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「僕、タイのお坊さんになる。」
「仕事やめよっかな」
25歳。社会人になって、気付けば4年が過ぎた。
大学を卒業し、今の職場に入った時は毎日が楽しかった。
素晴らしい先輩や同期に支えられ、仕事が「楽しい」と思えた。
2年目からは毎日が苦痛だった。
「仕事を辞めたい」
憧れて入ったはずなのに、そう友人や同期に話すことが多くなった。
年数を重ねるにつれ、責任も仕事の量も増えていく。
誰よりも早く出勤し、一番最後に帰宅しなければ仕事が終わらない。
そのうち、身体が悲鳴を上げるようになった。
職場の門をくぐると、自然と涙が溢れる。
「花粉症で」
と、訳のわからない嘘をつき、無理やり笑顔を作って、赤くなった目を隠し出勤する毎日。
友人は僕の変化に気づいていたようで
「大丈夫?」
と声をかけてくれることもあったが、
「辛い」
と言い出すことはできなかった。
弱い自分を認めたくなかったからだ。
「今年耐えたら辞めよう」
毎年のように思っていたが、行動に移すことができなかった。
そんな時、久しぶりにFacebookを見ていたら
「日本で出家をしませんか?」
という投稿が流れて来た。
幼い頃、タイのバンコクに住んでいたこともあり、Facebookにはタイ人の友達も多くいる。
その中の一人が、タイ国タンマガーイ寺院が行っている、日本人向け短期出家コースの投稿をリポストしていたのだった。
なぜだろうか。
いつもならすぐに他の投稿に目移りするのに、その投稿が頭から離れなかった。
僕はそのことを、タイ人の友人に相談した。
「Poon(僕のニックネーム)。それは『出家をしなさい』っていうサインだよ。」「良い機会じゃないか。やってみるべきだ。」
友人は真顔で僕にそう言った。
今思えば、ただ日常から逃げたかっただけなのかもしれない。
気付いたら僕は出家コースに申し込んでいた。
申し込みをすると、すぐに日本人のスタッフの方から「面接の日程を調整しましょう」とメールが来る。
面接はオンラインで、日本語の話せるタイ人僧侶の方と行う。
「何を聞かれるのだろうか」「圧迫面接だったらどうしよう」と、不安でいっぱいだったが、僕の面接をしてくれたお坊さんは、とても優しい口調で、笑顔が素敵な人だった。
「どうして出家しようと思いましたか?」
そう聞かれ、何と答えようかすごく戸惑った。
本当は正直に色々と話さなければいけないのだろうが、「仕事が辛いから日常から離れたい。」なんて言えず、「友人からの勧めもあって…」と、少し誤魔化して話をした。
出家の理由について、お坊さんは、それ以上詳しく聞いてくることはなかった。
でも、優しく「お待ちしていますね」と、僕の何かを感じ取ったように、画面の向こうから僕に微笑みかけてくれた。
それから、持病があるかなどの確認があり、面接自体は15分ほどで終了した。
翌日、日本人のスタッフの方からメールが届く。
「コースの準備をしてください」
結果は合格だった。メールには、出家の際に覚えなければならないパーリ語の「出家請願の言葉」が添付されていた。
全部で14ページもあるPDFファイルには、出家式までに覚えなければならないパーリ語の言葉が、カタカナ表記で記載されている。
僕は仕事が忙しく参加することはできなかったが、コース開始の1週間ほど前から、オンラインで練習することができる機会も確保されていた。
慣れない言葉なので、覚えるのは正直大変だが、同じフレーズの繰り返しも多いため、ページ数の割に負担は少なかった。
出家するためには、両親から許可をもらう必要もある。
僕は申し込みをしてからだが、両親にも「出家しようと思っている」と話をした。
話をした時、両親は共に驚いたような顔をしていたが、幸いにもタイの文化(男性は一生に一度出家する。タイに住んでいた時、僕の同級生や、父の会社の同僚も出家したことがあり、出家式にも参列した。)に理解があったため、
「わかったよ。頑張っておいで」
と送り出してくれた。
ここから、僕の9日間の出家生活が始まる。
これから出家を考えている人や、日常生活に疲れてしまった人の助けになればと、Noteを書くことにしました。
もしよかったら、続きも読んでもらえると嬉しいです。