泳ぎ、痛む
身体が怠く、右の腹が時々痛んでいた。例えば、家で昼寝をしていて、仰向けから左へ寝返りをうつとき痛んだ。それはギギ、というドアのきしみのようだった。ある時はスーパーで夕飯の鶏肉を選ぼうと腰を折っている時、刺されるようにちくりと痛んだ。ある時は、テレビで自殺をした男について取材した番組を見て、その理由を考えようとした時に、鈍く痛んだ。ある時は、わき腹をつつかれたと思い、振り返ったら誰もおらず、痛みだったことに気づいた。
思い返してみると、最初に症状があったのは年始で、もう一ヶ月近く気怠く、痛みが現れ続けていた。身体の怠さは動けなくなるというほどでもなかったが、自分の感覚とは別の何かにゆすられ、常に乗り物に乗っているような、自分の手には負えないまとわりつく感覚があった。腹の痛みも、それが理由で動けなくなるということこそ無かったが、次第に痛みを理由に外に出ることや、知人と会うことが億劫になっていた。二つの症状は、このまま放っておいても特に支障はないような気がしたが、ある日気が向いて、病院に行くことにした。
小さな雑居ビルの2Fに病院はあった。2Fに上がるためのエレベータは点検中の張り紙があったから、重い扉を開けて、非常階段を上った。非常階段の踊り場にはすりガラスがあったが、隣のビルの陰で薄暗く、蛍光灯の白いあかりは、ほこりっぽく光っていた。憂鬱な灯の中を進んで、階段を上がり切った。
「ああ、なんでしょうねえ」と医者は言った。「もし、心配なら、大きな病院でレントゲンを撮ってみると良いでしょう。紹介状を書きますから」と続けて言った。「まあ、痛みも大したものではなさそうだし、怠さもねえ。ここまでこれるくらい動けてるし、熱もない。町の医者で見られるのは、そんなところですよ」医者は診察した時間よりも長い長い時間をかけて、カルテに丁寧に文字を書いた。
病院を出て、コンビニでお茶を買おうと、レジまで持っていった。150円。財布小銭を指でかき分けているとき、ちょこんと腹が痛んだ。「あ、ちょうどお預かりします」
翌日紹介された病院へ電話をすると、1週間後に来て下さい、と言われた。電話を切ったとき、何かを忘れているような気がしたが、思い出せないまま昼寝をした。腹をけられたような気がして目が覚め、周りを見渡したが誰もいなかった。カーテンを開けて外を見るともう夜になっていた。
一週間が経ち、病院に行った。平日だったからか、待合室は広くガランとしていた。「5分ほどで呼ぶので、待っていてください」と受付で言われた。ソファで待とうと向かった矢先、視界の端に映った、隅の小さな水槽があった。近づくと、青い背景の水槽は、薄暗く、ブラックライトで光っており、深海を思わせた。どうなっているのかわからなかったが、水の動きはあるのに、音が全く聞こえず、無声映画を見ているような感覚になった。無音は広大で孤独な宇宙や星空を思わせ、水槽の中を見ていると、周囲の音は水に溶け込み、水槽の泡になって散るような気がした。
泳いでいる魚の一匹が、ポンプの作る水泡を食べている。泡が下から次々に現れ、つつくと割れた。泡が顎を撫でるのが心地よい。次に次にぼこぼこと出てきた泡を口に含んだり、突いた。そういえばさっきから他の小魚が周りを駆け回っている。右に周り、左に周り。見つからないように海草の中に隠れる。彼はどこに行ったか、砂利の中か。ゆっくり下へ下へもぐり、身体を隠す。隠れた目の前の石から、上へ向かって泡が次々に登っている。目で追って行くと泡の向こうに、ぼうっとした魚が、泡を突いていた。彼はそうしながらどこかを見ている。そのさらに向こうを見ると、巨大な穴と二つの目があった。たしかに目玉だった。ならば穴は口だ。巨大な、何かの。生き物の顔だ。魚ではない。誰の、何の、何のための、顔。私の顔。N?、Nさん?
