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noteの位置づけ

 思い返すと小学生の時から日記をつけていた。毎日書いていないので正確にいうと日記ではないのかもしれないけれど。忘れたくて書いていることも、忘れたくなくて書いていることもある。自分にとって一番最初のセーフスペースだったのだと思う。喜怒哀楽何でも書くが、特に悩んでいることがあるとひたすら書き殴ってしまう。欲望も個人情報もダダ漏れで。そのせいで誰にも見られたくないものランキング堂々の第一位を譲らない。

 一方Twitterも好きだ。こちらは大学生になってから始めた。誰かに分かってほしかった。というのも自分の恋愛対象が(基本的に)女の子だということがいよいよはっきりするにつれて家族の言動がしんどく感じられたり、好きだった子に告白をしたり、友人にカミングアウトをしたりと他者との関わりが増えていったからだ。自分は一人ではないという実感が欲しかった。自分のつぶやきにハートが押されたとき、インターネット越しでもどこかあたたかさを感じた。

 日記が自分と向き合うものとするとTwitterは外の世界とつながるもの。

 となるとnoteは自分にとって何なのだろうか。と、ずっと結論が出ず、何も書けずにいた。でも書いてみたいなとふと思ったのだ。自分のためでも分かち合うためでもない文章を。

 何を書いたらいいのかはいまだによく分からない。でも、思い立ったが吉日なのでね。ちょこちょこ書き進めていこうと思うよ。



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