《概念の分解》化学農薬は悪いものなのか①-前提-
今回分解してみたいテーマは、《化学農薬》です。
化学農薬の人体への影響、環境への影響、これらの本当のところは、我々一般人には一生分からない事です。
なぜならば、我々には観測 分析をする能力も方法も持ち合せてはいないからです。
国やそれに準ずる研究機関等の見解以外では、はっきりとした事実は分かりません。
極端な話、隠蔽や情報操作を行われたとしても、気付き様がないでしょう。
だからと言って、何も知らなくて良い訳がない。
だからと言って、誰かの話を鵜呑みにして良い訳がない。
個人それぞれが判断する為の材料を、私なりに揃えるつもりです(書きながら形を作るタイプなので、事前に材料を揃えている訳ではないという話です。)
自身 家族 大切な人の健康の為、お世話になり続ける自然環境を理解する為、その一助になれば幸いです。
では、さっそく書いていきます。
今回は、前提編。
そもそも、《化学農薬》=【悪】の様な概念が何故生まれたのか、直接《化学農薬》に触る前に、この15年ほどの【農業】と【食】に対する動きを、おさらいしてみようと思います。
では、今回もよろしくお願い致します😊
どうぞ、お付き合いくださいませ。
食料に対する危機意識
今の日本で、【化学農薬 化成肥料】この単語を好意的に受け取る人は、ほとんど居ないと思われます。
細かい話は割愛しますが、中国産の冷凍餃子に毒物が混入された事件(2008年)以降、日本人の【食】に対する反応は過敏になる一方です。
この冷凍餃子事件や同じく中国の粉ミルク事件は人為的な犯罪ですし、農薬とは全く関係ありません。
しかし、この時期からマスメディアは【食の安全】を大々的に取り上げ始め、産地偽装問題や輸入品の残留農薬問題を、まるで同じ要因を有する事件の様に報道する事となりました。
それによって、多くの国民は個別の問題である事を意識出来なくなり、【今、食が危険だ】【我々が食べるものに有害物質が入っているかも】と言う危機意識だけを植え付けられる結果となります。
当然、専門的知識を持たない多くの国民には問題の原因を把握する事は難しいですし、畑や田んぼに触れる機会の少なくなった現代人では、実体験から問題を観察する目線も持ち得ません。
その後も情報は氾濫し続け、【食の安全性】という概念が日本中に広がった時期に強烈なPRを行なったのが、今日のオーガニックや自然農と言う言葉を好んで使う【農業に携わる組織と個人】でした。
彼らを、ここでは便宜上【オーガニック系農家】と呼ばせて下さい。
彼らは長い間【化学農薬】と【化成肥料】を使用しない方法で、農作物の栽培を行ってきました。
土の中の生態系を意識し、出来る限り自然そのものの力を利用して、植物を育てます。
化学農薬での作物の保護 化成肥料での土への栄養分供給を行いませんので、大量生産をベースに進化を遂げた現代農業には、収穫量では敵いません。
資本主義社会においては、いかにコストを下げ、いかに生産量を増やすかが、キーポイントです。
コストが高く生産量が低いアイテムは、芸術や宝石の様に、そういったブランディングが確立したジャンルでしか成り立ちません。
この時期までは、オーガニックや自然〜、化学農薬化成肥料を使わないという手法は、世間が認めるブランドにはなれなかったのです。
小さな世界小さなコミュニティの中で、そこに価値を見出す人々の中で、繋げられてきたものでした。
ところが、突然時代が変わります。
前述の通り、【食の安全性】という概念が広まる事によって、【食に対する危機意識】を日本国民が持ったのです。
しかし、国民はもとより、マスメディアも企業も政治でさえも、高まってしまった【危機意識】を抑える方法が分かりません。
農業と食の世界には、あまりにも専門家が少なかったのです。
日本は、【アンサー】を求めました。
いつの時代も【疑問】や【謎】に対する【アンサー】は大きな需要があります。
【食】の様に、直接自分に利害のある事柄であれば、尚更です。
その【アンサー】の一つとして、上記の彼らは選ばれ、また本人達も積極的に活動しました。
そして、彼らは受け入れられました。
今までの彼らの主張を、今までの時代は否定してきましたが、【食に対する危機意識】が浸透した当時の社会には【自然】【オーガニック】【環境】といったワードが刺さり、アトピー性皮膚炎やアレルギー等の問題も巻き込み、【食に対する危機意識】に【健康】という要素を加え、日の目を見たのです。
