「魂で生きるにはどうしたらいいんですか?」~ミャンマーの高僧に聞いた一言~
杖の高僧に聞いた心の底からのことば
「魂で生きるにはどうしたらいいんですか?」
ミャンマーで僧侶体験をしていたときに、心の底から絞り出すように杖の高僧に聞いたことばです。
そのとき私は絶望の日々の中にいました。
40歳で離婚し最愛の娘とも別れ、
銀行員を辞めて役員として就いた新しい会社も上手くいかず、去ることになりました。
もう何もかも閉ざされてしまったかのような人生でした。
ある日本人ミャンマー高僧の講和を聞きに岐阜県まで出かけたときのこと。
杖をついた高僧から「お前、坊主にでもなってみるか?」と問われ、ミャンマーで僧侶体験することを決心したのです。
僅かな貯金もアジアの子どもたちに寄付し、何もかもゼロになって臨んだ異国の地での僧侶体験。
2004年の秋。43歳のときでした。
ずっと心にあった ' 虚無感 '
その日はタイル張りの大広間に10人ほどが集まり、杖の高僧の前に座ってお話を聞いたり質問したりしていました。
日本は肌寒い季節ですが、ミャンマーでは肩を出した薄い法衣でもほんのり汗ばむ暑さです。
得度式(*)を終えたばかりで、剃った頭が青々としている新米坊主の私。
*得度式(とくどしき):僧侶になるための儀式
まだミャンマーの暑さに慣れず、疲れでボーッとしてしまうのをこらえながら杖の高僧のそばに座って話を聞いていました。
ひとしきり、集まった人の質問が終わったあと、
杖の高僧から
「もう質問はないか?」
との一言が。
しばし、沈黙の時間が流れます。
境内の遠くのほうから、お坊さんたちのお経を練習する声が聞こえていました。
「本当にもうないのか?」
気がつくと、杖の高僧が突き刺さるようなまなざしで私を見ているではないですか。
いっぺんに目が覚めました。
そうです。
杖の高僧は、これまでずっと私の心のすき間にあった「虚無感」を見抜いていたのです。
「魂で生きるにはどうしたらいいんですか?」
とっさに口からでてきたのは、
’ 充実して生きたい! '
と願う、私の心の底からのことばでした。
「まさきの頭をハンマーでかち割ってやれ!」~杖の高僧からのことば~
「誰か、ハンマーを持ってきて 'まさき ' の頭をかち割ってやれ!」
それが杖の高僧の答えでした。
何も考えず、頭を前につきだしたのを覚えています。
もちろん、本当に頭をハンマーでたたけという意味ではありません。
エゴや執着、プライド、他人との比較であまりにも凝り固まった私の頭を、「誰か手伝って壊してやれ」ということだったのかと思っています。
それまでの私は、宗教や精神世界、心理の本をたくさん読み、ワークショップやセミナーにも参加して「自分のこころを埋めよう」としてきました。
でも、私の場合、どれもその直後にはわかったように感じるのですが、数日経つとまた元に戻ってしまうのです。
ノウハウじゃない。五感とハートの体験!
私の凝り固まった頭を崩したのは、
クタクタになるまで奉仕活動をした' 体験 'でした。
ミャンマーの僧侶体験では、毎日の瞑想の他に、
杖の高僧が行っているNPO活動で、貧しい村の人々に支援物資を運ぶ手伝いもしました。
暑い日射しの中、ホコリまみれで重い米俵を担いだり、
翌日配る支援物資を袋詰めするために、夜遅くまで作業したり、
生活が苦しくて自分たちが食べられないはずなのに、我々に食事や果物をだしてくれようとする村人に感動したり。。
朝から晩までの力作業。
毎晩、疲れて倒れ込むようにゴザで寝ていました。
頭であれこれ考えている余裕はありません。
損得抜きにハートで行動するだけで、ノウハウもありません。
サラリーマン時代とは違ったクタクタ感でした。
身体を使った奉仕活動と、静かに座る瞑想を通してガチガチに固まっていた頭の中が少しずつ溶け始め、
「自分を精一杯生き抜いて、他に対して少しでもプラスになる生き方をしよう!」
と思える自分になっていました。
今まで知識を頭につめ込むことで心のすき間をふさごうとしてきましたが、
反対に、頭をからっぽにすることで自分を感じられるようになってきたのです。
「私は、私」でいいんだ!
薄れたとはいえ' 虚無感 ' は、僧侶体験を終えて日本に帰国したあとも私の心に残っていました。
でも、
ある日突然でもなく、なにか特別な方法でもなく、
少しずつ少しずつ。。
いつの間にか気がついたらなくなっていました。
僧侶体験をしてから、
「まず動こう!」
「やってみよう!」
を心がけました。
そうしたら、ひとつひとつが繋がって道が開けていったのです。
ミャンマーからほぼ無一文で帰国して、
ボロい中古車で全国キャラバンして、ミャンマーグッズを売ろうとしました。
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それが小松の過疎村に移住してのNPO活動につながりました。
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NPOの事務局が過疎村から移るときにNPOを離れ、
東京にもどらず石川県で 昼、夜、働きました。
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そうしたら、スーパー銭湯の社員になることができました。
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少しの貯金ができたので、ふと思い立ちゲストハウス(宿)をやることにしました。一人でやろうとする自分をたくさんの仲間が手伝ってくれました。
NPOの過疎村での経験がなければ、私はゲストハウスをオープンすることはできませんでした。
以前の私だったら、ノウハウ本ばかり読んでいたと思います。
ノウハウ(方法)は大切です。
そして、いろいろな本を読んだからこそ体験が生きたのだと思います。
ただ、
そう思います。
熱いお湯の熱さは、手を入れた者にしかわからないですものね。
あのときの杖の高僧の答えは、ノウハウではありませんでした。
頭だけで考えているのではなく、自分が五感で体感することが大切。
そうしていたら、
知らず知らずのうちに、エゴや執着、プライド、他人との比較が溶けるように減っていたのです。
そして、こんな私でも、あんな私でも、
と思える自分がいて、あの ‘ 虚無感 ‘ がなくなっていました。
精一杯、生き抜く!
コロナでこの2年間、宿のお客さまが激減している中でのこと。
昨年、心筋梗塞になり心臓の半分を失ってしまい、
それまでのように身体を動かせなくなってしまいました。
健康第一の小さな個人事業の宿では致命的なことです。
でも、このようなことがなければNOTEをやろうと思わなかったと思います。
精一杯生き抜こうと思います。
私にあの虚無感はもうありません。
「魂で生きるにはどうしたらいいんですか?」
今もあのときの蒸し暑い大広間でのひとこまが鮮明に思い出されます。
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🛏 ポンギーまさきの宿はどんなとこ?↓