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見えないものを見ようとして

突然天井から何か白いものが落ちてきた。それは小さな羽虫だった。
すると3秒後ぐらいに、空きペットボトルが大量に詰まった袋が落ちた。ぶら下げられていたドアノブはもう我慢の限界だったのか。

目に見えない粒子が伝わって、全く別の物に影響を及ぼすみたいな、量子力学みたいな話(間違ってたらごめんなさい)。
あるいは偶然とか引き寄せとか、そんな言葉ですませたくないことは時々ある。
非冒険的な生活をする私のことだから、それはもっぱら読書の中でだけど。

スマホで調べ物をしていてたまたま出てきた、意味の知らない印象的な単語が、スマホを閉じて読みかけの本を広げたら出てきたとか。
外国の詩人の名前がそのまま題名になった歌を毎日聞いていたら、活字の中の三島由紀夫がその名前を語りかけてきたとか。
ちょっと気になってた舞台(結局行かないことにしたけど)の作家が、とある小説の注釈に出てきたとか。

そんなこと、小さい頃はなかった。
ここ数年、特に実家を出てからだ。偶然の産物を見つけるようになったのは。

Aという行動をしなければ見えなかったBが見えるようになる。
それはもしかしたら、何の意味もない毎日にわずかにも意味を見出したいからかもしれない。
それか、その偶然を神がかり的なものだと思い込んで「このまま今を生き続けていっていいんだよ」と、自分の力及ばない大きな何かに導かれているのだと、そう思いたいからかもしれない。

子供は迷わないから、そんな風にすがりつかなくて良い。

見えないものを見ようとする。
Aをする時に、そんな意識はない。ただ何も考えず、何となくAをする。
でもそれは、元を正せば「見えない何か」を欲する人間の本能から生まれる行動。

「行動」自体、何かの結果を求めるものじゃないか。見えないものが見たいから、人間のすべての行動があるのじゃないか。

そんな考えなくても良いことを考えたきっかけが、バンプと関係のない所で「Ray」というワードを見つめた、今日の昼休憩だと思い込んでいる。

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