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note小説ショートショート『優等生』


  優等生

 

「優等生」という言葉の意味をデジタル辞書で検索すると、「成績優秀で、品行方正であり、多くの生徒の模範となる対象」と出てくる。さらには「真面目で善良な行いをするもの」やら「欠点がないものの、強い個性がない、面白味に欠ける存在」など、わずかな他意のある表現が多くヒットする。

 灰田優生《はいだ ゆうき》は、まさしくその鑑《かがみ》となるような男子生徒だった。

 本日、日直の担当だった優生はホワイトボードに残った文字をイレーザーで消しながら、後ろの席でたむろしているクラスメイトの女子たちの熱い視線を背中で受け止めていた。

 気にしない風を装いつつ、微かに耳をそば立てながら。

「王子系だよね」

 ハートマークが背中に当たって、コツン、と聞こえないはずの音がしたような感覚が走った。

「目の保養だわ~」

「爽やかイケメン最高……」

「一緒のクラスになれてよかったー」

 女子たちのガールズトークおよび男子寸評会の話題は、どれほど関心を持たないように努めても、なぜか耳に入ってきてしまう。それも、ひそひそ話であればあるほど、正確に聞き取れてしまうのだ。人間の耳は変なところで優秀である。

 もっとも、今言われているのは悪口でも嫌味でも何でもなく、正真正銘の褒め言葉だ。

 彼女たちは優生に、まごうことなき善意を向けている。

 だからこそ、感じてしまう。

 どこかヒヤリとする感覚。

 プレッシャーというべきか、心臓が緊張で少し軋むような、痛み。

 早く切り上げたくて、優生はササッ、と日直の仕事を済ませ、

「俺、先に出るね。教室の消灯、よろしく」

 後ろを振り返り、薄く微笑んで伝えた。

「ありがとー」「またねー、灰田《はいだ》くん」と女子たちは目にハートマークを浮かべてこちらに手を振る。そのハートマークはやたらと重くて、固くて、こちらに向かって石みたいにぶつかるのだ。

 教室を出た後、廊下を歩きながら、

(男子がいなくてよかった……)

 と、小心者丸出しの感想を持つ。

(いや、何か言われたわけじゃない。けどやっぱり、何となく、同性からの圧を感じる時が……)

 それ以上を考えるのはやめておこう、と結論を出し、優生は足を速めた。

 

   ⛅

 

 自分の顔が「王子」だと、自分自身で思ったことはない。ナルシストでもあるまいし、自分に自信もない。優生は背が低いわけではないが、特別高くもないし、スタイルが綺麗だと褒められこそすれ、では芸能関係者からスカウトされた経験があるかと言えば、まるでない、いわゆる「学校の世界での王子」止まりである。

 それでも教室という狭い世界では、立ち位置の獲得のために奔走しなければいけない。

 気がつけば、この現状だ。

 学校から帰る時、いつもどこかへ寄り道をしたくなる。ここではないどこか、誰の目も気にならない、一人の空間を確保できる場所を探したくなる。

 しかし、外の世界にその条件を求めるのは難しい。

 ふと目に入ったのは、偶然なのか、今の気分がそうさせたのか。

 優生は足を止める。

 タバコの自販機を見つけた。

 今どき、公衆の面前で、誰もが買えるような場所に建っているとは思わなかった。確かにこの街はサラリーマンの通勤通路でもあるのだが、それよりは学生たちが通る頻度が高い道である。

 何気なく、優生はそこに吸い寄せられた。

 タバコの味。

 とても、苦くて、けれど癖になると、ネットで見た。

 両親は吸わない人で、もちろん優生自身も自ら手を出すような真似はしない子だった。

 そのはずだったのだが、今回ばかりは事情が違った。

 この、胃の中でギュウッとした不快感極まりないイライラを、この大人の嗜好品が埋めてくれないだろうか。

 バレなければいい。

 誰も見ていない。

 そんな悪魔のささやきが聞こえ、優生は気づけば、適当な銘柄のボタンを押し、タッチセンサーにICカードをかざしていた。

 ポーン、と、やや間抜けな音がする。

 表示を見ると、見づらいデジタル文字で、

『未成年者のため、この商品を購入することが出来ません』

 と提示されていた。

 一瞬の間を置き、優生は安堵とも落胆ともつかない息を吐く。

「今の技術、すげえー……」

 かすれた声でつぶやき、ハハッ、と一人笑いのように一笑。気分もなぜか落ち着いたので、優生は自販機に背を向けて帰ろうとした。

 すぐそこの休憩用ベンチに座っている、見覚えのある派手なオーラを放つ美少女と視線が合う。

 優生はすぐに身をすくめ、顔を青ざめさせた。

(やべえ、うちのクラスのスクールカースト上位ギャル桃宮《ももみや》なつみだ)

 もしかしなくても、問題行動を一部始終見ていた可能性がある。いや、可能性しかないだろう。

 どう言い訳しようと、必死で頭の中を整理する優生にかまわず、桃宮なつみはじっとこちらを見つめ、

「……おっす」

 と、漢らしい挨拶だけをした。

 仕方なく優生も「……おっす」とだけ返す。

 相手の出方を見ようと、優生は身構えた。

 が、こっちの気持ちを知ってか知らずか、桃宮はゴソゴソと学生リュックを探り、「あった」と緊張感のない声を出す。

「やる? あんたも」

「……え?」

 彼女が差し出した、タバコ。

 ――もしかして。

 動揺を隠せず、目を白黒させてしまった優生を見て「あ、違う、違う」と桃宮は何でもなさそうに手のひらを横に振った。

「これね、チョコ。シガレットショコなの」

「……チョ、チョコ?」

「そ。おもしろいやつ売ってるなーって思って買っちゃった。愛用してるのよー」

 ケラケラ笑い、桃宮は大人の女性のように、本物の所作よろしくタバコ型のチョコを口にくわえ、ポキッ、と折った。

「そ、そうやって食べるのか……」

「おもしろいっしょ?」

 おもしろいかどうかは判断に困るところだ。

 が、優生のささやかな問題行動を、見なかったことにしてあげる意志表示なのかもしれない。

 安心しつつも、彼女から手渡されたシガレットショコという代物に、若干怯える優生は、

(なんて紛らわしい形なんだ……。ほぼ、そのまんま……。そのうちPTAから怒られそう……)

 と、わざわざしなくてもいい心配をする始末である。

 迷う優生と、チョコを嗜む桃宮。

 ふいに、彼女が目線を向け、口を開いた。

「――それ、疲れない?」

 放たれた台詞の意味。

 奥に含まれる、試すような視線。

 何が、と聞かずとも、優生は一呼吸置き、

「疲れる」

 と、言い捨てるように感情を吐き出した。

 それ以降は何も言ってこなくなった彼女と、同じく何も言うことを持っていない優生は、シガレットショコを口にくわえパリパリ音を立てて食べた。

 バリバリ、バリバリ、と。

 空気の匂いと、周りの雑音と、二人の間の密やかな距離感。

 外の気温は徐々に上がり始めていた。

 

   了

文字数3000字以内。

 続くのか続かないのかわからない……(;^ω^)。


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