8月31日を「特別」な日にする
「特別」な日について
子供が生まれて初めて知ったことと言えば、特別な日の多さだ。
とかく、赤ちゃんには特別な日が多い。
まず、産まれた日が最も重要で、誕生日だ。多くの子供は、一つ歳をとるとお祝いされる。「今年も無事に過ごしたね」と。なんなら大人になってからもお祝いされるかもしれない。
それから、生まれてから7日目にはお七夜、31日目にはお宮参り、100日目にはお食い初めと続く。いずれも、赤ちゃんが健やかに育つように、といった願いが込められた風習だ。近頃は、ハーフバースデーの風習も欧米から輸入されたらしい。
他にも「特別」な日はある。赤ちゃんが初めて寝返りをすれば寝返り記念日となるし、初めて「ママ」とか「パパ」とか言えば発声記念日になる。ハイハイ記念日や、つかまり立ち記念日や、自立歩行記念日だって同様にある。ミルクしか飲まない赤ちゃんは豪華な食事がもらえるわけではないが、親はうれしくなって、ショートケーキの1つでも食べたくなるかもしれない。
ちなみに我が家では、赤ちゃんが初めて笑った日は「笑顔記念日」と制定されている。毎年祝うわけではないが、「特別」な日だ。
8月31日とはどんな日か
多くの小中高の学生にとっては8月31日は1カ月以上続く夏休みの終わりという点で特別な日だ。寒い地域では夏休みの終わりが少し短かったりするらしいが、世間的にも8月31日こそが夏休み最終日として理解されていると言っていいと思われる。また、多くの映画やアニメで描写される通り、学生は夏休みの宿題を片付ける日でもあると言えよう。筆者にとっても、小学生から高校生の12年間、8月31日は夏休みの最終日だった。ただし、筆者は夏休みの宿題は7月中に片付けてしまうタイプだったので、8月31日に対して宿題のイメージは持っていない。
小中高までの学校生活とはうってかわって、大学生の夏休みは8月1日から9月30日までとなる(大学にもよるだろうが)。すると、8月31日は単なる夏休みの中間の1日になる。夏休みの宿題を終わらせる必要もない。ある意味では、人生で最も特別でない8月31日かもしれない。
社会人になってからは、8月だろうが有給休暇を取らなければ長期休みはないから、8月31日は他の月末と変わらない日となる。ただし、一般的な会社員にとって月末は特別な場合がある。例えば、会社の経理の締め日があって、経費の申請をしなければならないかもしれないし、1ヶ月の営業目標を達成しなければならないかもしれない。社会人にとっては月末やら年末やらは忙しくなると相場が決まっていて、その文脈では8月31日も特別といえよう。
また、8月31日は語呂合わせから野菜の日として制定されている。農業関係者であれば、イベントに駆り出されたりもする。特別な仕事があるという意味で、特別と言ってもいいだろう。
それから、月末について個人的な話をすれば、ハマっているモバイルゲームのガチャが更新されることもある。しかも、月末更新のガチャは最高レアリティの提供割合が2倍の特別ガチャなので、月末以外の日よりも月末は優先してガチャを回すべきだ。
まとめると、社会人にとって8月31日とは、経費申請と営業目標と野菜の日とガチャ更新日といえる。少なくとも個人的には。
赤ちゃんと8月31日
我が家では、生後31日のお宮参りには夫婦でケーキを食べた。しかし、当の本人には日付の概念は認識できていないし、ケーキを食べられるわけでもないので別段喜んでいる風でもなかった。ケーキと一緒に撮った赤ちゃんの写真は、寝ているところを強引に起こされたからか、不機嫌な表情をしている。
一方で、笑顔記念日に撮った写真では、赤ちゃんはニコニコと笑っている。笑顔記念日だから当然だ。親として、最高にうれしい瞬間だ。
赤ちゃんは、産まれて初めての8月31日でも変わりなく過ごすだろうか。もしかしたら初めての8月31日が寝返り記念日になる可能性もある。たとえ親といえど、8月31日が赤ちゃんにとってどんな日になるかは予測できない。
