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ある日、とつぜん心臓が半分に 〜 今、生きている! 〜

医師からつげられた衝撃的なことば


「あなたの心臓は半分になってしまいました。」

集中治療室でようやく意識がはっきりとしてきた私に医師から言われた言葉です。

「えっ?それで先生、いつごろ心臓はもとにもどるんですか?」

酸素マスクからでるシューシューという小さな音と同じくらいの、か細い声を絞り出して尋ねると、

「残念ながら心臓は一度壊死(えし)すると、もとにはもどりません」

先生からの返事を理解するには、多少の時間がかかりました。

もとにもどらないって。。
半分の心臓で人間って生きられるの?
あとどのくらい生きられるんだろう?
とつぜん、心臓が破裂しない?

いろんな疑問と不安がまだはっきりとしない頭の中をぐるぐると巡ります。。

急性心筋梗塞になった日


還暦を迎えた2021年、夏のうだるように暑かった日。
私は急性心筋梗塞になりました。

はじめはなんとなく左肩の後ろが痛むなぁという感じだったんですが。。

30分後には胸の耐えがたい痛みに変わってきたので、たまたま近くにいた女将の ’にいな’ に助けを求め、そのままタクシーで病院へ。

手に持っているバスタオルがぐっしょり湿るほどの発汗。
痛みはいっこうにおさまりません。

病院に着くやいなや、そのままストレッチャー(病人やけが人を乗せる台車)に乗せられ手術室に運び込まれました。

「心筋梗塞です!これからカテーテル手術で手首からステントをいれます!」

先生の声がニトログリセリンと麻酔でぼんやりしている頭の遠くに聞こえてきます。

「えっ?心臓の病気だったの?俺が?」
「心臓なのに手首からってどーいうこと?」

何のことだかよくわかっていませんでした。

今の医療技術ってすごいです。

なるべく身体に負担がかからないように、手首から心臓までカテーテル(血管などに挿入する医療用の細くて柔らかい管)を入れていって、心臓の患部にステント(血管などを内側から広げる器具)をいれるんですから。。

部分麻酔なのでカテーテルが身体の中をとおっていくのもわかります。

三途の川も、お花畑も、お迎えもなく。。
2時間弱の手術のあいだ、もうろうとした意識がずっとありました。。

手術終了そして無事退院


「無事、手術が終わりましたよ」

先生の声が遠くで聞こえたとたん、安心したのか崩れるように意識がなくなりそこから覚えていません。

手術室から集中治療室に移されたあとの3日間は私にとって、人生で一番つらい地獄のような日々でした。

サラリーマン時代に、重い耐火金庫の扉でおもいきり指を挟んでしまったときの痛みより、
20年前に参加した座禅の接心会で、今も背中に残る傷をおった警策(きょうさく)の痛みより、

今回の3日間はつらい時間でした。

血管拡張剤が私に合っていなかったため、締め付けられるような頭痛と、胃がひっくり返るような吐き気がひんぱんに襲ってきました。

4日目にようやく症状がおさまって一般病棟にうつることができた後、1カ月間のリハビリを経て無事退院。
3カ月間の自宅療養となりました。

難しい手術を行っていただいた医師の先生、どんなに大変なときもいつも笑顔で優しく対応していただいた看護師のみなさんに心から感謝です。

今も生きている!


急性心筋梗塞発作を起こして救急車で搬送された人の生存率は60%で、35%は病院到着前に死亡、5%は院内で死亡するそうです。

私の場合、発症から1時間以内に手術を受けたにもかからわず、冠動脈が詰まってしまったので心臓の半分が壊死する重症でした。

酒もタバコもやらないし、野菜大好きでいつもトマトジュース飲んでたし、揚げ物などの油類や暴飲暴食も控えていたのに。。。
身長177cm、体重は70kg台で、痩せてはいないけどそんなに太ってるわけでなかったし。
自分が心筋梗塞になるなんて夢にも思っていませんでした。

でも個人事業でやってる小さな宿って、衣食住が一緒でほとんど運動しないんですよね。掃除っていってもそんなに運動にならないし。
心筋梗塞発症前の数ヶ月間は特にパソコン作業が多かったし。

それに地方に住んでると、すぐそこまでもほとんど車で移動してしまって歩く機会が少ないんです。

これが原因かな?って今思ってます。

やっぱり、一日少しでも適度な運動が大切。
これ、ホントに大切だと痛感してます。

幸い発症から4カ月たった今も、私は生きています。

食事制限も厳しくちょっと動いただけで息切れするけど、休み休みスローに生活すれば何とかこれからも生きていけそうです。

ひと昔前だったら、今ごろ私はここにいなかったんだろうなぁ。

最近、ようやくいつも見慣れた鞍月用水沿いの小道をゆっくり歩けるようになりました。
太陽の陽射しをきらきらと水面に反射させながら水が流れていきます。

観光客が増えてきた近江町市場、お洒落な人が行き交う金沢の中心街「香林坊(こうりんぼう)」

手術前と同じように、車やバスが道を走り、人々が楽しそうにショッピングをしています。

何のへんてつもない日常が、一生目に焼き付けたくなるような大切な想い出のように感じます。

「生きている!生きている!」

すべてが新鮮に感じる一瞬です。

ある日突然心臓が半分になってしまいましたが、新しい命をいただきました。

心筋梗塞になって変わったこと

18年前、ミャンマーで得度して僧侶体験をするときまで失敗して職を変えながら、

「自分は一体何がしたいんだろう?」
「自分の天職は何なんだろう?」

ということをずっと追い求めていました。
いつも充実して生きられないもどかしさを抱えて。

しかし僧侶体験をしてから

「本業は自分でいいじゃないか」
「どんな仕事をしていようと、ありのままの自分を深めながら今を大切に、他の人に対してプラスとなる存在でいたい」


と思うようになりました。

そして今回、心筋梗塞を経験して

たとえ自分がやりたいことがわからない人も、
今の仕事が自分に合っていないと思っている人も、

食事をしているときや、散歩をしているとき、親しい人や家族と団らんしているときなど、普段の何の変哲もないような一コマ一コマに他の人と比べないで幸せを感じられること。

これって、シンプルだけど生きていくのにとても大切な基礎なんだと身体に染みて感じらるようになりました。

これからもこの感覚をずっと死ぬまで忘れないで生きていきたい。

さぁ、また新しいスタートだ!



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ポンギーまさき@金沢ゲストハウスPongyi代表
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