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ジャッジせずに生きられるか──多様性を考える
「チームの強みというのは、端的にいえば多様性です。」山極寿一
(『「言葉」が暴走する時代の処世術』127頁)
誰をも否定しない、もちろん自分のことも否定しない。
どんなに嫌な奴だって生きていていいとしないと、自分なんか秒で殺される。
「汝、殺すなかれ」
なぜジャッジをするのだろうか。
それは本能、生きる術の一つなのか。
私たちは、毎瞬間決定している。でなければ、次の一歩が出ないからだ。めんど
友人Aと友人Bと3人で会うとする
友人Aと友人Bと3人で会うとする。
そのときに、友人Aが私とAしか知らない(友人Bだけが知らない)ことを話し始めるのは、なぜだろう。
いつも困る。Bが除け者にされるようだから、私はわざわざBになんのことか、事細かに説明する。AはBにも伝えたいのか、それとも単に私とAだけの話なのか、わからない。
後者の場合、Bにも聞こえているんだよ。その責任はあなた(A)がとってくれなくては困る。それなのに、私が
人が集まると、いつも考えてしまう
会が終わると、そこにいた一人ひとりの気持ちになって、それぞれが楽しめたかどうか振り返って考えてしまう。
自分がいちばん信頼できる人をないがしろにするの、そしてその会でのゲスト的立場の人を気持ちよくさせようとするのをやめたい。
もっとみんなが楽しくなる方法はないものか。
考えすぎている気もする。
わたしなんかがバランサーになれる訳がない。それでも、やってしまう。
人が多ければ多いほど楽しめない。
どれだけあなたが格好よく見えて周りから言い寄られることになろうとも私はあなたの為にそのスーツに一番合ったネクタイを選ぶわ。それが私にとってあなたを愛しているということだから。
「遊んでくれて、ありがとう」
一昨年のお正月。
祖母の家に、親戚らが集まった。
いとこの子ども(4歳・女性)に誘われ、カードゲームなどで一日中、遊んだ。大人だから、遊んであげたのだ。
その子が帰るとき、ほかの親戚らは玄関まで見送っていたが、私はめんどうくさくて、奥の部屋で、一人ぼーっとしていた。
すると、その子はわざわざ私のところまで来て、
「きょうは遊んでくれて、ありがとう」
と言ったのである。
その瞬間、遊んで
「私、つまんないもん」
またまた、映画『男はつらいよ』(第15作寅次郎相合い傘)から考えてみよう。
かの有名な「メロン騒動」で、寅さんとリリーは喧嘩をする。
実家とはいえ、居候の身の寅さんのワガママぶりに、リリーは正論をぶつける。バツの悪くなった寅さんは家から出て行ってしまう。
その後、仕事に出かけたリリー。
帰り道、最寄駅に着くと大雨で、傘がない。
そんなところに、大きな傘をさして待っている寅さん。
リリー「
あなたは、どちらを助けますか?
ある人の話である。
その人はバツイチ・子持ちで、再婚した。
新しい相手にも子どもがいて、二人の親になる。
たとえば、自分の子どもと、相手の子どもの二人と一緒に遊園地に行く。
二人は喜びのあまり、入口ゲートまで走る。
そのとき、二人が同時に転んだとしよう。
さて、あなたは、どちらを先に助けますか?
その人の実母は言った。
「二人の子どもが同時に転んだら、自分の子どもを後回しにし
「お父さんもポンコツだったな」
先日、大学の友人(新郎)の結婚式に出席した。
新郎は、サークルの後輩で、仲の良いグループの一人だ。彼はどちらかと言うと、イジられ役で、みんなのアイドル的な存在である。
チャペルに登場した際には、そのタキシードの似合わなさ具合から、感動より先に、自然と微笑みがこぼれてしまった。
私たちは、いつも彼をイジっていた。天然で、論理的に話すことが苦手な彼。でも憎めない。
本当はプライドが高いはずのに、自