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沖縄の正月とプノンペンの博物館

正月になり、いろいろな理由で祖母の家に行くの面倒だなと感じて、なにか行かなくて良い理由を考えていた。

ふと、両親は(両親の)祖父母の家に正月に行っていたのか気になった。もし両親も今の自分と同様に面倒になって行っていないのだとしたら、私が正月に祖母の家に行かないことにも理解を示してくれるのではないかと思った。

少し期待を込めて父と母に「正月に祖父母の家に行ったか」と聞いたら、二人とも正月に祖父母の家に行った記憶はあまりないという。父方の祖父母、母方の祖父母と、父にも母にも4名の祖父母がいるが父は2人、母は1人にしか会ったことはないそうだ。

そこでハッとしてしまった。

忘れてはならないことだが、今から約74年前沖縄戦があったのだ。

私の曽祖父母(両親の祖父母)は沖縄戦があった当時20代〜30代ぐらい。戦争をもろに体験している。戦争の犠牲になっていた。

そしてそれは私の家庭だけではなく、多くの沖縄の家族が経験していることなのかもしれない。

当時の社会を担う層が戦争の犠牲になった。それは文化の分断をも引き起こすのかもしれない。


8年前東南アジアをバックパッカーしていた時にカンボジアへ行った。ベトナムのサイゴンから長距離バスで首都のプノンペンへと向かった。カンボジアの街を色々見ているとある違和感を覚えた。大人の男性をあまり見なかったのだ。

首都のプノンペンにあるトゥール・スレーン博物館に行ってその理由がわかった。もともと学校だった建物をポル・ポト政権は収容所として利用し、多くの人々が拷問を受け処刑された。現在では博物館として見学できる。収容所として稼働していた時は「S21」と呼ばれ、2万人近くが処刑されたという。

ポル・ポト政権下の1975年から1979年にかけての3年8ヶ月間で、約170万の人々が強制労働・病気・飢餓・拷問・虐殺で犠牲になった。当時のカンボジア国民の5〜4人に1人が犠牲になったことになる。
現在カンボジアの人口ピラミッドをみるとすごく歪な形をしている。

8年前は世界にはこんな残虐なことがあるのかと衝撃を受けたのだが、今は自分たちの身にも起きていたことだったのかと思う。

沖縄戦で亡くなった沖縄県民の総数は12万2千人以上。県民の4人に1人が亡くなったといわれている。

戦争という非人道的な行為によってその世代の命をごっそりもっていかれたのだ。


8年前私が訪れた時、トゥール・スレーン博物館の3階の部屋で沖縄県平和祈念資料館の紹介がされていた。つながりを感じた。


日本史世界史の教科書で勉強してると忘れがちなことだが、この教科書に載っていることは私たちが今生きている現実世界で起こったことなんだよな。

教科書を読むとき鳥の目とアリの目の様に、俯瞰して冷静にみることと「実際に現実世界で起きたことなんだよな。その上に生きているんだよな」と実感を持っていきたい。

会えることに感謝して祖母の家に行きました。平和に感謝!持続するためには!

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