ドリームジョブだったプロ野球チームのアナリストを辞めて、スタートアップに移籍した話
はじめに - 退職エントリなんて書く日が来ると思ってなかったけど
年明けからファインディというスタートアップで広報+データ分析の仕事をすることになったのですが、
その際社長に「記者など外部の人との関わりが多くなってくるから自己紹介のnote書いたらどうですか?河村さんの経歴ユニークだし」と言われ、まぁ確かにFacebookに退職報告した時もそれなりに反響あったし、
転職活動時や社内で1on1やってる時にも多くの人が自分の経歴を面白がってくれたなーなんて思ってました。
ということで自己紹介も兼ねてこれまでのキャリアを振り返りつつ、なぜファインディに入社したのか自分なりにまとめてみました。
高校時代 - マネーボールと楽天とホリエモン
小学3年で始めた野球だったが、到底プロになれるような実力はなかった。そんな折、球界再編が起きてライブドアと楽天のプロ野球参入合戦が行われた。これを見た当時高校生の私は、「起業して資産家になれば球団つくれるのか!?」と本気で思ってた。
今思えばそんなはずはないことなんて秒でわかるが、この当時の想いが仕事に繋がるんだから未来は分からない。
また、ITの持つ力・将来性を感じたのもこの辺りが原点かもしれない
そして時を同じくして「マネー・ボール」の日本語版が出版される。ブラピ主演で映画になったので、ご存知の方もいると思うが、簡単にいうと貧乏球団のオークランド・アスレチックスがデータ(セイバーメトリクス)を駆使して、ニューヨーク・ヤンキースなどの金満球団に立ち向かっていく話。
主人公は今も現役GMのビリー・ビーン。
GM:GMはさまざまな会見で積極的にメディアに登場する球団の顔でもあり、球団を統率するカリスマ性、経営感覚、契約更改やトレードにおける交渉力、選手の能力を見極める眼力、種々のデータを分析する統計学的センスなど総合的な能力が求められる。 wikipedia参照
その際、これまでの伝統や感覚を大事にするスカウト・監督・選手(とメディア)から猛批判を浴びながらも信念を持って取り組んだ結果、見事地区優勝を果たす(2002年の勝利数はMLB全体トップだった一方選手年俸総額が下から3番だった)
野球選手でなくても、野球チームに直接関わる道はある
感動のあまり当時のクラスメイトや野球部の仲間に本を宣伝するとともに、「将来はMLBでGMやる!」なんて言ってた。
大学時代 - コンサルへの憧れと挫折とITコンサルへの道
今思えばいわゆる意識高い系()だったと思う。学業にしても語学にしても別段何の強みもないのに
東大経済学部の同窓会組織である「経友会」に所属し、外銀・コンサル合同セミナーというイベントを主催したりしてた。
今でこそ立派なホームページを作り数々のイベントを主催する団体だが、2010年当時はそうした取り組みはほとんどされておらず、ほとんど1からイベントを作る段階だった。
だから各企業の人事にアポ取ってプレゼン資料持っていって卒業生に登壇して欲しいんです!とか言って営業する一方、意識高い学生が参加するインターンの選考にひたすら行きまくっては参加者のメアド(今ならLINEかFBなんだろうけど)聞いてはメルマガ送って集客したりなんてことやってた
そして迎えたイベント当日。なんと当日は台風が接近して大荒れ・・・もはや誰も来ないんじゃ・・・と思っていたが、
蓋を開けてみれば経済学部で最も大きな教室が2階席まで人で溢れる大盛況企業側の満足度も概ね高かったようで、以後多くの企業・業種がイベントに参加してくれるようになった。
前置きが長くなったが、コンサルを志すきっかけはこのイベントにある。
パネルディスカッション方式で複数の登壇者にコメントもらう際、業種によっては事前に伝えた制限時間を大幅オーバーしたり、質問と少しずれた答えが返ってくることもあったが、
コンサルタントのコメントが最も端的で的を得たコメントのように感じた。
これをきっかけに戦略コンサルを目指した就活に力を入れる
そんな中運よくアクセンチュアのインターンに参加できた。
だが、ここで現実と向き合うことになる
内容について詳細は省くが、わずか4日で企業の課題抽出から提言までをまとめてプレゼンするというのはものすごく難易度が高かった。
2人1組のチームだったし、チームメイトがめちゃくちゃ優秀だったのは助かったがそれでもキツかった。
