初めまして
noteを書き始めてまだ5日目です。
皆様が自己紹介をきちんと書いていらっしゃるので、ここで私の自己紹介をさせて下さい。
幼い頃から、父の書斎に閉じ込められ、3歳の時から勉強と言う教育虐待を受けておりました。
きっかけは、私が自分の名前を書いてみたい、
そう父親に言ったことで、書けるはずのない文字と言うまずひらがなを教わった時、書けない私に怒りのスイッチが入った父親のこぶしがスローモーションのように私の目の前に広がり、そして真っ暗な深淵に突き落とされるのを自分で呼び込んでしまった事が始まりです。
痛みは忘れましたが、恐怖でお漏らしをしたのを鮮明に覚えていて、恥辱的で幼いながら男性の性と言うものに嫌悪感を抱き、後に解離性障害と診断され、矛盾した人格や様々な人格に翻弄され生きてきました。
殆ど父の書斎という牢獄に閉じ込められ、父は殴り蹴るだけではなく、性的虐待をする事で怒りが収まり、私に何度も謝るという繰り返しに、生きる希望を与えてくれたのは、本でした。
有名な本は、殆ど読みました。
初めて取り出した本は夏目漱石の文学集で、全く面白くなく隣にあった芥川龍之介の本は面白く、夢中で読みました。
ロジカルな思考の本より、場面が想像できる様な本が好きでした。
印象深い本のみ感想を書きます。
芥川龍之介は後にエゴイズムという人間が誰でも持つ題材として教科書にも出てきます。
誰でも知っている羅生門。だったと思います。
芥川龍之介の作品は仏教的な要素と、深い闇を感じさせる天才的な文章でありながら、簡潔で子供の私にも読み易く、何度も読みました。
その後、川端康成を読み、少女に対して異常な執着を感じ、綺麗な文章なだけに情景の中に溶け込み自分を重ねてしまい気持ち悪くなり、読むのを止めました。
いつしか、古文も読めるようになり、古事記、面白かった今昔物語、父の書斎にあった本は、私を救いました。唯一本棚にある世界だけが私の人格形成に繋がり生きる希望を何とか保っていました。
本を読み漁り、一番心に残ったのは、久米正雄の受験生の手記でした。何とも言えない歯痒さと、
これは、今の社会でも大いにあり得る事で、皆それで悩むのではないか、そして夢も希望もない若者たちを象徴するかのような、いつの時代も輪廻し何の主義の文学でも、ここに辿り着くのでは無いでしょうか?※あくまで私の見解です。
私にとってその無常観が主人格の殆どを占めています。
それが様々な人格で形成されていく経験の過程より、本で読んだ物が現実感という色で彩られていく人生を書いていく事で、機能不全家族が与える影響、現代に在るたくさんの名前のついた精神的な病をメインに、どうしたら憎しみは赦せるのか、自分を取り戻せるのか、深い闇の深淵に追いかけられる事がない安心感に辿り着けるのか、留めて置こうとnoteを始めました。
やり方がまだよくわからないので、少しずつ覚えていきます。
私を他のblogで知っている方は引き続きどうぞ宜しくお願い申し上げます。