旅がわたしを強くする。【卒業旅行記 in ヨーロッパ・モロッコ】
大学卒業間近の1か月。
ヨーロッパとアフリカを卒業旅行でまわった。
学科の友人とフランスとドイツを巡り、その子とは解散。
イタリアを経由して、部活の友人とモロッコで合流し、モロッコ国内を旅した後に帰国する、というスケジュールだった。
色々なハプニングがあり、忘れられない旅になった。
旅の幕開けは大雪と
旅のはじまりは、成田空港。
その日は一年の中でもトップレベルの大雪が降っていた。
「出発が遅れます」というアナウンスを聞き、一時間待ち、二時間待ち…「今日は無理かな?」と思ったところで機内に行けることになった。
機内に入り、ホッとしたのも束の間、なかなか出発しない…と思っていたら、機内食が出てきた。
「わーい♪でもいつ出発するんだろう?」と思いながら機内食を食べ終わると、結局今日は飛行機が飛べないとのことで、飛行機から降ろされた。
全員に寝袋が配られ、空港のソファで一泊することになった。
飛行機は翌日の同便に振り替えられ、翌日はその時間まで自由時間となったため、空港近くの酒々井アウトレットパークに向かった。
アウトレットでは特に何も買わずに、近くのスーパー銭湯へ。お風呂に入って、漫画を読んでソファでダラダラして、至福の時間だった。
そんなこんなで空港に戻り、この日は無事出発。
パリに無事到着したのであった。
初めてのフランス、ドイツ
シャルルドゴール空港に到着し、フランスとドイツをまわるヨーロッパ観光が始まった。
パリは見どころがたくさんあって、楽しくて、永遠に「オ〜シャンゼリゼ〜♪」と歌っていた。そこからドイツ方面に向かうとまた違う文化圏であることを感じさせる街並みが広がっていた。
ドイツでは体調を崩し、友人を一人で観光させてしまった…。
そんなこともあったが、フランスとドイツの旅は、楽しく美味しい思い出がいっぱいの旅になった。
イタリアに帰る
ここで友人とは別れ、列車で一人イタリアへ。大学三年生の時に留学していたので、二日間くらい立ち寄ることにしたのだ。
ただ体調を崩していて、あまり楽しめず…。写真も全然撮っていなかった。
友人と話している際に海を表す単語の”mare”が出てこなくて、「言語って使わないと本当にさびれてくのね…」と思った記憶がなぜか一番強く残っている。
アフリカはモロッコへ
この旅で一番覚えているのは、やはりモロッコだ。
なにせ人生初のアフリカ大陸、ドキドキしないほうが無理ってもんだろう。
モロッコの空港で日本から来た友人との合流に成功し、二人で町へ向かった。
モロッコで洗礼を受ける
まず、タクシーでぼったくられた。
詳細は覚えてないが、お支払額が「意外と高いなぁ」と思っていた。ホテルに着いた後にガイドブックを見たら、通常の3倍〜5倍かくらいの金額を支払っていた。
英語が通じなくて、フランス語もベルベル語もわからない日本人の女子二人なんてたしかに恰好のカモだろう。モロッコディルハムの相場も着いたばかりで分かっていないし…。
その後も、別のタイミングでホテルに向かう道中、イラッとした思い出があって。
夜、ホテルに向かっていると急に若い男子が出てきて、「持ってあげるよ」と無理やりスーツケースを持とうとする。
「いや、大丈夫だから!」と言っても勝手に手を伸ばしてくる。
結局ホテルまで着いてきて(私たちのスーツケースに両手をかけながら)、着いたら手のひらをこちらに差し出してくる。お金を要求しているわけだ。
日本から来ているとはいえ、こちらはしがない大学生。もうヨーロッパも旅してきてるし、そんなにあげるお金もないのよ…!