課題抽出と言われても業務のこと業界のこと何も分からないので、そもそもどこから手をつけていいか分からない。ある程度課題を見定めても実行できるのか分からない。(当時ITの知識は皆無)
最終日のプレゼンは睡眠時間1時間とかでヘロヘロになりながら、なんとも言えないプレゼンをしてたように思う
また、当日他のチームのプレゼンを一通り見たのだが、すごーくキレイにまとまっていると思う一方「これって実現出来んのか?」と疑問を抱くこともあった(得てしてそういうプレゼンが評価されてた)
この経験を踏まえ、業務・IT系のコンサルを考えるようになる
自分の能力では、業務やITがわかんないといい提案が出来そうにない。また、企業のトップに提言するような仕事よりも現場に近いところで一緒に改善に取り組む仕事の方が性に合いそうだと感じた。
結果的に業務コンサル・ITコンサル(ここ)でキャリアを開始
ITコンサル時代 - エンジニアとクライアントに挟まれ・・・
入って最初の研修(ていうか内定式の直後から)JavaとSQLの本を渡され、これまで全く未経験のプログラミングを学ぶことに。public static voidってなんやねんとか思いながらも少しずつ慣れていくもオブジェクト指向がさっぱり分からず・・・。
それでも見様見真似でなんとかアプリ開発研修は終了
(こういうのをきっちり作れる)エンジニアってすごいなと思った
業務では、コールセンターのシステムやCRMシステムの要件定義から仕様調整、進捗管理、テスト計画、データ移行設計、リリース後の運用支援と幅広く経験出来た。その中で以下のことにやりがいを感じ、なんとなく得意領域になっているように感じた。それは、
システムのことがよくわからないクライアントと業務のことがよくわからないエンジニアの間をいい感じにつないでミスマッチを無くすこと
具体的には、以下のようなこと意識していた(まぁ言うは易し、行うは難しなんですけど)
・クライアントが何気なく使っている業界用語や社内用語を一般的な言い方に置き換える
・システムで対応せずとも業務の工夫で対応できるとこは業務で対応
・画面遷移やデータの流れまで意識して要件固める
・特にエンジニアに仕様を伝える時には実現したいことを明確にする
その後いろいろあって別のコンサルに移って順調にコンサル人生歩んでいた(はず)ところ、人生を大きく変える出来事が起きる
(ちょうどこの頃結婚したのも人生を大きく変える出来事だったが)
横浜DeNAベイスターズ入団 - 夢にまで見たマネーボールの世界に!
ある転職サイト経由でスカウトメールをもらったのは、ある夏の日のことだった。普段ならスルーするのだが、球団のロゴが見えたので思わず二度見した。そして、開けて驚いた
事業側でなくチームに関わる人材募集のご連絡
そんな求人あるんだ・・・!率直にそう思った。
起業して資産家にならなくてもマネーボールの世界に行ける!
そこからは早かった。応募して面接の繰り返し、海外スカウトの元広島カープ打点王のルイス・ロペスとの面接ですごく舞い上がっていたのを今でも時々思い出す。
新婚の妻は反対した。
・まだ今(2社目には)1年しか勤めてない
・給料が下がる(その時点では大して下がらなかったが)
・休みがなくなる(土日休みではない)
まあ当然と言えば当然だ。でもせっかく掴んだドリームジョブだ。ここで諦めたらじいさんになった時まで愚痴り続けるぞとか訳のわかんないこと言って、押し切った
トラックマン・BlastMotionとの出会い - ITでチームを強くする挑戦
ベイスターズに入ったのは2015年のオフだった。ちょうど中畑監督からラミレス監督に代るタイミングだった(そしてラミレス監督が退任する2020年オフに私もベイスターズを去ることになる)
ベイスターズに入ってすぐは、事業本部でマーケティング・システム企画の仕事もやりつつ、海外スカウトのサポート業務をしていた。
そんな折、トラックマンというシステムがベイスターズで本格的に導入される。
ボールの回転数・打球速度などを計測できるレーダーで今やNPBでも当たり前のように活用されているが、当時トラックマンを導入していた球団は楽天・ソフトバンク・DeNAのみ。MLBでは多少実績はあるものの、前例のない取り組みだったのは確か
当時マーケティング戦略がうまくいき、観客動員は順調に増えていたものの、チームはまだ弱く12球団で唯一クライマックス・シリーズ進出を成し遂げていない球団であった。
