下斗米伸夫『プーチンはアジアを目ざす〜激変する国際政治』(2014)
ロシア外交の東方シフトをポジティブに描き、クリミア併合が日本にもたらす影響を予測する。現在のウクライナ侵攻における「ロシア側の論理」を「理解」する助けにもなる。
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アメリカが「米ロ新冷戦」と対立を煽りつつ「旧西側諸国」の結束を図る一方で、東欧にも複雑な歴史があり、単純にロシアが悪いとは言えない。あるいは、少なくともフランスやドイツはそのように認識してロシアとの関係を重視している。
ウクライナは10世紀にキエフ・ルーシとして成立したが、モンゴルやオスマン、元はキエフ・ルーシの「分家」であるロシア帝国の支配下にあった時代が長く、独立国家であった期間は短い。1917年のロシア革命時に独立するが、間もなくソ連の一員として加わった。なお、このときソ連に加わったのは中部〜東部の現在でも「ロシア寄り」だと言われる地域で、西部ガリツィアは1939年になって初めてソ連に併合された。これに反発して「武装闘争同盟」という民族主義運動が育まれ、ソ連に対抗するためにナチス・ドイツと手を結ぶ。歴史的に、ロシアとウクライナ東部が「ナチスと戦った」ことを誇りにするのに対し、ウクライナ西部はナチスと手を結んでユダヤ人を弾圧した暗い過去を持つ。
2014年に親露派政権が打倒されたマイダン革命において、西部の民族主義者(≒ネオナチ)が主要な役割を担っていたことが、プーチンがゼレンスキーを「ネオナチ」と呼ぶことの背景にある。実際、その直後に起きたロシアのクリミア併合に対する国連総会の非難決議では、ふだんはアメリカと歩調を合わせているイスラエルが「棄権」した。
「ロシア寄り」とされる南東部の中でも、クリミア半島は独特の歴史的経緯を持つ。ソ連成立時は行政区分としてロシアに含まれていた地域だが、スターリンが合法的な手続きを経ずにウクライナに編入した。当時のソ連は法治国家ではないため、非合法な編入であったことがどれだけの意味を持つかは判断し難いが、もとはロシア領であったことを根拠にロシアへの編入を求める住民の主張は理解出来る。
なお、チェチェンをロシアに、南オセチアをグルジアに編入するなど、スターリンは民族を分断する統治手法をよく採用した。これが現在も続く民族対立の火種となっている。
こうした経緯に対する「旧西側諸国」の態度には濃淡がある。
ヨーロッパ、とりわけドイツはロシアと深い関係を築いてきた。そもそもナチス・ドイツの支配からヨーロッパを解放したのは米軍であると同時に赤軍でもある。さらにドイツは、東西統一の伏線として1960年代にはロシアとの間にガスパイプラインを敷設することを決めており、現在の深い経済的相互依存にはそうした政治的思惑も関与していた。クリミア併合後のドンバス地方での紛争を調停したミンスク合意では、第三者としてフランスとドイツが出席している。
一方で、東欧諸国とアメリカはロシアに対して厳しい態度を取る。ソ連の直接的支配を受けていたバルト諸国はもちろん、現在ロシアと距離が近い旧東側諸国はロシアに強い警戒心を持っている。そして、これらの国々からアメリカに移住した「東欧移民」がアメリカ社会で「東欧ロビー」を形成し、反ロシア世論を牽引している。1930年代のウクライナでの飢饉「ホロドモール」の際も、多くのウクライナ人がアメリカに移住したという。
これに対して中国は、反米パートナーシップという政治的思惑とシベリアの資源を巡る経済的思惑から、ロシアと親密な関係を築いてきた。そうして中ロ関係が厚くなり、専ら経済面で日中関係が厚くなる中で、東アジアのパワーバランスを回復するための日ロ関係の足がかりとしてプーチンが安倍元首相と進めていたのが北方四島返還交渉であった。ロシアは憲法上領土の割譲を認めていないので「国境確定交渉」という形で進められた。
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2022年2月のウクライナ侵攻以前に書かれた文章では、驚くほど「ロシアに理解を示す」論調が見られる。下斗米先生は恐らくその中でも顕著な方で、本書はクリミア併合直後に書かれたにも関わらず日ロ関係にポジティブな見通しを持っているようだった。
その後の8年間で、ウクライナは国民国家として成熟し、民族的統一を果たした。ドイツの新首相ショルツはロシアとの決裂を覚悟して対ロ制裁に踏み切った。日本は事実上アメリカとの関係を最重要視する姿勢を固め、中国やロシアとの対決姿勢を強めている。
ロシアの侵攻は「文明の衝突」を象徴する出来事であると同時に、リベラルデモクラシーを信奉する人々の結束を強めたという点では「歴史の終わり」で描かれた世界が現実のものとなる過程のようにも見える。