2020年8月31日
新型コロナの影響で人々はいつもと違う夏を過ごしている。
学校に行けない学生、子供が誰一人として帰省しない親、病院に行けない病人、仕事が得られない職人、残業が増える看護師、生徒の顔が見えないままビデオ会議システムで授業をする教師、炎天下でマスクをつけて満員電車に乗る会社員、先輩社員と顔を合わせずに新人研修を終える新入社員、部下の様子を見ずに査定をする上司、経済再生担当と新型コロナ対策担当を兼務する大臣、体調不良で辞意を表明する首相。
テレビを見ていると政治家や芸能人が今年は特別な年であると盛んに発言する。たしかに例年と違う状況はある。それも、悪い方向である。しかし、全ての人にとって悪い意味での特別になることが決まっているわけではないだろう。誰にでも2020年の8月31日は一度だけしかない瞬間だが、良い意味で「特別」な日になる可能性もあるはずだ。
とある読書感想文
最後に、筆者の好む小説の冒頭を引用する。序盤は無料で公開されているので、リンク先をお読みいただきたい(ある種の界隈では割と有名で評価の高い冒頭部なので、ファンの方はリンク先へ飛ばなくてもどの小説かわかるだろう)。
めちゃくちゃ気持ちいいぞ、と誰だれかが言っていた。
だから、自分もやろうと決めた。
山ごもりからの帰り道、学校のプールに忍び込んで泳いでやろうと浅羽直之は思った。
実を言えば、本エッセイは上記小説の読書感想文として構想した。序盤の無料公開を機に久しぶりに再読して、感想を表したくなったのがきっかけだ。
この小説では、夏休み中ずっと山ごもりをしていた主人公が一念発起して、8月31日に中学校のプールに忍び込むところから物語が始まる。プールへの忍び込みがきっかけとなって、その年の8月31日以降は主人公にとって「特別」なひと夏になる。
また、小説の冒頭は8月31日だが、回想として挟まれる6月24日(UFOの日)も重要な意味を持っている。そもそも、8月31日は時点として存在するわけではない。8月31日は連続した時間の中の一区間に過ぎず、同様に8月31日の20時14分もまた連続した時間の中の一点に過ぎない。連続した時間の中で、いずれかの区間・時間が自ずと「特別」になりはしない。夏休みだの月末だのと、誰かが必要に応じて勝手に区切りをつけているだけだ。一般的には8月31日が夏休みの終わりだとしても、この小説が示しているように8月31日が夏の物語を始めるのに遅い日というわけではない。時間的な位置が原因で8月31日が自ずと「特別」になるわけではない。
筆者の個人的な状況は本エッセイの冒頭に書いた通りだか、偶然にも赤ちゃんと小説とを重ねて感じる部分があった。それは、小説冒頭の主人公のプールへの忍び込みと、我が家の赤ちゃんの「笑顔記念日」とに共通して、自らの行動が「特別」な日を生み出す原因になっている点だ。我ながらこじつけが過ぎると思う部分もある。おそらくなんとなく寂しげな晩夏の雰囲気にのまれてこじつけるように考えたのだと思う。
私は、些細な行動がきっかけで「特別」が生まれることに心を動かされる。個々の行動の内容に違いはあれど、その行動が誰も止められない衝動から生じているとき、行動そのものが感動的になる。夏休みの最終日に学校のプールに忍び込むことも、感情的に笑うことも、主体の衝動から生じる行動だから「特別」で感動的な行動だ。
ある視点から見れば、2020年は特別な年であり8月31日は特別な日なのだろう。しかし、個々人の主観から見れば、自らの内なる衝動こそが「特別」を生み出す源泉である。その行動は、きっと他人にも良い方向で「特別」を与えることができる。
8月31日が「特別」になることを祈って。
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