これをデータ活用によって打開しようとしていたのだ(というと言い過ぎか)
そこで、担当者として私が割当られた。何に使えるか検討した上で、チームへの導入・浸透を推進する役割だ
今でこそだいぶ変わってきたが、野球界は極めてアナログで、感覚・経験が物を言う世界だ。硬式野球未経験の若造がすんなり受け入れられる訳も無い。まして、これまで彼らがやってきたことを否定するものと受け取られかねないものだ
そこで、私はまずチームの人々に受け入れてもらうことを目指した。話はそれからだろうと。
具体的には、チームにおけるITの御用聞きをした。
PC、iPad、社内システムで何か困ったこと、不明点・改善のアイデアあればとりあえず河村に聞けばいいと言うブランディングを確立した。
時にはコーチのiPadにDAZNアプリをインストールしてアカウント作成までやったりとか、slackを導入する時はスマホを貸してもらってアプリインストール、ログイン、通知設定のアレンジまでやった。
ある選手のiPhoneでメール受信の不具合を解決したこともある
そうしてチームにいることに誰も違和感を持たなくなってきたくらいでいよいよトラックマンの導入に取り組む。
事前に大学の研究者に一通りレクチャーを受けた後にはなるが、
まずはひたすらインタビューすることにした。
GM、監督、コーチ、選手、元選手のスタッフに対して、
・いいストレートとは?
・いい変化球とは?
・逆球はなぜ悪いのか?
・インコースに投げれないとだめなのはなぜか?
といった野球人なら誰もが感覚として持っていることをとにかく深堀りして聞いた。幸い一応(軟式だけど)野球部にはいたし、プロ野球の試合は毎年100試合以上は球場かテレビで見ていたのである程度仮説を持った上で話が出来た。
そうして話をする中でふと「この話はトラックマンのあの項目とリンクするぞ」というのがわかってくる。
そこから話を始めていく、するとそれまでは
「ボールのキレなんて見ればわかる。球速以外に特段数値は不要」
と言っていた人達が、
「昨日の試合でXXは5回までは球来てたけど、6回から急に落ちたように見えたんだ。トラックマンで何か出てない?」
と反応が変わる。そうなればあとはひたすらアウトプットだ
最初の1年は人力でスプレッドシートやエクセル使ってグラフなど出していたが、有効性が球団にも認められてシステム開発して社内システムに乗せることになった
書いてしまうとあっさりしたものだが、こうした取り組みを1軍で1年・2軍で1年やってようやく徐々に浸透するようになってきた。
今ではほとんどの投手が自身のボールの特徴を数値で語れるし、自分のスマホで毎試合ごとの映像・データを見て振り返りするようになっている
もう一つやったのはブラストモーションだ。
バッターのスイングを数値化・可視化するツールである
MLBでアストロズなどが積極的に取り入れたことで有名になった。今ではMLBの大半の球団と日本の一部の球団にも導入され、
マイナーリーグの試合や日本のイースタン・リーグ、フェニックス・リーグの一部試合では使用が許可されている
野球において投手は主体的に動ける。投手が投げないと試合が始まらないからだ。そのため投手は比較的データを見る習慣のある選手が多く、トラックマンの浸透もさほど大変ではなかった。
一方、打者は受け身である。投手がどんなボールを投げるか分からない中で対応しないといけない。自ずと己の技術と感覚で勝負する傾向が強くなる。
そんな彼らに数値化・可視化が刺さるのか、少々不安はあった
まずはファーム(2軍)の若手に試してもらった。人により多少好き嫌いはあるものの、概ね評価はよかった。そこで、1軍にも導入しようということになった。2018年のことだった
とはいえ、シーズン中にいきなり導入するのは難しい。
そこでシーズン後の秋季キャンプをトライアルの場にした
2月にある春季キャンプは開幕1軍やレギュラー争いを意識したピリピリした雰囲気で行われるため、新しいことをいきなり導入するにはハードルが高い。一方秋ならばシーズン終了直後で、選手は比較的リラックスして自身の課題に集中して取り組みやすい。
私は、秋季キャンプ前日の宿舎での食事会場でラミレス監督の横に座り、ブラストモーションの紹介をし、これを是非このキャンプでトライアルしてみたいと伝えた。すると
「これは素晴らしい。現役の時にこれがあったら3,000本ヒットを打てた」