長い間、ある種の疎外感や伝わらないジレンマを感じ、仲間内分かってくれる人の中だけで過ごしていた彼らにとっては、『報われた』感もあったのではないでしょうか。
【化学農薬】【化成肥料】を使わず、微生物をはじめとした自然そのものの力を最大限活用する方法で栽培された作物を食べる事こそ、健康でありまた日本の自然 文化を守る事に繋がる。
非常に壮大で、素敵な言葉です。
【アンサー】を必要とした国民も、社会貢献や環境保全という名目がブランドアップに繋がる企業も、地方活性化に悩む地方政治も、協力を惜しみませんでした。
もっとも政府だけは、引いた位置にいましたが。
都心部を中心に、【オーガニック◯◯】といったイベントやマルシェ等が行われる様になり、私が知る限りどこも盛況で、当時の国民が如何に興味を持っていたかを現していました。
【有機】という言葉が、一般的に浸透し始めたのもこの時期だったと思います。
そんな一見順調に見えた【食に対する危機意識】への一連のアクションでしたが、結果だけを見ると失敗します。
彼らは、大きな過ちを犯したのです。
それが【比較】です。
ジャンル問わず、比較というものは、非常に難しい。
何故ならば、【条件】を固定しなければならないからです。
新しい漂白剤を発売する際に、比較実験をするのであれば、対象は同じもの(タオルならタオル)、素材も同じ 汚れ具合も同じ 汚れた原因も同じ つけ置きするのであれば時間 洗濯機を使うのであれば同型の洗濯機と、全て同じ条件にしなければ、今までの漂白剤と新しい漂白剤の違いは数値化も可視化も出来ません。
ところが、彼らが何をしたかと言うと、スーパーで買ってきた、通常の作り方(慣行栽培と言います)の【ほうれん草】と、自分達が作った【ほうれん草】、それぞれを別々の密閉容器に入れ、3日間経過を観察する。
結果、自分達の【ほうれん草】は腐らなかったが、スーパーで買ってきた【ほうれん草】は、腐った。
その理由は、化学農薬と化成肥料にある、こんなものを食べていたのでは身体に悪いので、自分達が作ったものを食べて下さい。
といった、【比較】によるパフォーマンスを行いました。
イベントでは、直接的な善悪表現は法律上アウトですから、【身体に悪い】や【自分達の方が良い】といった言葉は使われない場合がほとんどでしたが、【腐ったほうれん草】と【腐っていないほうれん草】を目の前で見せられ、しかもイベントスポンサーが大手企業の場合は【信用】が発生しますので、参加された人達が善悪で判断してしまっても致し方ありません。
しかし、この【比較】が命取りになりました。
どこで作られたのか どの様に作られたのかも分からないほうれん草を比較対象に選んだ時点で、条件が異なります。
同じ畑 同じ水 同じ種類の種を使用し、化学農薬化成肥料を使った【ほうれん草】と、それらを使わない【ほうれん草】を、同じ時間に収穫し、同じタイミングで密閉容器に入れ比較するくらいの事をすれば、まだマシだったのですが。
この【比較パフォーマンス】は、4つの事を生み出しました。
①条件が異なり過ぎ、比較になっていない事への不信感
②当社比ではなく、他人の生産物を使用した配慮のなさ
③化学農薬化成肥料=悪 という概念
④慣行栽培農家と、オーガニック系農家の対立
です。
①は、パフォーマンス自体に疑問を覚えた人の方が多く、言っている側(オーガニック系農家)への不信感が生まれました。
②は、ビジネスにおいて絶対にやってはいけない事です。比較をする場合は、必ず自分達が作ったものでなければなりません。
名誉毀損や業務妨害にあたる可能性も高いですし、なにより他人を下げて自分を上げる個人や企業を信用する人は居ません。
③は、化学的なもの=分からない=怖いという心理が働いてしまい、アンサー側を信用する訳ではないが、化学農薬化成肥料と聞くと良いイメージはないという概念が生まれました。
④、化学農薬化成肥料=悪と言われた様なものですから、慣行栽培農家(化学農薬化成肥料をベースに栽培する農家)から見れば、自分達の仕事を否定された上に悪いもの呼ばわりです。
友好的に関わる事など、出来ません。
他にも細かい部分をあげればキリはないですが、とにかくこの時点で、【オーガニック系農家】はマジョリティになるタイミングを逸しました。
慣行栽培農家もオーガニック農家も、共存出来たはずなのですが、自身の価値を上げる為に他者の価値を下げる行為は、結局は自身の価値を下げる結果となったのです。
私が化学農薬と化成肥料を使わない栽培方法に興味を持ったのはこの頃で、この時期から5年ほど後に栽培を始める事となります。
