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もうすぐ今日が終わるのに気がついてあわててかいている。 10月7日からもう一年。音楽祭でのテロが起こり、まだ100人以上の 人質が戻っていない。テロリストに屈しないイスラエルが やり過ぎだとばかりに、死者数を数え上げたり、過去の 因縁を持ち出したりする人は多いけど、最初に何が起こったかを 覚えている日本人は少ない。彼らは戦う。きっと最後まで、戦争は 最後の一人を取り戻すまで終わらないだろう。私たちにはとうてい わからないことなのだ。テロリストと暮らす毎日というものが……。 名
2024年の過越の祭は4月23日から始まっている。全世界のユダヤ人が楽しみにしていて、イスラエルでは99.9%の人が家に集まって過ごし、父親はいかに長く語れるかを競い、子ども達はそれがないと終わらないという半分のマッツアを探して家中をかけめぐる。プレゼントをもらって質問をして、「よい質問をしたね」が褒め言葉の国。 そんな国の長く続く戦争で、今や、毎日市民によるデモが繰り広げられ、自分の育てた青年達が生命をかけて戦っているにふさわしい政府なのかを、親は問い続けている。 そし
冬に出産予定の息子のお嫁さんのために、9月からテルアビブ行きのチケットを予約していた。エルアルがこの時期飛ばないのはわかっていたので、最初はトルコ航空で、その後は千歳発着のキャセイパシフィック航空がとれて変更。ほっとしたのもつかの間、10/7日 海の向こうで戦争が始まった。 どうしようか迷ったが、エミレーツ航空がドバイ経由でテルアビブに飛ぶというので変更してもらってイマココ。テルアビブはレベル2。観光などはもちろん無理だけど、知り合いの留学生達は帰らずにイスラエルに残って、
荷造りは、客間にしている部屋にとにかく頼まれたものを置いておいて、12月初旬に届いた75リットルと36リットルのスーツケースに振り分ける。 聖地巡礼のような団体旅行だと、団体で持っていく荷物があるので、一人あたりのスーツケースの重量は20キロ前後に抑えなくてはならない。今回は個人なので、25キロまで許された。旅行会社の人によると、エミレーツ航空の場合、帰りは30キロまでOKとのこと。 今回、買ってよかったものは無印良品のスーツケース。シンプルで、極めて機能的。各空港で、ぶ
テルアビブも安全ではない。アイアンドームが打ち落とし損ねたミサイルが街に落ちることもあり、一度だけ日本のニュースががれきになったテルアビブの住宅を報道した。そのときは時差も考えずに大丈夫?とラインするといつもは返事などこない息子から大丈夫という返事がきた。「?」と電報をうって「!」と帰ってくるような早さだった。 ライン以外にもWi-Fiがあればフェイスブックのメッセンジャーや、いまならディスコードなども連絡手段として仕える時代。巡礼では空港のWi-Fiにつなぐことが多かった
イスラエルの医療は世界の最先端をいく。コロナのときも民主国家でありながら、危機管理のかたまりのような国なので、瞬時に鎖国。日本のテレビでも報道されたが、ワクチンは医療カードを提示すればすべて記録が残って何度打ったかとかいつ打てるかの心配は皆無だったらしい。もちろん打つか打たないかは本人の自由。それで患者が増えても混乱がなくマスクを徐々にはずしていった。何度か参加したオンラインのエルサレムツアーでは、キッパーがわりにマスクを頭に乗せているお茶目なイスラエリーもいた。 私が日本
たぶんそれは残していく夫のこと。もうすぐ定年なのになぜそんなにと思うほど働いているから。 もともと長男体質で責任感の強い人。僕がやらなきゃと家事も育児も介護も同居もがんばってくれた過去がある。歳を取るにつれて我慢や押さえがきかなくなるはずなのだけど、彼の気持ちは自分ができないことを責めるように内側のほうに向かってしまうようだ。 そんな夫をやっと二人きりの生活になって支えているつもり?の私だけど、昨日叱られたこともすっかり忘れる鳥頭は若い頃から治らない。未診断だけどASDの