※ラミレス監督は外国人選手で最多となるNPB通算2,017安打を記録
@YDB
監督が絶賛となれば、話は早い。キャンプ初日に選手全員を集めたラミレス監督は、キャンプの目的や期待することを話した後、私を呼んで全員の前でブラストモーションの説明をさせた。その上でこう言った。
「本キャンプではブラストモーションの使用を義務化します」
こうしてブラストモーションの導入は進められた。実際活用をしていくには打撃コーチや選手の理解も重要だが、監督がその価値を信じ、数値を気にしてくれたのはありがたかった。
そのキャンプ中や春季キャンプではことあるごとに、監督は私を呼び止め、「今数値がいい選手は誰だ?」とか「XXの数値は先週よりよくなってると思うが、どうだ?」と聞いてくれた。
チームの躍進とR&Dグループの誕生 - IT/データ活用がチームに浸透
2016年にベイスターズは3位になり、球団史上初のクライマックス・シリーズ進出を果たす。翌2017年は3位からの下克上で日本シリーズに進んだ。2018年は4位に終わるも、2019年は終盤までジャイアンツと優勝争いを繰り広げ2位に。2020年も開幕当初優勝候補として名前があがるようになった(結果は4位)
徐々にチームの戦力が上がってきたのに合わせて、IT/データ活用の取り組みも進んだ。当初私1人でやっていたところに、RやPythonが書けるデータサイエンティストが入ったり、甲子園出場経験がある上で、バイオメカニクスに精通したアナリストが入ってくれるようになった。メンバーが増えたので、R&Dグループという部署も出来た。
最初は、私が他のメンバーのオンボーディングを担っていく形だったが、徐々に独り立ちしてくると私の役割はITのインフラ整備・トラブルシューティングに変わっていった。
監督・コーチ・選手・スタッフのIT/データに対する理解も深まり、自走出来るようになっていた。そうした中で2020年を迎える
転職を決意 - コロナ禍をモロにうける中で人生を考える
それは春季キャンプから帰ってきてからすぐのことだった。コロナ感染拡大の影響でプロ野球開幕延期、練習は自主練、スタッフはリモートワーク
いつ開幕するかも分からない不安な状況は皆あったと思う。ただ、そんな状況でもそれまでやっていたIT化が役に立つ。
練習場にはネットワークカメラが完備してあるので、練習はそれを見ればコーチはリモートでも指導できる。会議はZOOM、普段のやりとりはslackでできる。
参考:DeNAが『YDB三種の神器』をフル活用してリモート指導を実践中!
苦労してIT導入してよかったなと思った一方、もはや自分がいなくても回るようになったなとも感じた。
また、同級生の話を聞いた時に、コロナであってもリモートワークが進まない大企業がある一方でDXを急速に進めて対応した例もあると知った
そして思った
これまで自分がやってきたのは野球界のDXでは?そして、これは他の業界にも横展開できるのは?
ファインディ入社 - エンジニアが活躍する社会を目指して
転職活動を開始し、最初はDXコンサルやITの大手企業をみていた
そんなある日、転職サイト経由で一通のスカウトメールが届く
ファインディ社長の山田さん(@yuichiro846)からのメッセージだった
そこで
・「テクノロジードリブンな事業成長を増やす」
・エンジニアと企業の間のミスマッチをアルゴリズムで解決する
という点にすごく魅力を感じ、コンサルとして1社ずつDXするよりもファインディにいってサービス広げた方が幅広く・効果的にDX推進できるのでは?と考えるようになった。
その後、山田さんの他、3名(@ma3tk、@kaacun、@y_ougi)の方とじっくり面談をした。
どの人と話してもすごく想いや考えに共感できるし、何より純粋にいい人達だなと感じた。
それ以上に、オファーをいただいた際、私のことをかなり高く評価してくださっているのが伝わったし、今後私がやりたいと思っていることを全面的に肯定し、サポートしてくれそうだと思ったのが大きかった。
入社して1週間経ち、多くのメンバーと1on1したりしましたが、今のところすごく可能性を感じる組織・サービスだと思うし、人がホントに良い!
将来はデータ分析ができる広報からのFindyのサービスや想いを伝えるエバンジェリストになれたら良いなと思ってます!
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