「いや頼んでないから!」と戦うも、向こうもねばる…。
その時の宿が日本人宿だったので、何事かとオーナーさんが出てきてくれたものの、「出すしかない」という感じだったので、渋々お金を渡したのだった。普通にちょっと怖かったし。
でも、楽しかったモロッコ旅行
そんな海外ならではのプチトラブルを味わいながらも、初めて見る景色ばかりのモロッコ旅行を満喫した。
旅の締めはサハラ砂漠
モロッコ旅行の最後には、サハラ砂漠ツアーに参加。
日本人宿から申し込んだので、日本から来た素敵な皆様が旅の仲間だった。
山道を越え、バスで砂漠へ向かう。道中、雪が降っているとかで約5時間の立ち往生をした。
それでも夜中に砂漠の入り口に到着した。
あたりに灯りが一切ない暗闇の中、「誰にも連絡をとれていない私たちのお迎えは来ているんだろうか…?」と不安だったが、無事現地のガイドさんと合流することができた。あの時の安心感といったら。
いざ!ラクダに乗って砂漠へ
翌日、ラクダに乗って砂漠のテントへ向かう。
ラクダはそれぞれ紐に繋がれ、みんなで一緒に進んでいく。
初めて見たラクダは思っていたより大きく、動物感があって、少しビビる。
ビビった結果、参加者唯一の男性が最初にラクダに乗ることになった。が、なんと!乗ろうとしたらラクダが嫌がり、男性は振り落とされてしまった。
ここで参加者一同は更に腰が引ける…が、その後は誰も振り落とされることなく、無事約2時間のラクダとの道のりが始まった。
砂漠には意外と草が生えていて、驚いた。
それにそもそも、めっちゃくちゃ寒い!なんとなく暑いイメージを持っていたけど、2月のモロッコは寒かった。
満天の星空に、青空トイレ
この日はテントに宿泊。モロッコ定番のタジン鍋などを食べ、食事の後にはガイドさんが歌をうたってくれた。なんて素敵な時間なんだろう…。
テントにはトイレがないため、みんなこっそり青空トイレ。日本から持参したトイレットペーパーを持って、暗闇のなか、用を足すのである。
ちなみにこのモロッコ旅行で、トイレが丸見えなホテルに泊まるなどして、気を張っていたのか、私は1週間便秘になってしまい、おなかがパンパンで本当につらかった(笑)青空トイレでは別の緊張感もあって出なかったんだろう…。
💩って大事なんだなーと学んだ旅でもあった。
それから、砂漠の夜は視界の隅々まで星が輝いていて、最高に綺麗だった!(写真がなくて残念)
などと色々な思い出を作りながらも、砂漠を満喫した。
トラブルにはじまり、トラブルに終わる
と、楽しかった砂漠滞在について書いたが、話はここでは終わらない。
むしろここからが一番記憶が鮮明な部分なのである。
この砂漠滞在は私の卒業旅行の最終行程だった。
バスでカサブランカまで行き、朝8時頃に空港に到着し、12時頃の飛行機で日本へ帰国する予定だった。
夜中に出発し、私たちは眠りについた。
やはり日本のような快適なバスではないので、2時間に1回くらい目が覚める。
目が覚めると、「あれ…さっきと景色が変わらない…?」と、暗闇の中だが異変に気付く。降りしきる雪の中、雪山を超えるのに問題があり、バスがなかなか動かなかったのだろう。
「ま、寝てれば動いてるかな」とうとうとし、また目を覚ますと、同じ場所にいるではないか…。
「いよいよこれはやばいぞ」と飛行機までの時間を計算し始める。
刻一刻と過ぎていく時間。動かないバス。寒い車内。
少し動いては止まり、少し動いては止まり…。
気づけば帰りの便にはもう間に合わなくなってしまった。
このヨーロッパ・モロッコの卒業旅行で、私はポケットWi-Fiを一切持たず、ホテルとカフェ等のWi-Fiのみで乗り切っていたため(友人も同様)、日本にも連絡がとれず、「あ~親は心配するかもな」と思いつつなすすべもなく、ただただバスに乗っていた。
雪が降るほど寒いモロッコで、バスには空調がなく、とにかく寒かった。手も足も冷え、防寒具はバスの下のスーツケースの中に入っていて、取り出すこともできない…。
そして周りはフランス語orベルベル語で何を言っているかもわからない…。
食料は小さめのプリングルスのサワークリーム味のみを持っていた。
これを早々に食べ終えていた我々のおなかは、ただただ空いていく一方だった。バスに乗るときは食料を持っていた方が良いと学んだのはこの時だった。
謎の果物を持ったモロッコ人が車内に乗り込んできて、私たちに分け与えてくれるという出来事もあり、よくわからなかったがモロッコ人の優しさにおなかも心も救われた。
そんなこんなで、カサブランカについたのは、出発から25時間後。
8時間の予定が、25時間…。後にも先にもこんなにバスに揺られたことはなかった。
もちろんホテルなどとっていないので、おろされた場所の近くにあったホテルに急遽部屋をとり、二人で宿泊することに。