まだまだ続く渡航前フィーバー。年末に外務省の海外渡航者のためのページをみていたら、なんとイスラエルはポリオが流行っている地域に指定されていた。流行している国をみると、数が半端ないので、世界的な流行なのかもしれない。 渡航前に打つといっても発見したのは年末。急遽年明けの今日、近くのクリニックから大きな総合病院まで電話しまくってみた。がしかし、なかなかこれが大変。 最初にワクチンのことを確認するべきだったと後悔。たとえばコロナのワクチンの接種証明はずっとアプリを使って管理して
コロナ禍の数年前、テルアビブの街をのぞむ場所でこの写真を撮った。手前は公園で、まだスマホで写真をばしばし撮られることも少ない時期、まるく輪になって私たち巡礼者はイスラエルの平安を祈った。もちろんユダヤ人のためだけではない、そこに住む人達すべてのために。 注意喚起の呼びかけがあるなか私は渡航するけれど、自分の身の処し方は心得ていかなければと思う。海外で何かあって治療するときは、たとえ脱水症状でたおれただけだとしても、100万単位での請求がくる。息子の家から一歩もでなかったとし
非日常に向かってすすむ私の毎日。昨日は納品原稿を書きながらこんな動画をみた。 息子からたびレジには登録してくださいとLINEがきたので、いろいろと外務省のページを見て回ったその一つだ。日本人や日本の企業に向けての安全対策マニュアルをゴルゴ13(声優は舘ひろしさん)を使ってうまく作っていて面白かった。そして1話目には、これを作った頃に外務大臣だった人が声優で登場している。 十数本、全ての動画を見終わって、いろいろなことを思わされた。ペンネームで書いているとはいえ、SNSに「
ロトの妻といわれている塩の柱の写真がでてきて、最初にいった巡礼のことを思い出した。二人の年子の息子達を実家にあずけ、30代だったので本当に怖い物知らずの旅だった。団体旅行ということもあるが、ほんとに脳天気な巡礼者で、サーバントには危険人物として目をつけられていたと思う。 オリーブの丘でワンダラーボーイから得たいのしれないパンを買い、ヘブロンでアラブ人のアクセサリー売りに追いかけられてバスに逃げこみ、参加した公式レセプションに着物姿で受け付けに立っていたら、山高帽のイスラエリ
今回の経費は、かなり前からチケット押さえて、航空会社がどんどん変わっていったけれども、代理店さん(特にイスラエルに行くならテマサトラベル)の努力で、割と安く済んだ気がする。と言うのも、時期が迫れば迫るほど、チケットがどんどん値上がりしていくのを航空会社のサイトで知ったからだ。つまりもともとの値段を維持しながら、渡航日が迫る中、予約を変更していくのは代理店さんの努力なのだと感じた。 就航当初から、エルアルの直行便は、冬の時期は飛ばない予定だった。昨年の10月7日に戦争が始まっ
心配していた成田の広さ。チェックインのときに、搭乗口66までの遠い遠い遠い道のりをエミレーツ航空の車椅子を利用させてもらえることになった。 自走式なら得意だから、貸してもらって自分で行こうとしたら、なんと積み木を組み合わせたような、木製の素敵な手押し車。ちょっと恥ずかしかったけど、でも今後のことも考え疲れちゃいけないので押してもらうことにした。 褐色の肌の研修生は、重たい私を乗せ、6キロのバッグも一緒に、はーはーいいながらも運んでくれた。ソーリーソウヘビイ、プリーズモアス
テルアビブの空港で、たくさんの宗教家達の姿をみた。ガラガラのカフェにはもちろん観光客はいない。目の前に息子が迎えに来ているのに私、最後の税関で何か質問に答え間違えたのか、セキュリティ検査を通らず別場所に。しばらく孫に会えず。団体できたときとの差というより、戦時下の緊張を感じた。