「Nさん、1番へ」
診察室に入り、説明を聞いた。ある病気の可能性があるから、レントゲンを撮るとのことだった。部屋に案内され、レントゲンを撮った。そのあと診察室に戻り、医師の結果を聞いたが、レントゲンに特に異常は見られなかった。そのあと血液を採った。容器に溜まっていく血は、赤いというより黒かった。思っていた鮮やかさとはほど遠い、鈍い色だった。
「来週また来院してください。血液検査の結果はその時お知らせします」
1週間後に血液検査の結果を聞いた。調べた値は全て基準値だった。「お腹ですからね、消化器系の専門医に聞いたんです。でも、どうも分からないと」と言った。
「ところでストレスなどはありますか?」
一ヶ月後、私は精神科医と話していた。「なるほどね。それじゃあ、薬をとりあえず出します。並行してカウンセリングを行いましょう。きちんと効果が出るのは、数ヶ月後かもしれないし、数年後かもしれません。またふとしたことをきっかけに、変わるかもしれないし、何も変わらないかもしれない。しかし、治るかどうかは重要ではありません。あなたのその症状を中心に、いやその周辺に関することについて考えてみましょう。強制はしません。あくまで自然に、とういことです。私ができることは、あなたの症状及び、あなたについて考えるヒントを、考えるヒントを考えるヒントを考えるヒントを考え」
カウンセリングを隔週で受けるようになっていた。あるカウンセリングの帰りに、鍼治療を見つけて施術してもらった。「すべてはイチですね。悪いのではありませんからね。少しずつ、ずれたもの、その違和感を取り、取り除くのですね」
次の週はお灸をし、その次の週は気功術をし、その次の週は瞑想をし、漢方を飲んだ。
3か月が経とうとする頃、痛みに変化が起こっていた。毎日、痛む場所が変わるようになっているのだった。朝目が覚めるたびにそれは分かった。目覚めてその場所が痛むというわけではないが、そこに痛む予感がする。その部分はある日は腰のあたりであり、ある時は足の親指付け根であり、ある時は両耳の裏側で、予感がした日のどこかで、その部分がたしかに痛んだ。そして、それはだんだん腹から遠ざかるようになっていることに気づいていた。
ある時、指の先端よりもその先が痛むような気がしていた。その時指の先にあったのは、ベッドのシーツのしわになっているところであった。その日は、外に出ていても、シーツのそのしわがずっと気になっていた。昼下がり、歩きながら、中々思い出せない歌詞の続きを考えているとき、確かに痛みがあった。何度も私とともにあった痛みの一つだとすぐに分かった。ただ、それは今、歩き考えている、私のどの部分でもなかった。ベッドのシーツのシワ。確かにそこにある痛みであった。そして、私の一部である痛みであることに、間違いはなかった。
私はその、私とは関係のない痛みが愛おしくなっていた。痛む場所も、痛む時も朝の予感を忘れている限り、分からない。しかし、それは私の身体の一部であり続け、私の身体だった。そのうち、もともとの身体の一部が痛むのは時々になり、5カ月が経つころ、街のいたるところに私は痛みを延長していた。街を歩けば、様々なところにそれを見つけた。小学校の窓、ハンバーガーショップの店員の帽子、電車の塗装、自転車のサドル、月、パチンコ店の音。女の頭、男の性器。煙草の吸殻。青信号機。池で泳ぐ亀。パンのカス。どこにでも痛みがあり、痛みがあるところに実態があった。それは既に私の一部になっていた。私が街になり、私が街になった。ビル群が、歩く人が、ポールや交通標識が、地面のシーツが折り込んでできたシワに見えた。ベッドのシーツから延長した、大地のシーツは私と繋がり、私の延長だった。
ちょうど最初に病院に行った頃から、6カ月が経っていた。私はいつもの通り、痛みを見つけに歩いた。そして、ふと思いついて、以前行った総合病院へ向かった。もちろん予約の電話はしていなかった。ただ、魚を見たくなったのだ。毎朝、目が覚めるたびに、痛む予感がするたびに、あの時の水槽を思い出した。魚が見ていた泡。魚が感じた、こそばゆい泡の痛み。そこにも泳いでいる気がした。しかし、病院の前まで来ると、「休診日」とあって、自動ドアが開かなかった。冷静になって、周りを見渡すと、すぐ近くの花壇から崩れているコンクリート片があった。それを両手に持つと、ずっしりとした重みだけが手にあったが、触覚などの細かい感覚が消えていた。いや、ずっと前から感覚はなくなっていた。何を持っていても、何を見ていても、何を聞いていても、感覚が、遠くの物のようになっていた。そこら中にちらばっている痛みだけが時々、私の一部となってかかわり、通り過ぎていくだけになっていた。それは、最初にあった気怠さが、大きくなり続け、街を覆ってしまったからだった。
持ち上げ、振り下ろす。持ち上げ、振り下ろす。ゴツゴツのコンクリート片は、しっかり持つこと。感覚が薄れている分、手から離れないよう、入るだけの力を込めて握り、持ち上げて、振り下ろした。何度目かで自動ドアのガラスが割れて、残りは手で引き裂いて、急いで病院の中に入った。中は薄暗かった。室内の完全な清潔さによって、不気味さが増していた。水槽が、院内まで広がっているみたいだった。隅まで急ぎ、水槽に近づいた。何度か振り下ろしたコンクリートを持つ手が、鈍く痛んでいた。手が切れて、血が滲む。はっきりとした痛みが手のひらにあった。目の前に、これほどまでに冷たい痛みがある。病院の冷たい空気が肌に触れ、鼻から肺に移り、口からでていく。一つ一つに手触りがあり、全てが今目の前に感じられる。身体は軽く、気怠さが全くない。血が滴る温かい手で、無声映画の水槽を撫でた。
水槽には魚が丁寧に泳いでいた。右へ、左へ。壁が現れると旋回した。この間よりも、不自由で退屈に見える。もっと自由になるべきだった。自由に宇宙を飛べばいい。土の中を呼吸すれば良い。この短い水の流れから。生命のサイクルから。様々な退屈から。落としていたコンクリート片を拾い上げた。氷のように冷たく感じるコンクリートだった。力を入れすぎないように水槽へ振り下ろすと、今度は簡単に割れて、瞬間に水が溢れた。私はあわてて弱い彼らが落ちないように両手を差し出し、水を受け止めた。私の痛みが落ちないように、自由になる瞬間の、始まりを見届けようとした。何匹か魚が落ちてしまい、跳ねた。私はそれらをつまんで手のひらに乗せた。苦しいだろうか。水槽の水が手のひらの傷口に注ぎ、手が冷たく感じた。手のひらにあったものも、冷たくなっていた。ひんやりした空気が降りている。そこに泡となって溶けたのかもしれない。
赤い血だらけの手のひらで、小魚が身体をくねらせて生きようともがいた。