
私が小学校低学年の時の話です。
生きるのが辛い。こんな家に生まれたくなかった。
学校でも当時人と違う、変人だと仲間はずれだったり、物を隠されたり、文句言われたり、上手くいっていなかった為に余計に思ってました。
父親は害だと、父を殺して自分もその後死のうとまで考えていました。
父が寝てる間に包丁で刺すか、ベルトで首を絞めるか、何かで頭を殴るかを考えました。
それをしなかったのは、当時まだ私は小さく
父親の力には敵いません。
包丁で刺しても死なかったらどうしよう。
首絞めても逆に殴られたらどうしよう。
頭殴るにしてもこの親父は死ななさそう。
そうなれば私は刑務所行きだ。
こんな、親父のせいで刑務所には行きたくない。
それに私が死んだ後は地縛霊になり彷徨い続けるかもしれない。
それは嫌だ。それならいっそ消えてしまおうと決めました。(小学校低学年の思考です笑)
翌日学校に行くふりをして学校に行かず、夜も家に帰らず、ひたすら気の済むまで歩き周りました。
最終的に三日程歩いて疲れ果てたときに補導され、
お家に帰されました。
そしてその時両親が泣いて抱きしめてくれました。
そこで私はなんて馬鹿なことをしたんだろうと思い父の殺人計画を辞め、自殺未遂もする事なく終えました。
ただ、ここだけの話、父の使っていた歯ブラシで
排水溝と便器を磨き、翌日父がお腹を下したのでスッキリしてました。笑
今思うと笑い話です。
なので本当に今現状辛い人がいるならば逃げてください。
逃げ道を確保する事を大前提に考えてください。
何でもそうです。
『諦めるな、頑張れ、耐えろ』
この辺りの言葉は時には暴力になります。
本当に辛い時に言われ続けるとだんだんと
逃げ切れなくなってしまいます。
逃げようと思ってる自分が間違っている。
普通の人はこんな状況でも耐えるのが普通なんだ。
そういった錯覚に陥ります。
なので折半詰まってる時は一度その環境から離れ、
冷静に見て、判断して欲しいと思います。
自ら死を選ぶ人に関しては私は否定も肯定もしません。
その人の人生であり、その人自身それまで死を選ぶまで頑張った結果だと思います。
父の兄に関しては、20で弟を事故で亡くし、
病気になり逃げ道が覚醒剤だったんだと思います。
その結果周りの人に迷惑をかけるからと死を選んだのだと思います。
ただ、今現にそういう立場にいる人がいれば、
その決断をする前に一度無一文でもいいから
周りを捨てて、外に出て
自分の事を何も知らない人たちと話してみてはいかがでしょうか?
もしかするとその先に何かいい出会いがあるかもしれませんし、
大切な何かが見つかるかもしれません。
反対に何も出会わないかもしれない。
けどそれはそれでリフレッシュになるのかな〜
と、思ったりもします。
それと、今現状悩んでいる事は長く続きません。
良いことも、悪いことも必ず終わりがあるものです。
それに気づくか気づかないか、
終わりが早いか早くないか、
それまで逃げ道があるかないか、
で変わります。
とりあえず、身の危険を感じだ時は迷うことなくその環境を捨てましょう。