語るように歌う、楽器のような人
久しぶりに、ルーリードの曲を聴きました。時折、どこかで耳にしたり、小説に出てきたりして、思い出すと聞きます。今回は、息子が聞いていたので、共有しているApple Musicの履歴にルーリードのアルバムがあったのがきっかけでした。
私が、幼い頃から私が洗脳したのもありますが、大学3年生の息子とは、音楽の趣味が合います。彼は、70年代ロックが好きで、デヴィッド・ボウイ、イギーポップなどの渋めなチョイスをします。デヴィッド・ボウイに関しては、シンパシーを感じているようで、今や、私より詳しくなっています。
そして、本題のルーリード。
ご存知ない方のために、簡単に説明すると、ルーリードは、’65〜’70年代、NYブルックリン出身、知的で前衛的で、ボブディランと並ぶロック歌手です。語るように歌うのが特徴的です。
なんとも言えない、気だるい感じが心地よい歌声です。凡人には決して真似できない、カラオケなんかで絶対に歌えない。かっこいいんです。
若い頃、初めて聞いた時には「ルーリードの歌は、こういうものだ」という認識しかしていませんでした。でも、最近、改めて、その凄さに感動しました。
ライブバージョンのアルバムで、曲紹介をするためのMCで少し喋る部分があるのですが、それがもう、歌と同じトーンとリズムなんです。歌と喋りの境目がない。喋りも、まるで「歌」。
そう感じた時に、若い頃は、単に「かっこいい歌い方だな」と思っていたのが、ルーリードそのものが、楽器であって「彼の口から出てくるものは、全てメロディー、全て音楽なのだ」と思っていた以上のかっこよさに気づいたのです。
ボブディランもそうですし、パティスミスも同様。あのかっこよさは、本人そのものが楽器だということからくるのだと。
彼らの崇高さが、やっと理解できた感じがしました。
語るように歌う彼らは、一見「え、これは歌なの?」「語りなの?」と思わせる部分もあり、普通にわかりやすく歌の上手いと言われる人と比べると「歌が上手い」と言われることが少ない気がします。もちろん、比べること自体、野暮ですが。
でも、実は、普段しゃべっている時から、すでに、本人の意思に関係なく、すでに歌ってしまっている、口から出るもの全てが歌になってしまう彼らの方が、ナチュラルボーンシンガーであり(そんな言葉があるか分からないけれど)最高に歌が上手のじゃないかと感じました。
ちなみに、私が好きな曲は、ありきたりですが、Walk on the wild sideと
Sweet Jane(バンドThe Velvet Underground時の曲)です。
よろしければ、お聞きください。
Walk on the wild side
邦題「ワイルド・サイドを歩け」が昭和っぽくていいですね。
Sweet Jane こちらは2パターン添付。
イントロがなんとも言えなくロマンチックで好きです。
Lou Reed バージョン
Cowboys Junkies バージョンのSweet Jane。また違う形で、歌声が、天に昇るように心地よくて素敵なので、こちらもよろしければ。