もう街中のお店がやっている時間ではなかったので、人生で初めてルームサービスを注文。このご飯のおいしかったこと、おいしかったこと…。
そしてようやくWi-Fiをつなげることができ、日本に連絡することができた。親の声を聞いたらじわっと涙が出てきた。
飛行機は振替が可能なのか分からず、電話の問い合わせ窓口も対応してくれない時間だったため、「明日空港に行って確認しよう」と決めてこの日は就寝した。
最終日、カサブランカ空港にて
翌朝、空港に行き、これからヨーロッパをまわる友人とはここで別れた。
そしてエミレーツの窓口に行き、バスの遅延により昨日の便に乗り遅れたことを相談する。窓口の方が調べてくれたものの、格安航空券サイトから予約していたので、振替等はできなかつた。
(これ以降、航空券は航空会社のページから直接予約するようになった)
振替不可は覚悟していたので、今日の同じ時間の便を予約させてくださいと依頼。
しかし…クレジットカードが使えず、チケットを買えなかった。
クレジットカードは2枚は持って行っていたが、大学生ということもありどちらも利用上限が10万円程度で、これまでヨーロッパ・モロッコと旅行していたため、約10万円の片道航空券(往復と同じくらいするんだよなあ…)は決済できなかったのだろう。
なすすべのない私は、一度窓口から退散し、近くのソファに座った。
そして、涙が止まらなくなったのであった。
ここはアフリカのモロッコ。私には所持金がなく、カードも使えず、知り合いもおらず、「もう一生カサブランカ空港で生きていくのだろうか?」というおバカな思考が頭に浮かんできて、昨日のバス車内での不安な気持ちや航空券が買えなかったという事実が心を追い詰めていた。
日本人っぽい人を見かけ、「帰国したら返すので航空券を買ってください」と頼もうか…。などと考えるも動けず。
この時日本は夜明け前だったと思うが、日本に連絡をしたら、親が出てくれた。そしてクレジットカードの情報をもらい、オンラインで航空券を予約することができた。連絡に気づいてくれてよかった…。映画みたいに、もう一生カサブランカの空港で生きていかなきゃいけないかと思った。
こうして無事本来の出発日から一日後の飛行機にて、日本まで帰ることができた。
思えば一日遅れで始まった卒業旅行は、結局一日遅れで幕を閉じたのであった。
ちなみに、ドバイでの乗り継ぎは走らなきゃいけないくらいギリギリで、私自身は無事日本に着いたが、成田でいくら待ってもスーツケースが届かないというおまけ付きだった。
(このロストバゲージの件は、それ以外のトラブルが多すぎて忘れていたが、この間親に言われて「そんなこともあったな」と思い出した。)
旅がわたしを鍛えてくれた
沢山の思い出ができたこの卒業旅行を、私は一生忘れないだろう。
モロッコの旅行があってから、未知すぎる場所はガイド付きツアーで行きたいなと思うようになった。
だが、今年2月に夫と行ったペルー旅行は、ガイド同行のツアーだと安くても80万円以上はしたので、「高すぎぃ!」と思ってしまい、結局個人旅行で行くことにした。
「南米も、何かトラブルが起きるんじゃないか…」と少し警戒しながら行ったら、交通事故に遭い、夫婦二人で体調不良になり、ナスカの地上絵では吐き、電車の遅延もあり…とまあそれなりにトラブルが発生した旅になった。
でも、大変な思いをしたからこそ、忘れられない旅になる。
結局思い出すのはトラブルのことが多く、いい思い出になるし、土産話も盛り上がるし、何より旅を通して強くなれた気がするのだ。
異国の地でトラブルに遭えば、自分でなんとかするしかないし、現地の人とコミュニケーションをとる必要があるから言語力も鍛えられるし、心もタフになる気がする。
どんな風にコミュニケーションをとって、とっさのタイミングでどんな風に行動して問題を解決するか。そんな胆力が大事になる。
この卒業旅行の後は、「モロッコでバスに25時間閉じ込められて、日本に帰れなくなりかけたんだから、このくらいのトラブル大丈夫だ!」と少したくましくなった。
旅の魅力
トラブルが起きる可能性があっても旅に出るのは、旅を通して知らない世界を知れるから。
世界には様々な価値観があって、言語・歴史・文化があって、色んな暮らしをしている人がいる。
旅の経験を通して、世界が広がり、ちょっとだけ強くなれるのが、結局私は好きなのだ。だからまた、トラブルを警戒しながらも、まだ見ぬ場所を見に行くのだろうと思う。
最近、世界では悲しい出来事がいっぱいあって、いつ行きたい場所に行けなくなるか分からない。
「いつか行きたい」は叶えられる時を逃さず、かなえていきたい。
そしてこれからも広い世界を知って、ちょっと強い自分になって帰って来たいと思っている。