自分を縛り付けるもの
先日、九州へ旅行に行ってきました。
旅行中に、一緒に行った友達の、ある打ち明け話を聞きました。
内容は、夫婦関係・パートナーシップに関すること。
詳しいことはその子のプライベートなことなので書くのを控えようと思うけど、夫婦っていろんな形があるなって、ものすごく考えさせられました。
その子たち夫婦の事情や成り立ちを聞いていると、いわゆる男女の関係みたいなものではなくて、それよりも人間愛でもってして夫婦という形をとっている。
わたしの周りにはなかなかない夫婦の形なんだけど、お互いが納得しているなら、どんな夫婦の形だっていいよね、と改めて思いました。
「この先どうなるかはわからないけど、今はこの形をとっている」
とでも言わんばかりの、彼女の軽やかで潔い感じも素敵だった。
そんな気分を残したまま、ドラマ「西園寺さんは家事をしない」の最終回を観ました。
最終回がまたいいお話で。
共感できる会話がたくさん繰り広げられていました。
その中でも、
価値観はいろいろで、国や時代によって変わってしまうもの。
だから、僕らが当然と思ってるものは、一部の地域のその時代にだけ当てはまる小さな当然なのかもしれない。
というような内容のセリフがあって。
ものすごく共感したし、いつだってこのことを忘れちゃいけないって思いました。
価値観って、国によって、時代によっても違うけど、育ってきた環境や、過ごしてした環境、接してきた人たちによってすごく影響を受けるものだと思います。
だから、自分の価値観が全てではないし、他人の価値観で自分を測られるのも違っている。
だけど、握っている価値観はいつの間にか絶対のルールになってしまっているし、気付かぬうちにそれに縛られていると、苦しくなってしまう時がいつかやってくる。
握っている価値観をものさしにして他人を判断するし、自分も窮屈にさせる。
こんなことしていたら周りともうまくいかないし、自分との関係だってうまくいかない・・・。
だから価値観って、できる限りどんどん手放していくといいって思っています。
「〇〇すべき」
「こうあるべき」
「〇〇してはいけない」
こんなのたくさん持っていたら、苦しいだけ。
自分の望みが湧いてきた時に、世間の価値観に合わせて
「そんなのダメでしょ」
なんて悲しすぎます。
もっと自由に、枠を取っ払って。
自分のしたいことをさせてあげる。
価値観という枠を外していったら、もっと自分らしく生きられると思うし、周りにだって優しくなれると思うんです。
わたしも握ってきた価値観をだいぶ手放してきたけど、
「まだこんな価値観握っていたのねー」なんてこともしばしば。
これからもより自由になるために、握りしめてきた価値観を粛々と手放していこうと思っています。
ポノ
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