農業界全体の話に戻すと、この時期(2010年前後)でも現在でも、国内で栽培される農産物の90%以上は【慣行栽培】です。
【慣行栽培】とは、化学農薬 化成肥料 F1種子をベースに、【大量生産】【安定生産】に特化した栽培方法で、戦後すぐに本格導入され、食糧難の時代を乗り越えるべく全国に広がり、人口が大増加した時期の食料確保に大きな貢献を果たしました。
ただし、その反面、農薬による生態系への悪影響、化成肥料による土中の過剰なチッ素蓄積等の問題を抱えています。
ここで、勘違いして頂きたくないのは、問題がある事=悪い事ではありません。
問題がある事=改善すれば良い事、です。
全てにおいてメリットしかない事柄は存在しませんから、如何にメリットを最大限にし、デメリットを最小限にするか、が大切です。
我々は、0か100かの世界で生きている訳ではないのです。
1〜99の間で、より良いバランスを探し続ける事が肝要です。
オーガニックビジネス
前章の通り、【オーガニック系農家】はマジョリティ化に失敗しましたが、【オーガニックビジネス】は広がり始めました。
これは、飲食や小売 流通が、【オーガニック】というカテゴリは儲かると判断した為です。
一度失敗をした【オーガニック系農家】に、再び風が吹き始めます。
その理由は【オーガニックビジネス】を展開する企業が、自社の信用を高める事とPRを目的とし、【農家】と言うブランドを利用し始めたからです。
現代日本、特に都心部では【農家】は居ない訳ではないのだけれど、実生活での関わりが少ない職種です。
それに加え、人前で話す事が可能で論理的なインプットがある【農家】となると、非常にレアです。
レアなだけに、特定の組織個人が重宝されました。
私の目から見て『ん?』と思う発言がある人も幾人か混じっていましたが、【農家】という【信用】を得た【オーガニックビジネス】は、その展開を急速に拡大します。
【オーガニックビジネス】を広げたい企業と、【オーガニック】を広げたいオーガニック系農家の利害が、【表向き】一致したのです。
そして、一定数の国民もその【信用】を受け入れ、特に小さな子供を持つ母親、アレルギー体質の人、スピリチュアル傾向の強い人達を中心に、【オーガニック】という【言葉】が定着します。
中間層の国民は、【定着したオーガニックという言葉】に好印象を覚え、【オーガニックって身体に良いんでしょ】【オーガニックって、なんかオシャレ】といった概念をインプットしました。
ただし、今回のテーマに限らず、概念は概念です。
オーガニックアイテムを購入する人に、『オーガニックって何ですか?』と聞いたところで、答えられない事がほとんどなのです。
【オーガニック系農家】が目指したのは、【自分達の栽培した農産物の販売】【出来る限りの人々が、少しだけでも自分で作物を作る】【それらの行動によって、自然環境を意識して生きていく】といった、どちらかというと文化的な目的が大きいのですが、【ビジネス】は利益を出す事が目的です。
程なくして、目的が異なると気付いた両者は、距離を取る事となります。
既に【オーガニックという言葉の定着】を果たした企業側も【農家】という存在は重要ではなくなっていましたから、一部の形態を除き、特に飲食では【オーガニック】が暴走していきます。
フランスなどから輸入したブドウ果汁を、日本国内でワインに加工し、【酸化防止剤不使用】と言われても、『国内加工なら移動距離短いから、そもそも酸化防止剤要らないよね』や『でも、フランスから運んだブドウ果汁には酸化防止剤使っているよね』といった疑問が出たり、【化学農薬の使用を一定量控えている】ワインが、【オーガニックワイン】と呼ばれるなどの誤解を生む手法が蔓延しています。
居酒屋等でも、【無農薬柚子サワー】や【無農薬シークワーサー】と書いたメニューを見かける事がありますが、個人販売の柚子やシークワーサーは、そもそも農薬をかける事はありません。
かけなくとも問題はありませんし、農薬は値段が高いのです。
この様に、現在の【オーガニック】は法律的な一定の定義がなく、【オーガニックビジネス】は儲かるという考え方で、広がっています。
私個人としては、【日本のオーガニック】は【ビジネス】と相性が良くはないです。
【オーガニック】は、文化です。
もちろん、真面目に【オーガニック】に取り組む、企業も個人も沢山いらっしゃいますが、消費者にとっては分かり辛い状態が続いている様に見えます。
次の章は、【農業から見たオーガニック】です。
来週投稿したいと思います。
今回も、お付き合いくださり、ありがとうございました😊